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武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信155号(2008・2/29)

 昨日、都立高校の合格発表があり、これで今年度の武州の受験はすべて終了。今日からまた次の学年の受験に向けて発進です。本当に果てし無いですね。とは言え、合格して 心からホッとしている生徒の晴れやかな顔を見るのは やはり嬉しいものです。 

《理想の塾って???》の巻

 ひと月ほど前、卒業生の前川悠君(大学3年生)が久し振りに姿を見せる。悠君は中学生の頃から(いやもっと前から、かもしれません)、小学校の先生になるのが夢でした。その彼が「大学の授業で『塾は学校の代わりになるのか』というテーマで発表するので“インタビュー”を!」と言うのです。9項目の質問を前に様々な思いが交錯します。振り返ってみれば、武州を開いて今年は数えで30年になります。それこそ夢のように過ぎた30年です。

 ところで、かの質問項目のなかに「斉藤先生にとって、理想とする塾はどのようなものですか」というものがあり、ドキッ。若い頃には“こういう塾にしよう”“ああいう塾にはしたくないな”という想いが、いつも心のどこかで蠢(うごめ)いていたように記憶しています。とはいえ、今ではもう全くないか?と言うと、そんなことはないわけで…。ただ30年の歳月は、いつの間にか、“自分らしい塾を!”というありきたりな結論に僕を導いたようです。

 ところで“自分らしい塾”って理想像になるんだろうか? 現代の塾に理想なんてあるのかな? 松下村塾、憧れますが、ちょっと無理そうです。理想などと大上段に構えるのはやめて、僕が死ぬときに、「これで良かったのでは?」と思える塾について悠君に語るほかありませんでした。

 塾は「経済産業省」管轄の産業です。町の八百屋さんや魚屋さんと同じです。ただのサービス産業です。一般的に塾に期待されているのは、基礎学力をつけること、成績を上げること、その子に合った進学の手伝いをすること、です。もちろん子どもが相手ですから、いろいろ難しいことは多いのですが、ともかくこれは仕事ですからきちんとやるのは当然です。でも、ただ単に基礎学力をつけ、成績を上げ、希望する進学の手助けをするだけの、“教える機械”に過ぎないのか? と言うと、そうとばかりは言えません。子どもは一人ひとり違いますし、子どもの心に鎖はつけられません。生徒個々人の事情やその時々の抜き差しならぬ状況に否応なく立ち会うことになります。それに、勉強より大切なものもたくさんあります。そこには私的に関わる心の機微が生じます。もちろん塾には「人格教育」は期待されていませんし、期待されても困ります(目的ではありませんからね)。人格教育は学校の目的ですから、そちらは学校にお任せして、塾はひたすらその子の具体的な姿に思いを寄せるのです。場合によっては多少の悪さを見て見ぬ振りをしなければならないこともあります。もちろん生徒の言動が理不尽に過ぎれば力いっぱい注意します。そこには客観的な尺度はありません。ひとりの人間として、それは変だ、と思うからするだけのことです。なんと無責任な! しかし面白いことに、塾は勉強という目的に向けての私的な関わりを通して、更にはそれを超えて、こうした思わぬ機能を果たしているようにも思うのです。つまり、生徒や卒業生の身の回りの“ちょっと信頼でき”“安心して相談できる”おじさんであることはできそうです。目的ではないからこそ知らず知らずに果たす機能(役割)とでも言えるのかもしれません。

 いいことがあったとき、困ったことが生じたとき、武州の悦雄さんに“話を聞いてもらいたいな”“意見を聞きたいな”と思われたら嬉しいですね。そうなれるかどうかは僕が信頼できる人間かどうかによりますが…。塾という小さな空間で思わず(必然ではなく偶然?に)出会った若者達と、勉強という目的であれ、それを超えた機能としてであれ、真剣に向き合っていける、そんな自分でありたいし、そんな塾であれば最高ですね。もしかしたら、こんなちっぽけな社会的役割に今の僕はそこそこ満足しているのかもしれません。とは言い つつ、現実的にはいつも無力な自分がいるだけです。

 それはともかく、久々に“僕にとって塾とは何か?”を改めて考える機会が与えられ、何だかとても新鮮な気分になりました。悠君のお蔭です。そして、悠君が教師になった後も教育についていろいろ話しあえると嬉しいな! なんて思うのです。もちろん、多くの卒業生や生徒と、人生について社会について、戸惑いながらも、共に悩み考え、また楽しく語らいあえれば「塾冥利」に尽きます。そんな時、僕は「これで良かったのでは?」と言えるのかもしれません。果たしてこれって塾の“理想”と言えるのでしょうか?    

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2008-03-06 13:08

武州通信154号(2008・1/31)

 年が明けて一月(ひとつき)が経ってしまいました。暖冬であればいいな?の願いもむなしく、寒いさむーい冬です。
 襟を立てて足早に帰途につく。ふと「北風と太陽」の寓話が頭をかすめる。あの旅人は「北風」にさらされて、コートをかき寄せ、今の僕のようにうつむきながら歩いていたんだろうな? 暖かい「我が家(太陽)」はもうすぐだ! こんな幼稚なことを考えている自分に、思わずひとり苦笑する。アホですね、ホント。

《いいこと めーっけ!!》の巻

 昨年を代表する言葉として「偽」が選ばれたのだが、どうやら今年もその延長線上にあるように見える。数年前の建築屋さんの耐震偽装から始まって、昨年のお肉屋さんの偽装、お菓子屋さんの偽装、そして今年は紙屋さんの偽装。今や“偽装ばやり”である。この線路どこまで続くのかな? それに、今夕、中国製の薬物入り冷凍ギョーザの衝撃が走る。えぇーまたぁ? 昨年以来、中国食品への不信感は増すばかり。いやー これじゃぁまだまだ続くかも?  “いのち”も“エコ”もどうなることやら。なんだかなぁ、石油価格の高騰で物価はどんどん上がるし日本経済は今にもコケそうだし、ちっともいいことないじゃん。

 そこへもってきて昨年末から読む本がこれまたいかん。雨宮処凛(かりん)の『生きさせろ!』や赤木智弘の『若者を見殺しにする国』、それに堀井憲一郎の『若者殺しの時代』…だもんね。どれもこれも生活に煮詰まって身動きがとれなくなった若者達の姿が描かれている。そりゃぁ気も滅入るわ。てなわけで、最近では「何かいいことないかなぁ!」が僕の口癖になった。昔ちょっと流行った“いいこと探し”でもしようかな? あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。うーん、ないなぁ。

 武州の(玄関の)チャイムが鳴る。卒業生の千葉小雪さんだ。武蔵野美術大学(ムサビ)の「卒業制作展」のお誘いである。おっと、“いいことめーっけ!!” そうだった、小雪ちゃん、今年大学卒業なんだ。この学年のみんなの顔が目に浮かぶ。ちょっとココロがほくほくする。

 1月25日、冷たい北風の吹き抜ける朝、息子の太樹の運転でムサビへ直行。息子は大学生の頃、中学生・高校生だった小雪ちゃん達を教えたことがあった。みんな「太樹兄ちゃん」と呼んでいた。太樹兄ちゃんにとっても教え子の晴れの卒業作品展である。

 広い、さすがに美大。それに大学の敷地全体が卒業制作の展示会場なのだ。小雪ちゃんの作品はいったい何処? 分からない。どうしよう? 「学生に聞いてみようか?」と僕。「そんなの普通の学生が知ってるわけないじゃん」、息子に笑われながら、正門に戻ってパンフレットをもらい、ようやく会場へ。運よく小雪ちゃんがそこにいた。

 彼女の作品は、『晩秋に昇る紫陽花』と題したオブジェ。時期がすぎ、色を失った紫陽花は物寂しい詩情を誘う。彼女の作品に、“秋風にゆれ、カサカサと鳴る枯れた紫陽花の「孤高」”を想った。けなげにも孤高を守る、それは現在の若者の“苦しい立ち位置”を象徴しているようでもあり、“屹立(きつりつ)した意志(明るさの萌芽)”を内に秘めているようでもあった。傍らに置かれた卒業研究の小冊子には彼女の4年間の思索が綴(つづ)られていた。

 小雪ちゃんの説明を聞きながら展示会場を回る。広い構内に立ち並ぶ力作の数々。「すごいなぁ!」としか言葉にできぬ芸術音痴の父と子は、かくして彼女の解説によってようやく美の世界を逍遥することができたのだった。小雪ちゃんに感謝! ともかく、みなそれぞれの想いのこもった力作の群である。そこには若者達の「矜恃(きょうじ)の丈」がみなぎっている、そんな気がした。

 北風の吹き抜けるなか、若者はこうして自らを温めているのだろう。確かに息苦しく耐え難い時代ではあるが、この時代、まだそれほど捨てたものではないのかもしれない。まだまだ冷え切ってはいない。
 帰りの車の中、息子とその日のことを語り合いながら、理屈でなく僕はそう感じ始めていた。 
                 
(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2008-02-05 16:42

武州通信153号(2007・11/17)

 指先が冷たく感じる季節になりました。でも、まだ暖房を使うほどではありません。これは助かる。
 何といっても「1バレル=100ドル」に迫る原油価格の高騰は異様ですよね。というわけで、この冬も暖冬でありますように…!! でも、“異常気象を願う”というのも どんなものなんでしょうね。 

《何故大学?》の巻  

 いやはや長らく大人を続けていると若い頃の感覚を忘れてしまうものらしい。大学受験生に「どうして大学へいくの?」「何がやりたいの?」なんて無意味な質問をついついしてしまう。これも年のせいでしょうかね。「何事も深い意味をもって行動すべきだ!」という野暮な先入観が働くのでしょうか?  

 よく考えてみれば、僕だって深い意味を感じて大学へ進学したわけではありません。長男である僕は、本来は家業を継ぐべき立場だったのですが、ある事情で姉夫婦が家を継ぐことになり、思わず家業から解放され、これまた思わず大学への道が開けたわけで…。確かにこの辺の事情は今の受験生とは背負っている時代が違うのですが、あまり深い意味があったわけではない点では“大同小異”のようです。武州で出会う受験生の多くは「就職に有利だから…」とか、まあ多少とも現実的なことを考えるだけ僕よりましなのかもしれません。もっとも僕にも「何だか知らない新しい世界が待っている」という軽い“憧れ”だけはあったようには思いますが…。

 大学へ行ってよかった。これは確かです。でも不思議にも大学そのものに対してではありません。大学の講義から何かを得た覚えは皆無です。ですが、時代背景にも左右され、学ぶことの面白さを知った、とは言えそうです。だから大学そのものにではなく大学生活に意味があったわけで…。こう考えてみると何だか混乱してきます。大学なんてそんなものだとは思いながらも、就職のために大学へゆき、単位を取って、大学生活ではバイトと趣味と恋愛に明け暮れる昨今の大学生に、“仮にも『大学生』なんだからもっと教養でもつけたら?”と言いたい自分が一方ではいるのです。でも彼らからすれば大学はせいぜい就職の手段。だから僕の意見は恐らく余計なお世話に違いありません。

 ところで彼らの目的?である「就職」のことですが、僕の書いた次の新聞記事をちょっと読んでみてください。まぁ読んで考えただけではどうしようもないことなんだけれど…。
                   
(斉藤 悦雄)

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# by bushu-semi | 2007-11-22 13:23

武州通信152号(2007・10/31)

 蝶「二つ折りの恋文(ラブレター)が、花の番地を捜している」(ルナール『博物誌』)― 枯れかかった秋桜(コスモス)に蝶が舞い降りる。やっと手に入れた(いや、頂き物の)デジカメを構える。逃げる逃げる僕のラブレター。「やー、こりゃまいった」。

《時代の子》の巻

 年少の生徒と関わっていると、時々“あれっ!?”と首を傾げたくなる瞬間がある。そして“うーん、可愛いなぁ!”と思わず抱きしめたくなる。
 小学4年生の漢字の書取りの授業でのこと。宮河武蔵君の手がぴたっと止まる。そして…、

武蔵「先生、“せきゆ”って?」
斉藤「石の油って書いて“石油”…」
武蔵「石の油かぁ。石油ってどんなの?」
斉藤「???(石油の成り立ちを質問しているのかな?それとも?) 石油って見たことない?」
武蔵「えー、ないと思う」
斉藤「そうかぁ、じゃぁ、灯油って聞いたことない?」
武蔵「……」「でもさぁ、石油って、石でできてるの?」

 そうか? 今では石油(灯油)を使っていない家庭が増えているからね。そう言われて武州の中を眺めてみても今では灯油を使っていないし…。とりあえず自動車のガソリンを例に引いてかろうじてイメージしてもらうことにした。どうやら、行動範囲の狭い“年少の子ども達”の疑問はこうした時代の変化をストレートに反映しているように見える。本当に面白いですね。
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 武蔵君とのやり取りを通してずいぶん前の出来事を思い出した。それは現在高校3年生の佐藤美佳ちゃんが小学校の2年生か3年生のときだったから、今からかれこれ10年ほど前のことだろうか? 武州の電話機の前で不思議そうな顔をして何かを見つめている。そして「これ なあに?」。 僕は電話機に何か変なものでもついているのかな?と思い、目を見張ってしげしげと観察したのだが、何もついてはいない。どうやら、美佳ちゃんの指差した当のものは“電話機そのもの”だったらしい。当時の武州の電話はダイヤル式の黒電話だったのである。「これ電話だよ。見たことない?」「これが電話? どうやって使うの?」 小さな指に手を添えてダイヤルを回してやる。ニコッと微笑み、こちらを見上げたときの笑顔は今でも覚えている。驚きと楽しさを混ぜこぜにしたような何とも言えない可愛い笑顔だった。― 多くの家庭がプッシュホン電話に切り替えた後のことである。

 更に遠く僕が子どもだった頃の淡い記憶がフラッシュバックする。僕の実家は商売屋だったからいち早く電話機を置いた。ダイヤル式の黒電話、当時はそれが最先端だった。そして隣近所の人々が電話を借りに我が家を頻繁に訪れた。使用後に、母と世間話をしている姿が胸に去来する。“そうか? だから電話は店の玄関先にあったんだよな!”なんて電話機の位置まで懐かしく思い出す。あの頃の御近所さんは精神的にも近かったように思う。

 これからの家庭はどうなるんだろうと想像する。オール電化で灯油の匂いのない生活。個人専用の携帯電話ですべての用を済ませる生活。もしかしたら、近々固定電話すら知らない子ども達が出てくる時代がやってくるのかもしれない。確かに何だか味気ない気もするけれど、これからの子どもの視点、子どもの反応、ちょっと楽しみでもある。

 美佳ちゃんや武蔵君の反応を目に浮かべるにつけ、「子どもは時代の子だな」としみじみ思う。もちろん長じるにつれ経験の範囲は広がってゆき、いずれ石油も黒電話も知識のうちに加わるものだが…。
 しかし、僕には、子どものこうした「最初の反応」に出会えることが捨てがたいのである。何とも面白く、そして何よりもその瞬間が可愛いのである。

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-10-31 13:48

武州通信151号(2007・9/14)

 一昨日、安倍総理大臣の突然の辞任。意外に弱かった粘り腰。社会保険庁問題から閣僚の不祥事・失言、参院選(7/29)の自民党の大敗、それに続く新閣僚の不祥事の発覚。国民を置き去りにして政治はどこへ?!

《若者から見た現在》の巻 

 無聊(ぶりょう)任せの『武州通信』なのですが、いろいろな意見が舞い込みます。読んで頂けるだけでも嬉しいこと、それに感想まで送ってくださる、本当にありがたいことです。返事を書かねば…、と思いつつ、ついつい時の過ぎるに任せてしまう無礼者です。すみません。ここで改めてお詫びを…。

 ところで第147号の「あぁフリーター・スパイラル」に対して長い長い感想メールが北原勇志君(27歳)から寄せられました(北原君は『武州通信』第145号で触れた「web書籍」を作成してくれた若者です)。あまりにも深く興味をそそる内容だったので、ついつい僕も長い長い“感想の感想”メールを! すると今度は“感想の感想の感想”メールが! こんな調子で数度の往復メールに発展。とても面白いメールのやり取りになりました。

 さて、こんなわけで、9月8日(土)の『オアシス武州』は、その北原勇志君に思いの丈(たけ)を語って頂くことにしたのです。テーマは「若者から見た現在」、副題は「フリーターの意識と生活」。北原君は現在インターネット販売の「古本屋」を営んでいますが、そこに至るまでに24業種のアルバイトを経験してきたつわものです。物凄いですね。お話を聴く前は、どうしてそんなに転職するの? もっと将来を考えて行動しないとダメじゃん!って思った方もいるかもしれませんね。そこです。そこなんです。北原君の怒りはまさにそうした外部、特に身勝手な大人の視線に向けられているのです。

 「フリーターは仕事に対して無責任で、すぐ辞めて、職を転々とする、もっと将来のことを考えろ!」というよくあるタイプのフリーター批判。その源について北原君は語ります。この手のフリーター批判は1980年代に隆盛を極めた消費主義的フリーターのイメージが現在まで尾を引いているからではないのか? つまり「どうにかなるさ」という“お気楽フリーター”イメージではないのか? これが、彼の推論です。でも、そんな“お気楽フリター”は現在ではほとんどいない。これが、彼の結論です。

 さて、彼が経験してきた、または見てきたフリーターの大半は、と言うと…。食い扶持を得るためにせっせとフリーターで稼ぎながら、少しは余裕のある生活がしたい、というささやかな(当然といえば当然の)願いを胸に抱いて日々暮らしているのです。それのどこに問題があるというのでしょう? それにも拘らず、どこも労働条件は悪く、厳しい労働のわりに安すぎる時給、正社員並みのノルマは当たり前、社会保障も受けられず、企業の都合で突然の解雇、それに正社員からの蔑視も…。もし生活が保障され、仕事に見合った対価が得られるのなら我慢して続けることもできるでしょう。それが得られないから、より良い職を求めて転々と職を替えるのです。しかし、どこもあまり代わり映えがしない。だから、大半のフリーターは「どうしたらいいか分からないのだ」と…。誰でも抱くあのつつましい願いを実現するために「どうしたらいいのか分からない」。人生の先が見えず、すごく不安なのに「どうしたらいいか分からない」。これが多くのフリーターの現状。― 彼は問います。「これでも“お気楽フリーター”“小遣い稼ぎのフリーター”“仕事をなめている無責任なフリーター”と言えるのだろうか?」 と。

 彼らの多くは正社員への道を模索していると言う。だが、企業で人事を手がける参加者の紺野正さんは「気持ちは分かるが、職を転々とする若者を雇う企業はほとんどないだろうね」と採用者サイドの意見を付け加える。これも貴重な意見に違いない。こうして「あぁフリーター・スパイラル」は完成する。

 まだ親の財力に多少余裕があり、親掛りの若者も多いから、それほど大きくこの問題は噴出していないけれど、親に依存できなくなる時代が遠からず必ずやって来る。すでに、少数ながら何とかしなければ…という動きから、「PAFF(フリーター全般労働組合)」や「POSSE(フリーターや学生が集まってつくったNPO)」なども現われている。

 今必要なのは、過去のイメージを重ねた「お気楽フリーター」などというフリーターの人格中傷ではなく、フリーターの現状に刮目して「フリーターの今後」を真面目に考えることではないのか? という北原君の怒りや深い思いが(このちっぽけな通信で)皆さんに少しは届いたであろうか? 

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-09-24 11:19

武州通信150号(2007・8/29)

 炎暑、猛暑も(今日は)一服(いっぷく)! 夏の疲れも一休み? この夏は本当に暑かったですね。ふー。

 「夏日(最高気温25℃以上)」「真夏日(最高気温30℃以上)」「熱帯夜(夜間の最低気温25℃以上)」のほかに、今年から「猛暑日(最高気温35℃以上)」が新たに加わり、打ち続く「猛暑日」の日々。40℃を超える地域や熱中症も…。

 暑さはもう暫く続きそうですが、肌をかすめる風の脚には 秋の素振りが ちらほら と。

《子どもとケータイ!》の巻

 余裕があるようでいて、余裕のないのが僕の8月。時間的に…、というより、むしろ精神的に後ろから何かに追いかけられている感じがする。夏期講習では一学期の復習、8月の授業では二学期に向けての準備が僕の頭を駆け巡る。僕だって「折角の夏休みだからもっとゆっくり休みなさい」と言いたいのは山々なのだが、そうはいかない現実がある。その子によっては、夏休みをのんびり過ごした結果、一学期で学んだことをすっかり忘れて二学期に突入!なんてことも。いやはや蓋を開けてビックリさ!!

 ところで「8月の授業何時(いつ)からだっけ?」とか「あした高校の講習だからちょっと遅れるね!」とか僕のパソコンにメールが入る。ケータイ世代の面目躍如? 生徒と直接交信できるのはある意味で便利といえば便利である。…が、授業中“着メロ”が流れることも。

 写メールが出始めた頃、もう5~6年は経つのかな? 「先生、ちょっと~」。振り向くとパシャ。「へへへ、撮っちゃった」。見ると何とも不細工な僕の顔が…。「おいおい、消してくれよ、なぁ!」「やだよ、友達に送っちゃうもんね」こんなやり取りが懐かしい。あれから数年で、中学生の半数以上、高校生ではほぼ全員がカメラ付きの携帯電話を持つようになった。3年程前には「デジタル万引き」なんてのが社会問題になった。書店で情報雑誌のグルメ情報や催し物の日程などを<パシャ>。これが「デジタル万引き」! 本屋さんも大変だね。それに、有害サイトや出会い系サイトによる被害や、嫌がらせメールによる“いじめ”も増えているらしい。携帯電話の普及はいいことも多いけれど、新たな問題を誘発しやすいのも事実。

 ケータイの出現は子ども達の生活を一変させた。もちろん「その子によっては…」という枕詞が必要だろう。みんながみんなケータイに振り回されているわけではないからね。それでも、生徒や卒業生を見ていると、中には携帯電話に生活の大半を奪われている子も何人かいるらしい。

 数ヶ月の間に同じ子から何度も「メルアド変えたよ。よろぴく」とか何とか連絡が入る。「えっまた!?」と僕は首を傾げる。うーん、どうしてそんなに替える必要があるんだろう。きっと友達の作り方や関わり方がずいぶん変わってきているんだろうな、と今更ながら思う。それに「ケータイ料金のことで親と喧嘩しちゃったよ」という子もいる。自分が悪いのは重々分かっていても、うるさく言われるとむかつくらしい。でもなぁ、親は大変だよ。「お金払ってその上むかつかれてもねぇ。万単位の料金となれば、やっぱりどんな親だって怒ると思うよ!」と親の味方をする僕。ケータイとは親子関係をこじらせるものらしい。それに、携帯不携帯?!の僕にはよく理解できない感覚だけれど「ケータイ忘れると何だか不安になるんだよね」と依存心理を語る子もいる。

 携帯電話が使い勝手のいい文明の利器であることは認めるけれど、子どもにとって不可欠なものとは、僕にはどうしても思えない。もちろんここまで普及してしまえば、そんなことを言っても詮無いこと。とは言え、せめて、せめて振り回されることなく(ケータイと)上手に付き合って欲しいな、生徒諸君!!

 僕は子どもに勉強を教えるのが仕事。だから、ケータイとあまりに仲良くなりすぎて夜更しして、授業中「眠いよぉー」とならないことを願っている。― 夏休みも終わり、いよいよ新しい学期が始まる。二学期になると、これまで学んできたことの「合わせ技」のような問題がテストに出される。
 だから…、“ねっ、僕の言いたいこと分かるでしょ!” 
        
(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-09-03 16:56

武州通信149号(2007・7/25)

 自然っていいものですね。でも他方 怖いものでもあります。7月16日「新潟県中越沖地震」発生。3年前にも襲ったのにまた…。今回は東京電力柏崎刈羽原子力発電所での火災も! 天災が人災を同伴して…? 地震大国日本が揺れています。
 やっぱり自然を侮ってはなりません。自然は、優しくもあり、恐ろしくもあり。

《武州「昆虫記」!?》の巻

 「あっゴキブリ! 気持ちワルー」「何とかしてよ」「先生、早く殺して~」、いやはや、女の子は怖いね。で、僕が新聞紙を丸めてバスッと仕留める。これで少しは落ち着くか?と思いきや、今度は当の女生徒の口から「あーあ、かわいそう」「残酷~」、だもんね! なんだよこれ? ホント、女の子は怖いね。

 あっそうそう、この話は引っ越し前の古い武州での話ね。今の“マンション武州”でのことではありません。思えば古い武州は昆虫の宝庫?だったな。アオマツムシやコオロギ、バッタにカマキリ。蚊に刺されて「キンカン塗ってー」も。

 ところで、新しい武州にはゴキブリはいませんが、小さな蜘蛛(くも)がしばしば出現します。あれっ、まてよ、そうか? 蜘蛛は昆虫ではなかったな。足が8本もあるし…。まぁ細かいことは気にしない気にしない! で、ちょっと可愛いので僕はそこそこ気に入っているんだけれど、やっぱり女の子には不人気なようで…。「朝の蜘蛛は家の守り神」って言うじゃん、とかなんとか言い張っても、「でもさぁ今は“夜”だよ」ってすかさず反撃されてギャフン。「ムシなんてムシ」とか誤魔化そうとすると、「それってもしかしてオヤジギャグ?」とまたしても…。結局、すごすごと外に逃がしてやる僕。まぁ、授業のスキマに起こる口達者な子ども達とのこんなやり取りを楽しんでいるんだけれど。

 僕は毎朝9時前後に武州にやって来る。つまり出勤ですね。そして、自宅から武州までの旧野川沿いがいつものコース。短い時間なのだが、野草を見たり昆虫の飛翔を目で追ったりするのが楽しい。それにもう一つの楽しみがある。それは時々だけれど、卒業生の高田江利子(旧姓宮本)さんが二人の娘さんを幼稚園へ送るところに出会うこと。そして、この可愛いお嬢さん達も僕の顔を覚えていて手を振ってくれるのも嬉しい。だからあんまり会わない日が続くと「どうしたんだろう?」と気になってしまうのだ。ところで6月の下旬、久し振りに出会い、楽しく立ち話をしていると、下の方から「あっキレイ!」というはしゃいだ声がする。そちらに目をやると一匹のタマムシ(玉虫)が柵にとまっているのだ。僕はすかさずとっつかまえたね。我ながら神業だったよ。緑の金属色が陽光に輝いて何とも言えない気分になる。とは言え、さすがに発見者の所有権は無視できない。まして相手は小さな子どもなのだ。「持っていく?」と差し出すと、二人とも数歩あとずさりして首を横に振る。思わず僕は心の中で“ヤッター”とガッツポーズ。そして次の瞬間「大人気ないなぁ!」と内心赤面? だがそれも束の間、喜びのほうが数段まさっていた。なにせ 「玉虫厨子(たまむしのずし)」のタマムシなのだ。こうして武州にヤマトタマムシがやってきた。

 インターネットは凄い。タマムシを検索すると即座に情報が入る。食草は「エノキ、ケヤキ、サクラ」、えっサクラ? サクラならすぐそこの土手にあるじゃん。…と言うわけで飼育することにした。しばらくはサクラの葉をもりもり食べていたが、何故か2週間ほどで突然死んでしまった。またインターネットで調べる。「タマムシの成虫の寿命は一ヶ月ほど」。そうか?そんなに短いのか? 虫籠の中での御臨終、ちょっと可哀想だったかな?なんてちょっぴり心をよぎる。でも、すぐに忘れて即座に「標本」にする。きっと女生徒は「残酷~!」って言うだろうなと思いながら…。 ― タマムシはメタリックな緑色を基調とし、光の加減で紫、赤…に色を変える構造色。こんなに目立ってよく自然界で生きていけるなぁ?と不思議に思う。昆虫の天敵である鳥は何故か虹色に輝く構造色を本能的に避けるという。うまくできているんだね、自然って!!

 武州のちっぽけな庭には、今年はどういうわけか数匹のハグロトンボ(羽黒蜻蛉)が毎日やってくる。今も烏羽玉色(うばたまいろ)の静かな舞をゆったりゆらゆら披露している。幸せである。やっぱり小金井はいいな!と、かつての昆虫(蝶)少年、今はただの虫好きのおじさんはしみじみ思う。

 ある女生徒は言う。「先生、いつまで子どもやってんの?」
  僕は答える。「もちろん死ぬまでさ!?」        

 (斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-08-01 19:35

武州通信148号(2007・6/15)

 「五十にして天命を知る」、僕の50代もあと10日で終わり。“人事を尽くして天命を待つ”とも言う。どう頑張っても「天命がないなぁ!」なんて、人事も尽くさず、いい気なもんだ。
 さて「耳順(みみした)がう」の60歳。人の言葉にもっと素直になりたいと思えども、臍の曲がった僕にはちょっと無理そう。 
 「惑わず」「天命を知り」「耳順がう」、孔子さんは やっぱり偉い。

《体育祭、今昔》の巻 

 天気も良いことだし、やりかけの用事も丁度区切りがいいし、ぶらりと南中の体育祭(6月2日)を覗きに行った。  

 普段見慣れたやんちゃな生徒が、妙にかしこまって“団体の中で”素直に行動している姿は、ちょっとした感動ものですね。
 小学生の頃からの生徒が大勢の中で意外に背が高いことを発見すると、「へぇー、あのおチビちゃんがねぇ」と再認識する。“いつも見ているのに全く気がつかなかったなぁ!!” それに、その逆もあるのがまた面白い。いつもは少し大人びた感じの子が、みんなと同じ行動をみんなと同じにしていると、「やっぱりあの子も中学生なんだよな」と改めて感じ入るのである。足の速い子には胸がワクワクするし、遅い子が一生懸命走る姿はそれはそれで本当に可愛いとも思う。隣の友達にちょっかいを出しては微笑みあったりする様子でさえ、「あの子らしいなぁ」と楽しくなってしまう。こんなだから、僕は時間さえあれば、運動会や体育祭(体育大会)をできるだけ見に行こうと思う。

 だけど…、だけど何だか物足りない。確かに、子ども達の元気な姿を見るのは楽しいし、生徒や卒業生のご両親に塾と離れた公の場でお会いでき、話ができるのも、新鮮で捨て難い。それに、こうした場で卒業生に たまさか出会うのも嬉しいものだ。なのにそれでも、どうも“グッ”とこない。

 10年?ほど前までは、生徒と参観者との距離が近く、生徒達の座席のすぐ傍(そば)まで行くことができた。だから父母や僕らを目ざとく見つけては小さく合図 を送りあったものである。応援団長になった生徒は応援合戦に出向くとき、「しっかり見ててよ」と出陣の声をかける。行進中に僕を見つけて にっこり花の笑みを浮かべ、軽くVサインを送る女生徒もいる。そして、その後の授業では「俺、かっこ良かっただろう!」と自慢する彼。「先生、私のVサイン分かった?」と確かめる彼女。ともかく昔はこんな微(かす)かな心のやり取りがたくさんあって、見に行っても余禄の楽しみが多かった。

 それにしても、何だかどんどん“つまらなく”なるのは何故だろう? 今では、参観者の場所は紐でくっきり分けられていて、生徒の席には近づけない。まさに見ているだけの体育祭なのだ。昔を知っている僕には実に物足りないのである。

 まぁ、こうした感想は、恐らく主催者である学校の思いとは切り離されたわがまま勝手な感慨に違いない。もしかしたら、仕事などで親が見に来られない生徒の気持ちを察しての対策なのかもしれないのだ。それに親や僕達にあまり近くにいて欲しくない子どももいるだろう。思えば「先生、見に来ないでよ」なんて釘を刺されたこともあったな。その上、今年からは小金井市のすべての公立中学校は、同じ日、つまり今年は6月2日に、一斉に体育祭(体育大会)を行なうことに決定した。別の日だと、他校の生徒が見に来ることで終了時間が大幅に遅れることによるらしい。しかも他校の生徒とのトラブルも考えられる。どうやら、大人も含めた参観者のマナーにかなりの問題があったであろうことは想像に難くない。いや、これが一番大きな原因だろう。

 ともかく学校側は、少しでも問題をなくし、より効率的に終らせようと考えて 現在の形に変えてきたのだろう。その流れは良く分かる気がする。だが、その結果、何だか“形だけ”の“無機質”な体育祭になってしまったように(無責任にも)僕は感じてしまうのだ。学校は 身を守るために もぞもぞと殻に閉じこもったヤドカリみたいにも見える。こんな感傷的な気分はこちらのエゴに相違ない。きっと、以前は今とは違った問題が山積していたはずである。それに、当然ながら昔を知らぬ生徒達は、恐らくこの形でも結構楽しんでいるに違いないのだ。

 だからここに書いてきたことは、ただ単に郷愁に駆られた“年寄の冷や水”ってことになる? うん、きっとそうだろう。そうとは知りつつ、何故か心に 北風が吹くんだよな、初夏なのに…。年を取ったな、悦雄!!

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-06-23 14:58

武州通信147号(2007・5/7)

 武州の庭に、クレマチスの花が見事に咲き誇っています。一昨年の今頃 卒業生の宮川哲弥君ご夫妻から頂いたものです。路地に植え替えて2年。紫の大きな花が20輪も咲くと、それはそれは豪快ですよ。クレマチスって、はなびらが6枚のものは「鉄線(てっせん)」と言い、8枚のものは「風車(かざぐるま)」って言うらしいですね。
 
 武州の庭に「紫色の“風車”」。5月だけの「期間限定“風車”」。

《あぁフリーター・スパイラル》の巻
 
 20年ほど前のことだろうか? ある会で僕が「フリーター」という言葉を使ったら、会場のあちこちから“クスクス”っと笑い声が漏れ、何だかちょっと恥ずかしかったことを覚えている。いや、別に恥ずかしがることはないのだが、その当時、「フリーター」という言葉が漸く世間に出始めた頃だったのである。「ぷー太郎」、それがまだ市民権を得ていたのだった。「ぷー太郎」から「フリーター」へ、今ではフリーターは一種の職業であるかのような位置づけにある。いやはや、どうも隔世の感がしてきますね。 

 それはともかく、最近の『武州大学』では「若者の労働問題」がテーマになることが多くなった。というのも、メンバーの何人かはフリーター生活であったり、不安定な労働環境に置かれているからに他ならない。

 ここでは、一般的な、ありうる意見を あらかじめ退けておきたいと思う。それは「フリーターなんかになる奴は、みんな不真面目で働く気のない奴だ」というものである。これはどうも眉唾物だ。― 僕の関わる若者は、ともかく真面目である。不器用なほど真面目なのだ。彼らは、日々真面目に生きているのに、何故かプアー生活から解放されない。これって“一体何だろう?” これが僕の(彼らの話を聴いての)第一印象。と言っても、たまたま僕の周りに集まってくる若者が “そうだ”と言うことだけなのかな? ある意味で「そうだ」とも言えるし「違うかも?」とも言える。どうやら、ひとたびフリーターの世界に入り込むと、もがいても もがいても その世界から脱却できないように見える。仕事を替えても 同じようなフリーター。それってフリーター・スパイラル? そんな生活を繰り返すと正社員への道がますます遠くなるらしい。企業の側は、そんな青年を“不真面目で仕事をなめている奴”として正社員として雇わなくなると言う。多くの場合、フリーターは経験として(職歴として)評価されていないようなのだ。(とは言え、一つところで長年真面目に働いていると正社員への声がかかることも ままあるらしいが…)。

 かてて加えて、ここに更なる困難が加わるから厄介なのだ。武州大学の真面目なフリーター諸君は、正社員になるのはもっと怖い。それって一体何故? 正社員は一つ職場に長い長ーい時間拘束され、しかも面倒くさくも恐ろしい人間関係に振り回される。それが実は怖い。こちらはこちらで身を削るような世界でもあるらしい。正社員になると、給与や生活保障はある程度安定しているものの、朝早くから夜遅くまで、場合によっては土・日の休みもなく働き詰め。職場での人間関係もギクシャクしてくる。精神的・肉体的に病んでしまう若者も多いと聞く。なっ、なんと恐ろしいことか? と言うわけで、真面目で心優しい彼らは、それならいっそフリーターで…。あぁ、フリーター・スパイラル!!

 武州大学の若者から受けるのは、大方こんな感じなのだ。フリーターで不安に苛まれている若者。正社員でぼろぼろになり人生の仕切り直しを迫られている若者。とは言え、世の中このような若者ばかりではないだろう。武州の卒業生の大半は、忙しく大変な中でも、必死で頑張っているに相違ない。だが、「ぷー太郎」と呼ばれていた時代と比べると、労働環境は明らかに苛酷なものになっているようである。責任を負う正社員であればなおさらのこと。

 それに、これからは年金だけでは生活できない老人も増えることだろう。僕だってそうなることは、もはや“確定済み”である。もっと働け!悦雄。 こんなだから、フリーター生活を余儀なくされる高齢者もたくさん出てくるに違いない。あぁ、老人フリーター!! これからの労働問題は、社会一般の問題となって、もっともっと膨れ上がっていくのかな? 考えただけで、何だか憂鬱な気分がしてくる。 ― 光を!もっと光を!
 
(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-05-13 17:19

武州通信146号(2007・4/3)

 雀は ちゅうちゅくちゅうちゅく語り合い、四十雀は つーぴーつーぴー友を呼ぶ。鶯は澄んだ声で ほーほけきょ と経を読む。小魚を追う親子の楽しげな歓声が響く。― 野川のほとりは賑やかになった。 

 子どもの頃に感じた「何か」が、とりとめのない膨らみをもって甦ってくる。何がなし訪れる「春」。

《『ココロの翼』出版記念パーティー》の巻

 「思春期をこえ大人になる。思春期には基本的にそれ以上の大きな意味はない」…と、何かの本で読んだことがある。その通りだと思う。だが、思春期をどう生きたかによって、その後の人生の色彩が変わるのかもしれない。

                  木漏れ日

                 金色の太陽は
            ちっぽけな私には眩しすぎます
               だから エメラルドの葉の隙間から
                 零(こぼ)れ落ちる木漏れ日を
               私にください
                                    (水満なぎさ『ココロの翼』p10より)

 眩しすぎる太陽より零れ落ちる木漏れ日のほうが自分を慰めてくれる。まだ下萌(したも)えの思春期に訪れる心の揺れ。水満(みみ)なぎささん(卒業生の小野寺汀さん・現 23歳)が10代の頃に書きとめた作品を編集した詩集が、『ココロの翼』(新風舎)です。

 3月31日(土)の『オアシス武州』は、水満なぎささんのそんな想いの詰まった「初詩集」の出版記念パーティーでした。ページを繰るごとにほとばしり出る想いの数々。その後の作品を含め、水満さん自らの朗読が続く。面白いもので、目で追う文字が、鈴を振るような透き通った著者の声に応えて躍動し、いっそう深い彩りを奏でる。辛く悲しかった心の闇への底知れぬ恐怖。必死に生きてきた少女の心の軌跡が、聞き入る人々の胸にリフレインする。参加者の年齢や経験の違いによって醸し出される色とりどりの玉響(たまゆら)の共鳴。
 
                    中途半端

                 私は中途半端
          みんながみんな新しく出発しているのに…
           みんながみんな今を見ているのに……
               私は過去ばかり見ている
          過去を振り返っても過去には戻れないのに…
               私は中途半端
                   過去を振り返りながら
                未来におびえながら
                    ふらふらと今を生きている
                                          (『ココロの翼』p31より)

 中途半端な自分とどう付き合ったら良いのか? その逡巡(しゅんじゅん)がとても素直に表現されていますね。突如襲ってくる“心の疼(うず)き”を「文字」として写し出すのは難しいものです。水満さんは言霊(ことだま)に憑かれたように書き続けます。美しい “言の葉”に自らの魂を預けて…。彼女は、“コトバの翼”を背に、これからの人生を一歩一歩踏みしめていくのでしょう。そう、豊かな“コトバ”の宝石箱に、優しい“ココロ”の輝きを満たして…。
 
 当日はちょっとしたサイン会もあり、とても楽しいひとときでした。作家志望の水満さんには、思春期との美しい訣れの時を駆け抜けて、これまで同様、素敵な作品をたくさんたくさん書き続けて欲しいと願っています。            

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-04-15 12:33

武州通信145号(2007・3/22)

 「3月16日に都心で初雪」なんて耳にしてもあまり実感が湧きませんでしたね。確かに3月に入ってから風の冷たい日もあったけれど…、今では桜の花もちらほら。

《悦雄さんの「web書籍」!?》の巻

 本と言えば町の書店で買うもの。僕はいまだにアマゾンなどネット通販を利用したことがありません。わざわざ出かける必要もなく、楽なのは分かっているのですが、何故か気が向かないのです。やっぱり近くの“顔なじみ”の書店がいいな。僕の買いたい本の多くはその書店に置いてないから注文しなくてはならず、その結果二度手間になるのは最初から分かっているのに、ね。

 本と言えば紙のページをめくるもの。紙の上に踊る文字が好きです。何十年もこの感覚に慣れてきたせいか、ディスプレー上の文章はどうも苦手です。何だか読んだ気がしない。結局、ちょっと込み入った文章になるとプリントして読むことになります。まして、web書籍のような長い文章は印刷するわけにもいかず、途中でお気に入りの栞(しおり)を挟むわけにもいかず…。

 こんな時代遅れの僕が『イラク戦争から見た“幻のアメリカ虚ろな日本”』という 「web書籍」を公開することになりました。何を血迷ったんだ?ですって?  さもありなん、かく言う僕自身が何とも不思議な気がしているのですから。

 このところ「イラク戦争から4年が経った」とメディアはずいぶん報道していますね。確かに、2003年3月20日(日本時間)、米英軍は空と海から猛攻撃を開始し、隣国クウェートからイラク国内に侵攻し、4月10日首都バグダッドを陥落させ、5月2日にはブッシュ米大統領は「イラク戦闘終結宣言」を発表しました。米英軍の完全勝利でした。それにしても、あれからもう4年の歳月が流れたんですね。とは言え、イラク戦争そのものは、せいぜいこの1ヶ月半に過ぎないのです。それなのに4年経った今でもイラク国内は混迷し、米英中心の多国籍軍の駐留やそれへのテロ、それに宗教上の対立による同胞同士の殺戮が続いています。 血みどろのイラク。 何故? ― 膨大な犠牲のもとに繰り広げられたイラク戦争は一体何のためだったのか? 一体何故アメリカは? その裏に何が隠されているのか? 当時、新聞やテレビの断片的な情報に接して、さまざまな疑問が渦巻き、それが次第に膨らんでいったのです。
 
 調べれば調べるほど、イラク戦争そのものから離れてアメリカという国家の危険な実像が見えてきます。それとともに日本の立ち位置の危うさも…。その研究成果を『武州大学』でレポートし、その後「備忘録」として纏めたものがポツンと手元に残りました。本にしたら?とか、インターネットで流したら?とか、多くの方からお勧めいただき、そのための尽力までしていただきました。それに知人の六津五郎(ペンネーム)さんは自費で10冊ほど印刷・製本してくださったり…。本当にありがたく思っています。その後、武州大学のメンバーである北原勇志君が「僕がweb書籍作りますよ」と…。著者である僕の方がまごまごしているうちに見事なweb書籍が完成。若い人の、いや北原君の技術力と行動力に感嘆しきり。それに彼の厚意に、心より感謝。こうして、時代遅れの悦雄さんの「web書籍」がインターネット上で見られることになったのです。いやはやびっくり!!

 『幻のアメリカ虚ろな日本』(←ここをクリックしてください)は、誰でも(無料で)読むことができます。プリントアウトするには余りにも長すぎますが、関心のある方は(我慢して)是非読んでやって下さい。僕と北原君の汗と涙?の結晶です。現代社会を読み解く一助になると自負しています。

 今号は何やら僕の「web書籍」の宣伝文になってしまったようです。宣伝ついでに、第 125号以降の『武州通信』もインターネット上で見ることができます。これは、数年前、卒業生の村中健君が『武州通信』のブログを作ってくれたおかげです。これも、忘れた頃、気が向いた時にでも、読んでいただけたら嬉しいです。

 どうやら団塊の世代は、若い世代に“負んぶに抱っこ”なんですね。えっ“それはお前だけだ”ですって? はい、どうもすみません。   

【ちょっとお願い】
 ホームページをお持ちの方、もし嫌でなければ『幻のアメリカ虚ろな日本』をリンクしていただければありがたいのですが…。ご検討のほど、よろしく。

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-03-26 18:54

武州通信144号(2007・2/11)

 東京では昨年までの130年間で一番遅い初雪が2月10日だったんですってね。今日は2月11日。…なのにまだ初雪にお目にかかっていません。記録更新です。
 2月だと言うのに、この暖かさは? 何だかまるで春のようです。心地よい陽射しを浴びて菜の花が咲き競っています。とぼけた顔のホトケノザ、淡い水色のオオイヌノフグリも、どうやら眼が覚めてしまったみたいです。 

《楽しい笑い》の巻

 中学一年生の数学の授業でのこと。「垂直二等分線の書き方」「垂線の下ろし方」「角の二等分線の描き方」を説明する。みんな一生懸命 定規とコンパスで格闘している。うまく書ける子、なかなかうまくいかない子。

 作図は(数学では)“作業”する 唯一の授業である。「あれっ、ヘンだぞ!」とか、「これでいいの?」とか、結構にぎやかになるのもこの時間の特徴なのだ。  
 ふとH君、Mちゃん、Y君のやり取りが耳に入ってくる。僕は、ちょっと面白そうだったので、ついつい耳を傾けてしまった。

Y「すごいね。誰がこんな作図の仕方考えたんだろう?」
H「きっとずっと昔だよ。もしかしたらアルキメデスだとか?」 
M「??? “あるきめです”って何?」
  <さあ大変。どうやら脱線の兆しです。>
Y「アルキメデスって、確かお風呂に入っていてさ、体積の出し方を考えた人なんじゃない」
H「そうだよ。もしかしたらそのアルキメデスかも?」
M「あっ、その話なら聞いたことがあるよ。“あるきめです”って言うのか?」
H「“アルキメデス”だよ。“走れメロス”じゃないよ。」
  <あれれ、なんで「走れメロス」が出てくるんだ?と思っていると…>
M「えっ、走れメロス? じゃあ“あるけめです”なの?」
皆「・・・」
Y「なんだよ。H君が変なこと言うからアルキメデスが“歩けメデス”になっちゃったじゃん。ダメじゃん。」
H「じゃあ、もしかしたら本当の名前は“歩きメデス”だったりして!?」

 たわいの無い会話なのだが、こんなやり取りの面白さを、二次元の紙の上に表現するのは本当に難しい。あのなんとも言えない三次元空間で繰り広げられる子ども達のふくよかな表情を筆舌に尽くすことは不可能です。それにしても、子どもの世界に「楽しい笑い」を見たのはいつの日以来のことだろう。もう数年はたっているのでは? 僕はそれがどんなものかさえ忘れていたように思う。
 
 「楽しい笑い」がこのところ子ども達の世界から消えた。そんな寂しさが僕の心に宿っていた。確かに笑いはあちこちにある。いつでも無尽蔵にある。もしかしたら子ども達は心の底から笑っているのかもしれない。だが…、何だか違う、そんな気がしていた。ちび、デブ、ハゲ、それにいつかテレビで聞いたことのあるお笑い芸人が発する下卑た言葉が教室にいきかう。決して悪気があるとは思わないが、他人をけなして楽しむ。そこにいる人、いない人、誰かの欠点をからかいの対象にして楽しむ。みんな笑う。僕も笑う、虚しく笑う。

 先の中学一年生の授業を通して、子どもらしい笑いを懐かしく思い出した。以前にはいっぱいあったように思う。それが授業を潤わせていた。そして、あの頃、僕は“勉強ができることより、こんな楽しい笑いが子ども達には大切なんだ”と思っていた。そんなことすら忘れかけていた。

 最近では、何でもいいから(たとえ品が悪くても)笑いを取れる子が人気の中心になる時代なのかもしれない。恐らく僕の寂しさの根はそこにあるのだろう。あの授業を経て、それでも…、と僕は思うようになった。きっと今でも子どもらしい「楽しい笑い」は完全には消えていないだろうし、それをこれからは探していこう、と…。

 こうして、あの寂しさを心の棚に片付けることにした。   

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-02-18 19:05

武州通信143号(2006・12/26)

 今年は暖かい冬? それでも年の瀬、屋外の風の冷たさが身に凍みる、…とは言ってみたものの、やっぱりこの冬の寒さは大したことないなぁ!? 
  2006年もそろそろお別れ! さよなら Good-bye.ですね。

《「教育基本法」って?》の巻

 この12月15日、「教育基本法の改正」と「防衛庁の防衛省への昇格」がダブルで成立。すかさず、S君から「次の『武州通信』は教育基本法について書いてよ」とハッパをかけられてしまった。「君は気楽に言うけど、これって結構厄介なんだぞ!」。

 さて どうしよう? 内容は「教育基本法」を読めば分かることだし、…ところで、教育基本法っていったい何だろうね?
 何はともあれ、教育の「基本法」と言うだけあって、「国が教育に対してどういう立場をとるべきか」を定めた法律に違いない。それは、国民に向けて「国や地方公共団体、それに学校教師は、この法律に書かれていることを守ることを誓います」と約束しているだけなのだ。もう少し分かり易く言えば、あくまでも「国や地方公共団体は、皆さんのお子さんをこの様に教育しますから、よろしく御協力を!」と国民にお願いしているのであって、(普通教育を受けさせる義務を除いては)国民に「義務」を強制しているわけではないらしい。

 だから、例えば、ある人が「愛国心教育は嫌だ」と思って反対しても決して罰を受ける心配はありません。ともかく、国民とのお約束(お願い)にすぎないのだから…。と言うわけで、憲法で規定されている思想、良心、集会などの「自由」は(当然のことながら)国民に完全に保障されているのです。だから、“愛国心教育ハンターイ”もOKさ。あー良かった。なーんだ、じゃあ あんまり おいらにゃ関係ないじゃん、ですか?

 ところで立場を変えて、学校教師は?と言うと…。「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と新法の「第16条」で明記されているのですから、教員にとって「教育基本法」は守るべき当然の「義務」として現れます。
 さて、もし「生徒の愛国心を5段階で評価せよ」というお達し(命令)が国や地方公共団体から出されたとしましょう。もちろん教師が個人的に「愛国心の評価なんてしたくないなぁ」と“心の中”で思うのは勝手ですし、確かに許されてもいます。しかし、もし愛国心の評価を“行為”として拒否すれば法律違反になります。何らかの罰を受けるかもしれません。先生もなかなか大変ですね。それでもどうしても評価をしたくなければ、教師の道を捨てる(退職する)しか方法はないでしょう。ともかく教師である限り「義務」を果たさなければなりません。と言うことは、国民一人ひとりがどういう考えを持っているかには関係なく、教師は「愛国心」を5段階で評価する以外に方法がなくなるのです。生徒達よ、もし通知表で「1」になりたくなければ「愛国心を持ちなさい」、です。もちろん “それでも愛国心は嫌!”なら、甘んじて「1」を受け入れる「自由」は生徒達に保障されていますが…。

 あれれ、何だか妙なことになってきましたね。これだと、先ほどの「愛国心教育ハンターイ」の人も ちょっと躊躇しちゃうかも? 自由はあれど、どうやら“不自由な自由”みたいですね。何だか変なの!? それはともかく、こうして原理的には「教育基本法」の理念や内容は、回りまわって“ねじれた形”で僕達国民のところにまで浸透してくるのです。なかなか上手くできているでしょう? そう思いませんか? ― ここから更なる疑問が次々と膨らんできますが、この辺で今回の「教育基本法」物語は、とりあえず、お・し・ま・い、とします。

 質問者のS君、これで「教育基本法」とはどういうものか、が少しは分かってもらえたかな? もしかしたら、知らなかったほうが良かったかもね。「知るは憂いの始めなり」とも言うからなぁ、ちょっと心配!

【追記】
 ここでは「愛国心教育」を例に挙げましたが、僕はその是非を問いたいのではありません。新法に新たに盛りこまれた「愛国心」は今話題の中心であり、何よりも「教育基本法」の理念・内容が国民のもとにまで到達する経路を説明するのに、それが一番都合が良かっただけです。― 誤解を生まないように念のため。                         

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2007-01-10 13:47

武州通信142号(2006・11/28)

  魅せられる。紅葉、黄葉、そして永遠の青葉。色とりどりで「和して同ぜず」。
 みんな仲良くするが良い。人の世は これが中々難しい。

《いじめ問題ねぇ!》の巻

 前号で「必修科目履修漏れ」について書いたら、ある生徒から「次は、いじめ問題だね」と催促?されてしまった。
 
 ここ数ヶ月の間にいじめ自殺が多発し、いじめに関する論議が渦巻いている。確かに「いじめ」については多々思うことはあるのだが、正直なところこの問題にコメントできる自信がない。27年も塾を開いているのだから、そんな筈はなかろう、と言われそうだが…。 確かにいじめ問題は身近なテーマではある。今現在も 武州生が中学校でいじめられ、学年中で問題になってもいる。それ一つとっても、何とも言えない気分にさせられるのだ。

 こうした複雑な問題を有識者(教育再生会議のメンバーを含む)や一部のマスコミは、いとも簡単に“白黒”決めて、何か分かったようなことを宣ふ。鬼の首でも取ったかのような口吻である。何と無責任な! 僕にはそれが腹立たしい。いじめは具体的な問題である。確かに共通項らしきものがあるように見えるが、まったく懸け離れていたりもする。ともかくややこしいのだ。

 確かに、いじめには、「この子が“何故”いじめられねばならんのだ?」といったケースが多い。謂れの無い暴力を受けたり、「キモイ」「汚い」「臭い」などの罵詈雑言や「シカト(無視)」で不登校になった生徒もいる。これはやっぱり問題に違いない。そうだ、いじめる奴が絶対に悪い。それは基本的には間違っていない。

 ところが、ずいぶん昔、僕の目には“いじめられているのでは?”と見える生徒がいた。時には一方的に怪我をしてきたり…。同級生の話によれば、軽い“からかい”からエスカレートしたのだと言う。それでも不思議にも、本人はあまり気にしていないようなのだ。だから僕は対応に窮して、とりあえず黙って時を過ごした。卒業してからだいぶ経って、その子に「中学の時いじめられていなかった?」と訊くと、「そんなことないよ、一緒に遊んでいただけだよ」と答えるのである。“本当かなあ”と今でも不思議に思うが、彼らにとっては、遊びの延長だったのかもしれない。

 また、いつもとても仲良しで「この二人、本当に仲がいいんだな」と思っていた子の一人が、卒業してから「実は俺、あいつからいじめられていたんだ、すごく嫌だったよ」と、胸のうちを明かす。うーん、どこにも“いじめのサイン”なんて見えなかったんだが…。まぁ、本人が嫌だったのなら、きっと“いじめなんだろう”、と後になって納得する。― いじめとは、「いじめられた子がいじめられていると感じればいじめである」、今ではこれが『いじめの定義』となっている。

 ところが、である。これまたずいぶん古い話だが、自分はいじめられていると思っているらしい女生徒がいた。気になって僕は様子を見ることにした。…が、どうも“いじめ”のようには見えない。だれでも普通にやり取りする軽い“冗談?”のようにしか見えないのだ。確かに心の行き違いは感じるけれど…。だがその子は何故かすぐ涙目になってしまうのだ。冗談を言った当人達も「どうして?」と不思議がる。メソメソするのを理由にした多少の“からかい”も混じっていたようには思うが…。そしてついには、みんな彼女から離れていってしまう。シカト状態になる。こうなるとますます“いじめられ意識”に拍車がかかる。僕が、落ち込んでいるその生徒に「あの子達もそんなに悪気はないと思うんだけれど…」と話しかけても通じない。「だって、あの子こう言ったよ。ああ言ったこともあるよ」と。やがて、彼女の心の鏡には 僕も味方とは映らなくなった。こうなると“困ったなぁ!”としか言いようがなくなるのだ。もしかして、背後にもっと深い問題があるのかな?と真面目に考えてみたが、ついぞよく理解できなかった。そして今、当時を振り返っても「あれは、彼女の感じ方のほうに問題があったのでは?」と思ってしまう。

 コメントする自信がないと言いつつ、やや特殊な経験談を羅列してしまった。きっと僕の捉え違いもあるだろう。それはともかく、このように個別具体的な問題は、まさに個別具体的に考えなくてはならないのだ。もちろん色々なケースを参考にするのは可能だが、それを一緒くたにし、「いじめとは…」と、訳知り顔の“無謬の評論家”を気取るのはやめようと思っている。
 僕がコメントできない気分になるのは“こんな時”である。

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-12-26 18:17

武州通信141号(2006・10/30)

 北朝鮮の核実験(10/9)。“日本も核を持つべきだ”なんて物騒な意見も飛び交っている。これまで長くタブー視されてきたあらゆるものが今では問われ始めている。いや、あまりにも軽々しく政治家(政治屋?)の言の端に登場する。
 今や“カードの配り直し(ニューディール?)”の時代に突入しているのは確かだが、慎重に、慎重に、お願いしたいね、政治屋さん! おっとっと、そうじゃなかった、政治家さん!

《必修科目履修漏れに思う》の巻

 高校の必修科目の履修漏れがこのところ大きな問題になっている。現在、41都道府県の高校409校(公立289校・私立120校)に履修漏れが確認されているらしい。とんでもない数ですね。恐らく「履修漏れとは知りつつ、受験のためには仕方なかった」というのが大方の理由なのでしょう。
 
 このような学習指導要領に違反する事態に陥った原因を「ゆとり教育」、殊に「週5日制になり授業時間が不足した」ことに求める意見もあります。でも、本当だろうか? どうも僕は首をひねってしまうのです。まあ、多少は関係あるかもしれませんが…。でも、週6日制のままでも多かれ少なかれ生じたことのような気がします。
 
 進学校にとって大学受験で合格実績を上げることは至上命令です。でも、そんなことはずっと前からあったことでしょう。ただ、このことが公教育の目的を忘れさせるほどに先鋭化したのが現在の問題だと思うのです。つまり受験中心の教育意識の拡大が“どん詰まり”の状態にまで行き着いた挙句が、この「必修科目の履修漏れ」だった、と。まだ私立高校の調査はあまり進んでいないようですから何とも言いようがないのですが、私立高校にはもっと多くの履修漏れがあるのではないかと想像します。何といっても、私立進学校は合格実績が命綱ですからね。

 ところでこの問題の矛先は僕達の側にも迫ってきます。確かに、“こんなことまでしてくれ”とは思わなかったにせよ、「自分の子をいい大学へ」という要求は進学校に向けられた親の最大の願いであったわけですから…。そして、子ども達も「できることなら無駄な教科に煩わされず受験勉強に専念したい」と思っていたに違いありません。もちろん、そのこと自体はなんら非難されることではないでしょう。ただ、こうした状況が時間とともに膨らんでいって、受験しか見えなくなり、進学校を盲目にしてしまったとは言えそうです。

 確かに、たとえ状況が進学校を追い詰めていったことが事実だとしても、ここには難しい問題が横たわっています。それは生徒に対して社会秩序を守ること、校則を守ることを教える学校が、そして教師自らが、社会規範に違反することを、どう考えるのか?という問題です。“受験のためには仕方なかった”ですか? “個人の利益のためには社会悪にも手を染める”ですか? 今では「大文字の社会」が見えなくなって、すべてが個人の利益に還元されているようです。もしかしたら、この問題は時期が過ぎれば消えてしまうのかもしれません。恐らく、かの進学校の人気も時を移さず復活することでしょう。うーん、これでは何も解決しませんね。ともかく、あちらもこちらも社会全体がモラルハザードの現状です。

 ところがこの問題は、国家のレベルでは、教育改革の素材として利用されることは目に見えています。確かに大きい問題ですから…ね。教育改革に利用するために為政者が意図的に暴露した、などと うがった見方をするのは、ここではよしましょう。それにしても今は“カードの配り直し(やり直し)”の時代です。変革の必要性は否定できません。確かにこのままで良いわけがない。それはその通りですが、「教育基本法」の改正論議の中身を見るだけでも真っ当な議論がされているようには思えません。進学校の「必修科目の履修漏れ」がモラルを逸しているにせよ、それだからといって現在の教育改革論がそのまま肯定されるなら、それは筋が違っている、と僕は危惧しています。そして、そういう意見に絡めとられる可能性が強いからいっそう怖い。

 何の“対案”も持たないこの手の意見はただの“ぼやき”でしかないとは分かっているのですが、この問題一つとっても、いやはや難しいですね。
 高校3年生の大学推薦入試のエントリーシートなどを添削しながら、時期が時期だけに、ついつい思わず書き綴ってしまいました。まぁ、この程度のありきたりな意見なら、ちょっと気の利いた高校生でも書けるでしょう。とは言え、これ以上の推測は揣摩臆測(しまおくそく)に過ぎる故、「封印」!?     

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-11-15 09:29

武州通信第140号(2006・9/21)

 秋篠宮ご夫妻に、9月6日、親王誕生。「悠仁(ひさひと)」と命名。つい先日まで物議を醸してきた女帝問題も、これにて一件落着?
 自民党の総裁選、9月20日、予想通り安倍晋三官房長官が 麻生太郎外相、谷垣禎一財務相を大差で破り新総裁に。安倍氏の公約、憲法改正、教育改革への道が! 
 さーて、どんな国になるのやら?

《二重生活の勧め?!》の巻

 Working Poor なる言葉が思いがけない浸透力を持って迫ってくる。簡単に言ってしまえば「働いても働いても(生活もままならない)貧困から逃れられない人」という意味だろう。ところが、日本経済は体力を回復し、“いざなぎ景気”と肩を並べるほど長期にわたる好景気だ、とも報道されている。本当かなあ? 僕達の日常感覚では“それってどこの国の話?”って感じ。富は一体どこに集まっているのかな? ほんの一部の人々の懐に…? この10年ほどの間に、階層格差・所得格差が急速に拡大している。日本はアメリカに次ぐ格差社会らしい。今はまだ親の財力にパラサイトできているから、それほど強くは実感できないが、いずれはやってくる生活苦。

 1990年代半ばから平成不況脱却のため「構造改革」が強行され、確かに不況の克服はそこそこ達成できたのかもしれません。しかし、そのために断行されたリストラ(社員削減)、正社員から非正社員(アルバイト、パートタイマー、契約社員)への切り替えという雇用形態の変化、さらには企業のダウンサイジング(規模の縮小=外注化)、という「構造改革」の手法が、労働条件の急激な劣悪化を招いている。たとえ正社員でも労働強化は免れず、朝早くから夜遅くまで働き通し。労働基準法ってまだ機能しているのかな?

 さて、このような経済システムは一刻も早く改善されねばならないのですが、なかなかその道筋が見えません。何はともあれWorking Poorたる若者には今現在が切実な問題なのです。職業を通して自己実現なんてほんの数%の人にしか可能性が開かれていない。ナンバーワンよりオンリーワンなんて歌があるけれど、生活に追われてナンバーワンどころかオンリーワンすら実現できそうにもない。そんな時代がやってきた。

 こんな中で、知人の吉田明さんは、ずいぶん前から「二重生活」の有効性を説いているのです。9月9日(土)の『オアシス武州』はその吉田さんにお話して頂きました。吉田さんは現在ビル・メンテナンス(施設管理)のお仕事をしながら、『現代教育問題研究会』という会を紺野正さんと一緒に主宰しているのです。まさに二重生活そのものですね。

 吉田さんは、仕事での自己実現なんて考えるより、仕事は自分のやりたいことを支える手段と割り切ったほうが生きやすい、と考えているようです。そう割り切らなければ、働き蜂のように仕事に追われ、いつまで経っても不満と愚痴の生活からは解放されないと…。でも、吉田さんの言うような都合の良い仕事があるのかな? ところが、社会的威信度の低い仕事の中には結構あると言うのです。確かに賃金は安いけれど、なんとか生活するくらいは保障されており、時間的にもゆとりがそれなりにあるらしい。吉田さんが「現代教育問題研究会」を続けられるのも、そういうことなのかもしれません。ただ、仕事自体は面白くもなければ、やりがいのあるものでもないから、仕事とは別にやりたいことのない人がこのような仕事に就くと、不満だらけの生活になってしまう、とも。でも、明確な目的や趣味があれば、その目的や趣味を支えてくれる仕事に対しての“ありがたさ”も自ずと生まれてくる、と言うのです。

 吉田さんのお話を聞きながら、僕のような白秋を迎えた年寄りならそんな割り切りも可能だけれど、将来の自分に夢を抱く若い人達にはちょっと酷かな?とも考えてしまう。だが、将来の生活に夢が持てなくなった現在のWorking Poorには、吉田さんの語る「二重生活」は有効なのかもしれません。もちろん、やりたいことのある人は、という条件付きですが…ね。
 
なんとも息苦しい昨今、二重生活、割り切って考えられれば、確かにこのような生き方も結構楽しいかもしれませんね。          

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-10-05 12:58

武州通信第139号(2006・8/28)

 延長、再試合、駒大苫小牧3連覇ならず、早稲田実業初優勝。夏の甲子園の決勝、本当に凄かったですね。早実の斎藤佑樹投手と駒苫の田中将大投手の壮絶な投げ合いは何とも感動的でした。日本中が沸きました。 
 世の中、こんな平和な話ばかりだといいのにな!!

《さて、人権?》の巻

 夏休みも後わずか。中学生は残った宿題に大わらわ。美術の作品に社会のレポート。そして、最後に残るのはやっぱり課題作文、これは例年の定番?です。中3の吉澤玄(ひかる)君は「人権についての作文」が、新井緋奈子ちゃんは「税金に関する作文」が…。いずれにしても頭が痛い。

 「人権」、これは大人でも難しい。人権って何だろうね? みんないとも簡単に口にはするが…。子どもの人権=子どもの意見表明権? これとて子ども達の身勝手な意見を 日々突きつけられて、もう うんざり…。  
 公民の教科書には、お気楽にも「わたしたちが自由に人間らしく生きていくことができるように、平等権、自由権、社会権、参政権などの基本的人権が保障されています」とか何とか書いてある。きっとそれはそうなんだろうが、ちっともピンとこない。いったい誰が人権を保障してくれるの? 国家? 社会? 世間?…、何だかあまり頼りにならないな。いつ梯子を外されるか分からないしな。

 「人権は、在野の思想家・関曠野さんによれば、もともとユダヤ教の“自分にしてもらいたくないことは他人にもしない”に由来しているらしい」とは、7月の武州大学のレポーター白崎一裕さん。なるほど神なら梯子を外すような卑劣なことはしないだろう。それに、人々も神の言いつけを破ると後が怖いし…。そういえば、人権思想が日本に輸入されたときも、馬場辰猪や植木枝盛は確か『天賦人権』とか言っていたな。「天が賦与した人権」か? 天だってきっと僕達を裏切らないだろう。それに、天に唾する行為はやっぱり恥ずかしいわな、人として。
 でもなあ、今では神や天がたそがれて、法律だけが人権を担保してくれるようになった。何だか人権は心許ないものとなった。それでも、僕らはこんな怪しげな人権の保障をよすがに生きるしか道はない。

 さて、人権。ところで、“自分にしてもらいたくないことは他人にもしない”、のならキリスト教の黄金律“自分がしてもらいたいことは他人にもしなさい”と同じこと? 「でも…、それって相手にとって良いこと(ありがたいこと)かどうかは分かりませんよね」と武州大学メンバーの田丸洋平君。なかなか言うな、洋平君。そうだよね。人にはそれしか方法はないけれど、それが反って相手を傷つけることにならないとも限らない。「なるほど、ところで田丸君は人権って何だと思う?」と白崎さん。しばらくの沈黙の後、小さな声で確かめるように、「そんげん」と。そんげん? そ・ん・げ・ん? そうか、なるほど「尊厳」か? 公民の教科書にもある「人間の尊厳」、陳腐に響くこの言葉が、このとき初めて重く 僕の耳朶(じだ)を打った。「尊厳」は、プライド(誇り)などという“軽い言葉とは根本的に違うもの”なのかもしれないな。何の根拠もなく、ただ、そんな気がした。
 ところで、「人間の尊厳」を、法律が、国家が、守ってくれるのだろうか? 確かにね、人を殺せば処罰され、人から侮辱されれば名誉毀損で訴えることもできる。これはこれで、きっとすごく大切なことなんだろうと思う。でも、これは「人間の尊厳」とはちょっと違う気がする。この問題は、法律とは完全には重ならない“人の生命(いのち)の尊さ”に沈潜した問題に違いない。このエゴまみれの世の中で、人権は、人間の尊厳は、どこに…。

 人権思想は一つのフィクションを必要とする。もともと人権を保障していた神や天が棚上げされた後も、「理性」の神聖性は、神々しく輝いて みなの心に宿っている、と。 何? 信じられん? だからフィクションだと言っているではないか? だがこのフィクションをどこかで信じなければ、人権なんてどこにも存在しなくなる、人間の尊厳なんて意味をなさなくなる。僕のようなエゴの塊には難しすぎるが、それでもフィクションに仮託して、「神聖なる正しい理性に従って生きよ」と…、これが人権を支える思想なのかもしれない。

 今は、法律はそこそこ機能していても、人権は麻痺して機能していない、そんな気がする。むっ、むずかしい。「人権作文」に悩む中学生諸君、頑張りたまえ。

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-09-04 12:30

武州通信第138号(2006・6/20)

 7月5日(水)の早朝と夕刻、北朝鮮の弾道ミサイル発射。しかも、テポドン2号、ノドン、スカッドC、計7発も…。日本海に着弾。確かに日本に向けてではなかったが…。「ついに撃ったか?」なんて他人事ではない。 
 外交も難しい時代になった。これを機に日米軍事同盟がさらに進展するのではないか? と、僕は気にかかっている。― アメリカは世界で最も危険な国なのだから…。

《これはやっぱり陰謀だ!》の巻

 武州のパソコンに迷惑メールが頻繁に入るようになってずいぶん経った。多いときには 100件近く、これはたまらない。必要なメールと迷惑メールの区別ができず、知らずして消してしまった必要メールが幾つもあったことだろう。ところがそれに引き続き、更なる困難が待っていた。受信機能が完全に不能となり、送られてきたメールがいっさい見られなくなったのだ。もうこれ以上は我慢ならん、と思っていた矢先、「ウインドウズ98とウインドウズMeの製品サポートが7月11日(日本時間12日)に打ち切られる」という報がテレビを通して流れてきた。 
 僕はこれを機会にパソコンを買い替え、プロバイダーもアドレスも替えることにした。機械音痴の僕は、新しいパソコンを前に悪戦苦闘。この1週間は授業時間以外の時間をすべてパソコンに費やしてもいいと覚悟を決めた。そう心が決まると不思議にも気持ちがすっきりし落ち着いてくる。ホームページについてだけは自分ひとりでは困難で、武州大学のメンバーの北原勇志君のお世話になった。これは本当に助かった。― こうして何とか一応片がついたときは、覚悟を決めてからすでに2週間近くが経っていた。もったいない時間だったと思いつつ、それでも色々考える時間でもあった。
 
 住所録の「筆まめver.10」は新しい機種には使えず、結局「筆まめver.16」を購入する。これも近々新しいヴァージョンが販売されるらしい。それに、僕の新機種に内臓の「ウインドウズXP」も「来年初めに次世代のビスタが発売されるのにあわせ、09年初めにサポートを終える予定」だと言う。何ということだ。僕はもはやパソコン無しには何もできない生活を送っている。というより、販売する企業の側からすれば、僕だけでなく、世界中の人々の生活をパソコン抜きには暮らせないように作り変えた、ってこと?…かな? 更に、かの大資本は、次々とヴァージョンアップし、余儀なく新しいソフトを購入しなくてはならないように仕掛けてくる。そんな気がする。これは明らかに企業戦略に他ならない。「ウインドウズ」のマイクロソフト社にしても、「筆まめ」のクレオ社にしても…。

 そうだ。地上デジタル放送問題も同じことだ。2011年7月には、僕のテレビは、いや日本中のアナログテレビは映らなくなる。まだ、現役バリバリのはずなのに…。テレビなんていらないよ、という浮世離れした人はともかく、今ではテレビのない生活なんて もはや時代錯誤の域に達している。これまでは、買うか買わないかは、消費者に選択の余地があった。たとえそれが誇大広告・過剰宣伝によるシャワー効果の結果だとしても…。確かに今回も買えないなら買わなくてもいいよ、ということなのだろう。しかし、生活の必需品となってしまった今、“いくらなんでも、それはないだろう!”と思う。フロンティア(新しい市場開拓)が望めないとなると、既存の消費者(保有者)を対象に、購買意欲に訴えるのではなく、購買強制を仕掛けてくる。これはつまり、企業の陰謀が、これまでより いっそう強力に、しかも確実に通ってしまう時代になった、ということか?

 このように憤りながら、その実、僕の買ったパソコンはDELL。グローバル資本の最先端にいるDELL。とはいえ、機能に問題はないし、何よりも安いし…。グローバル企業に嵌(は)められるままに嵌まってしまっている自分。
 割り切れない気分を抱えたまま、新しいDELLのパソコンに向かって、今『武州通信』を書いている。何とも妙な気分である!!    

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-07-29 14:37

武州通信第137号(2006・7/1)

 引っ張っても手繰っても、いつまでも先端が見えないヤブガラシ。根絶するために まさに根っこから引っこ抜こうと力をこめると、今度は中途でブチッと切れてしまう。本当に厄介な奴だ。 藪を枯らすから「ヤブガラシ」、とは よく言ったものだ。
  エイヤッ、格闘しながら、何だか、その生命力が次第に いとおしくなってくる。必死で生きているんだよな、こいつだって…。 

《南米から見た日本、変な国?》の巻

 もう17年も前になります。武州で中学1年生の英語を1年間担当して頂いた先生がいらしたのです。寺鍛冶(てらかじ)和子さんです。
 寺鍛冶さんは、7年程前に南米のパラグアイに移住され、以降しばしば当地の現状を僕に知らせてくれます。それを読むにつけ、日本にいてはあまり気づかないこと(何となくは感じているけれど)が書かれており、うーん、と考え込んでしまうこともしばしば。
 今号はその寺鍛冶さんの“最新の情報”を皆さんにもお送りすることにします。ここには日本に住む僕達に多くの示唆を与えてくれる内容が含まれています。では早速、寺鍛冶さんからの手紙(6月21日付)を全文掲載することにしましょう。

 いつも「通信」をありがとうございます。
 当地は、相も変わらず「自分の身は自分で守る」に腐心する毎日です。以前、新聞に、首都のアスンシオンでのひったくりや強盗に遭う邦人・日系人の件数はフランスの20倍という記事がありましたが、日本政府のバラまき援助では、こちらの単純な人たちが、日本人は大金持ちと勘違いするのも当然の成り行きです。
 先日も、授業中に日本語学校にピストル強盗が入ったのですが、大使館の役人は、外交官でありながら何も対処せず、「外交」ということは、無償援助の贈呈式だと思い込んでいるようです。昨秋、サンパウロの邦人紙に、日本の税金(大半が国債による借金)を湯水の如く浪費しているけれど、失業者や自殺者の血税が含まれているという投書をして掲載されたのですが、氷山の一角にもなり得ず、大使以下、ゴルフ三昧、ビザの手続きから、この7年間で改善されたものは皆無です。
 南米人というのは、何がなんでも自分が一番で、自分たちの生活を節約して、他人に分け与えるなんて想像もつかないでしょうから(モノもお金も、それに時間も)、日本人は余程余っていると考えるでしょうし、又、「ありがとう」も、その時だけで、お返しなんて頭になく、ひどい時には「貰ってあげている」という世界です。
 外務省というのは、どうしてこう訳もなく海外にペコペコするのでしょうか。こちらの付き合い方は、隣近所でも、知人・友人扱いだと、すぐにお返しが来るのですが、どんなにニコニコしていても、人種的に軽蔑していたり、階級社会のため、対等でないと思えば、貰いっ放しなのです(日本人だったら、うまく口実を作って受け取りませんが、その辺り、南米の中産・富裕層は物欲が半端じゃありません)。
 現地採用組は別として、本省からくる大使館員は、茶坊主にチヤホヤされて、任期の2~3年、スペイン語を勉強して、ひたすら栄転を待っている風に彼らの言動からは受け取れます。まあ、知らないだけで、アフリカはもっとヒドイという話ですが…。家計でもそうですが、ムダ遣いが過ぎると、いくら消費税をアップしても(日本の)台所は火の車、少子化に大騒ぎする前に、その少子層の未来の借金をどうするつもりなのでしょうか。地球の裏側で心配しています。                          K.Terakaji

 読んで頂ければ、僕がコメントをつけるのはもう野暮というもの。ただただ日本政府のしていることが如何に頓珍漢(とんちんかん)か!に気づかされるばかりです。価値観の違う諸外国に対し、金さえ出せば外交ができるという何とも安易な姿勢が、日本を(そして僕達庶民を)窮地に追いやっているようです。その上にあぐらをかいている大使館員の問題も無視できません。 南米より送られる寺鍛冶さんからのお便りは、日本にいては中々分からない貴重な情報です。
 こんなことを書きながら、無力な自分にガッカリする悦雄さんでもあるのです。           

(斉藤 悦雄)
# by bushu-semi | 2006-07-04 20:34

武州通信第136号(2006・6/20)

 『武州通信』を書こうとパソコンに向かい、ふと気になった。どうやら、このところの僕は、自分の世界にのめりこみ、自然の世界を忘れていたらしい。
 五月晴れのないまま、いつの間にやら梅雨になり、猫の額ほどの武州の庭はドクダミやヤブガラシが生い茂っている。そうだ、そろそろ外にも目を向けよう。内にこもるのはどうもいかん。 

《♪Salon Concert♪》の巻

 小金井市前原町5丁目にちょっと素敵な一角があります。いえ、町並みのことではありません。人のつながりのことです。今では大人になった卒業生の眞嶋麻衣ちゃん、う飼泰輔君・綾子ちゃん兄妹、それに藤田園子ちゃん・順子ちゃん姉妹、そのほかにも…、ともかくこの子達が塾生であった頃から、あの御近所には他のところとはちょっと違う優しさ、人の心の温かさ、があるようにずっと感じていたのです。まるで柏葉幸子の「霧のむこうのふしぎな町」?

 4月23日(日)、その前原町5丁目の素敵な一角でとてもオシャレな企画がありました。それが、この♪Salon Concert♪です。オペラ歌手として世界をまたにかけて活躍されている斉藤美智子さんのConcertです。斉藤さんは今では世界が舞台の…ですが、その昔、前原町5丁目に住んでおられ、この地の皆さんと親しく接していらしたのです。

 今は6月、あれから早くも2ヶ月が経ってしまいましたが、今思い出してもなんとも素敵なコンサートでした。さて、そのオシャレな企画とは…。
 会場はというと、STUDIO“M”、実は眞嶋さんの御自宅なのです。もしかして最初からコンサート会場に変身?できるように設計されたのかな、と推測したくなるようなお家です。とても広くて、一階と二階が吹き抜けになっていて、全く圧迫感を感じさせない部屋。やっぱり何かの目的が…???
 しかも、このコンサートの企画はすべて近所の奥様方が一致団結して実現したものです。つまり、先のう飼さんや藤田さん眞嶋さんそれに近所の皆さんが中心の…。この団結力は何と言ってもすごい。しかも、あらゆるものが手作りで温かく。  
 歌手の斉藤美智子さんのソプラノの素晴らしさはもちろんのことですが、選曲も、「ある晴れた日に」(『蝶々夫人』より)などのオペラ曲のほかに、「さくらさくら」「早春譜」「浜辺の歌」「荒城の月」など、なじみの深いものも多く選ばれており、その気配りがなんとも心憎い。一曲一曲を聴き進むにつれ、何だかしみじみとした気持ちになってくるのです。とりとめのない思い出が浮かんでは消えていくのです、まるで静かな泡のように…。今はもう忘れてしまったけれど、確かにずっと昔こんな気持ちになったことがあるなぁ…と。春は名のみの風の寒さや♪ あした浜辺を♪ 春高楼の花の宴♪ ― どうやら、僕はずいぶん長い間、こうした懐かしい心の歌から離れて生活してきてしまったようです。斉藤美智子さんの透明に広がるソプラノの歌声や、佐川初音さんの澄んだピアノ伴奏やソロを聴きながら、少しずつ心がほんわりと柔らかくなっていくような気がしてくるのです。
 ずいぶん多くの方が聴いていらしたけれど、どの方もきっと僕と同じように感じたのではないかと想像しています。
 その後の交流会もお手製のケーキなどで和やかな感じがなんとも温かくとても爽やかな印象が残っています。こうした中にもこの地域に独特の優しい香りが漂ってくるのです。 前原町5丁目の一角に今も息づくこうした関わりの深さは、今ではもはや少なくなっているのかもしれません。

 でも、どこにも御近所さんはいるものです。そこにも、ここにも、ほらね。どういう関わりを作るかはそれぞれなのでしょう。僕の家族にも…、子どもが小さかった頃住んでいた梶野町時代からのお付き合いは今でも続いています。妻はよく一緒に旅行に出かけますし、僕もパソコンで本当に困ったときにはSOSをだして相談にのっていただくこともあります。

 もしかしたら、「霧のむこうのふしぎな町」の温かさは 皆さんの身近にも密かに息づいているのかもしれませんね。 

 (斉藤悦雄)
     
# by bushu-semi | 2006-06-27 14:54

武州通第135号(2006・4/12)

 この季節にしか姿を見せない景色って確かにあるものです。
 野川沿いの枝垂桜の並木は今が盛り。黄金色の山吹や連翹(れんぎょう)を、 淡いピンクの枝垂桜が √(ルート)のように優しく包む。そんな幻のような光景が延々と続く。この季節が過ぎると、何の変哲もない いつもの野川に戻るのだろう。 
 風に舞う花吹雪 そのひとひらひとひらが 夢のような幻想の世界に僕らを誘う。心を乱すこの花は やっぱり―“魔性の精?”。

《博士の愛した数式》の巻

 何号か前の『武州通信』について、次のようなメールがあった。
> 私も最近、「人の心」なんて考えてます。
> すれ違い、ボタンの掛け違い、ちょっとした一言で通じそうな事が通じ
> ない、 一言が出ない、一言が溝を深める。
> こんな事を考えていました。
> 言葉、気持ち、形の残らないものが軽~く扱われ、見過ごされてしま
> ってる、でもみんなそれらを求めているんじゃない?なんて…

 何だかちょっと気になっていた。ずーっと気にかかっていた。確かにそうだ。「言葉」「気持ち」「形の残らないもの」、これらをみんな求めているんだ。それなのに何故かギクシャクしてしまう。すれ違ってしまう。これは明らかに人間の性(さが)だ。
 【言葉】:本能の欠如した動物がそれを補おうとして編み出した手段?
 【気持ち】:個々人の胸の内を去来するその人固有の感情?
 【形の残らないもの】:優しさ、楽しさ、苦しさ、欲望、嫌悪に憎悪…?
 確かにこれらは何とも厄介だ。それでも、いやそれだからこそ、人は“分かりあいたい”と熱望する。手の届かないものほど手に入れたくなる。泣きたくなるほど欲しくなる。名月を取ってくれろと泣く子かな、だ。

 このところ『博士の愛した数式』(小川洋子著)が大流行? ついに文庫本になって新宿「紀伊国屋書店」で平積み山積みになっている。そんな『博士』を見るにつけ、何だかこれって違うなぁ、って思わず感じてしまう。それに映画にも、となると一層…。人の心を見透かしたような商業主義にはガッカリしてしまう。こいつは売れるぞ、人の感動も商売商売!― もう こう感じてしまうと僕の気分は一気に臨界点に達してしまう。押しつけられた感動なんて真っ平だ!!

 さて、嫌味はこれくらいにして、その実、僕は『博士の愛した数式』が結構気に入っているのです。では、商業ベースにのる前に出会ったからでしょうか? いやそれだけではなさそうです。それは数年前のこと、卒業生の松本ゆいちゃん(現18歳)から手紙を頂き、他ならぬ“ゆいちゃんからの推薦状”付きで『博士』に出会ったからに違いありません。

 事故にあい80分しか記憶できなくなった老数学博士、シングルマザーの家政婦と彼女の10歳の息子、この三人の間で繰り広げられる切なくも心温まる物語。更に数式の不思議が美しく…。その10歳の男の子に博士がつけた愛称、それはなんと√君(ルート君)。― まあ、これから読む人のために解説はここまでにしておきましょう。

 ところで、『博士の愛した数式』、これは先に挙げた「言葉」「気持ち」「形の残らないもの」が主題です。僕があのメールに心を留め、『博士』の物語を愛するのも、きっと僕の中にもそれらを希求する気持ちがあるからに違いありません。やっぱり僕も見果てぬ夢を追っているのでしょう。まるでギリシャ神話の<パンドーラーの匣(はこ)>です。好奇心にかられて匣をあけたパンドーラーの前に、中から 災厄、恐怖、憎悪…が立ち昇る。恐れおののくパンドーラー。でも、最後に匣の底に残っていたのは、―“希望”―。あまりにも有名なお話ですが、それだけに、人びとの“苦悩”とそれに続く“一筋の希望”が 誰の心にも潜んでいるとも言えそうです。「言葉」「気持ち」「形の残らないもの」に一縷(いちる)の望みを託して人は生きていくのです。ゆいちゃんご推奨の『博士の愛した数式』は、そんな儚い最後の拠り所を描いているのかもしれません。

 商業ベースにのってあの純朴な博士は嬉しいのかな? まあ80分で全てを忘れてしまう博士のことだから気にならないのかな? などと、益体(やくたい)も無いことを思いつつ、優しく可愛いゆいちゃんに感謝!!

(斉藤悦雄) 
# by bushu-semi | 2006-05-27 13:41

武州通信第134号(2006・3/31)

 トリノ五輪は荒川静香選手の金メダル1つ。ちょっぴり国民は欲求不満? そんな中、初のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、日本、奇跡的に世界一(3/21)。日本中が異様に燃えました。
 日本はなんとか平和です。 

《嗚呼“戦争”の思い出》の巻
 
 今年は太平洋戦争が終わって61年目。歴史の一巡、戦後もいつの間にか還暦を過ぎました。3月11日(土)の『オアシス武州』のテーマは、語れる人も少なくなった「嗚呼“戦争”の思い出」。お話して頂いたのは黒坂盛三さん(75才)でした。武州では昨年7月から「介護予防教室」を開いていますが、メンバーは黒坂さんお一人です。でも僕は黒坂さんとの語らいをすごく楽しみにしているのです。とても博識で前向きで、いつも圧倒されています。語らいの断片に「戦争の思い出」が含まれており、いつか纏まった形でお話して頂きたいとの思いが日々募ってきたのです。僕一人にではなく、若い人達にも…。

 黒坂さんは小学生の後半は阿佐ヶ谷に住まわれ、中学2年生のときに信州 上田に疎開されたのでした。遠い遠い昔のことです。

 昭和17年、大学生であったお兄さんが徴兵される直前「日本は負ける」とお父さんと話しているのを偶然耳にし、小学生の黒坂さんは強い衝撃を受けたと言います。しかしそれは、話の内容にではなく、「我が家に国賊がいる!」という、驚愕に近いものだった、と。「神国日本は負けない」という風潮の中で育ったのですから当然なのかもしれません。重い疑惑に打ちひしがれ黒坂さんは、お兄さん出征の壮行会に意識して参列しなかったと言います。その後、お兄さんのセブ島(フィリピン)での戦死の報が…。しかも、戦後ずいぶん経って分かったこと、それはセブ島では戦争はなく、全員餓死だったということ。「せめて一言“頑張ってきてね”と快く別れたかった」「本当に後悔していますよ」と、しみじみと…。忘れたくても忘れられない辛く悲しい別れです。

 それに、戦争の意識を象徴する衝撃的な思い出もあります。小学4年生のとき、子ども達が戦地の軍人に向けて慰問袋を送ったのですが、そのお礼にと戦地から送ってきた写真、つまり、子ども達が“いいなぁ、たくさんのスイカだ!”と羨んで見た写真、それは…。何ということでしょう、切り取られた中国人の頭の山だったと言うのです。これが戦争の日常感覚なのでしょうか?

 また、東京の中学生の頃は、弁当はいつも腰から離さなかったそうです。と言うのも、身につけていなければ何時・何処で・誰に盗まれるか分からないから…。クラスの三分の一は弁当を持ってこれず、自分達だけ食べているときの 彼等の恨めしそうな眼差は今でも忘れない、と。そんな時代だったんですね。

 しかし他方、疎開地に着いて驚いたのは、田舎の学校ではみんな勉強をやっていたこと。東京の学校では学徒動員や勤労奉仕ばかりで勉強なんてしていなかったのに…。とは言え、「授業禁止命令」が出てからは、出征兵士留守宅の農作業を手伝う日々だったようです。こうして比較的穏やかだった疎開地にも戦争の影が徐々に忍び寄ってきたのです。

 また、黒坂さんは疎開していて空襲を経験していませんが、空襲の悲惨さについては、幸いにも参加者のお一人、高原文子さん(当時高等女学校4年・現76才)からお聴きすることができました。因みに、東京大空襲(S20・3/10)では死者10万人、負傷者11万人、100万人が家を失ったと言われています。最後の空襲(5/25)に遭われた高原さんは「逃げる場所が違ったら私の命はなかった」と…。戻ったときには家は全焼し蔵が燃えている最中だったとのこと。家に戻る道すがら「自分の家だけが残ったら嫌だな」と漠然と思ったと言います。個人主義の今の感覚からすればちょっと不思議な気がしますよね。焼け出された高原さんのご家族は、焼け残ったトタンの上に、着の身着のままで、寒さに震えながら寝るしかなかったと言います。罹災後は隣組の助け合いが…、これは隣組の良い面ですが、隣組には怖い面もあります。戦争への疑問すら口が避けても言えず、もし不用意に口にすれば非国民とされ村八分になる恐怖も背中合わせだったのです。

 ともかく戦争は、戦争そのものの恐ろしさも然る事ながら、人の意識を変えてしまうことに一番の怖さが潜んでいるようです。人を殺すこと、死ぬことへの恐怖が徐々に麻痺し、やがて意識そのものが変貌してしまうのですから。

 黒坂さんも高原さんも話し上手で、参加者全員が頷いたり笑ったりでした。普段は中々耳にすることの少ない貴重なお話でした。黒坂さんのお孫さんで武州の卒業生である山田早織さんも初めて聴いたお話だったようです。

 物質的に満ち足りていながら精神的に迷走している現在、僕達は、何を考え 何をしたらよいのでしょう?

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2006-03-31 17:20

武州通信第133号(2006・2/2)

 眠い、ねむい、ねむーい、ともかく眠い。風邪に見舞われ、先週以来ずっと体調が思わしくない。熱は高くても38.5度程度だったから、まあ大したことはないのだが、しばらくするとまたウトウトし始めるのである。これには困った。このままあの世へ直行か? と思ったり…。 

《安易な危機管理の時代?》の巻

 朦朧とした頭で『武州大学』(1月28日)を終え、翌日『現代教育問題研究会』の「塾講師大学生小6女子殺害事件を考える」(1月29日)の司会をし、そして帰宅してまた一眠り。ホリエモン逮捕、耐震偽装、東横イン問題などのニュースを遠くに聞きながらボンヤリと数日が過ぎる。夢うつつの中で、“なんだ社会問題なんて個人的なことに比べれば大したことはないんだな?”なんて思っている自分にちょっぴり呆れながら納得する。

 ところで先の『現代教育問題研究会』では、『アエラ』に「あぶない塾講師の見抜き方」という記事を編集執筆された有吉由香さんに講師の一人としてお話しして頂いた。題名も凄いですよね。確かに大手の塾にはこんな事も起きているのか?と唖然とする事例もたくさんあるのだが、有吉さんも言われるように、このようなタイプの人はどこの世界にも一定の割合で存在するのでしょう。塾で起こったということは、この手の人はどこにでもいるということをあぶり出しただけなのかもしれません。

 さて、かの塾講師の事件以来、学習塾の業界団体である「全国学習塾協会」は、何をとち狂ったのか「塾講師向けの検定試験制度を2007年度から開始する」と発表(1月11日)しました。まあ、僕はこの協会に参加していないからどうでも良いようなものなのだが、この検定試験制度は厚生労働省の外郭団体の補助を受け、経済産業省もそれを支援するらしい。もしかしたら僕達のような小さな塾にも影響が出るかもしれません。世の中の不安心理はマスコミを通して掻き立てられる。そして、事の本質を考えずに「危機管理の急務」だけが煽られてしまう。「検定試験制度」によってかような事件を防ぐことができるか否かの議論もなしに、“ともかく制度を作りましょう”のような安易な結論の出し方が僕には疑問が残るのだ。業界団体の策定する検定とは「倫理綱領や行動規定を元に研修を行い、学力だけでなく研修の理解度、関係法令知識などの筆記試験をし、更に本人の授業をビデオで撮り、言葉遣いや服装や態度をチェックする」というものらしい。これで何が分かるのか?「心の闇」は検定試験で見つけ出すことはできないだろう。そんな単純なことすら不安心理の裏にかき消されてしまう。ああ馬鹿らしい。

 最近の風潮の中では、何でもこんな流れで進んでいく。僕達が本当に考えなくてはならないことはもっと違ったことなのでは? とボンヤリと思う。では、何をどう考えたらよいのだろう? これまた分からなくなっているのが現代なのだ。だから一気に「何でもよいから危機管理の強化を!」となるのだろう。

 全てが時代の一時的な気分に流されてしまう。落ちた神、ホリエモン然り。耐震偽装然り。それはそれとして、それぞれが自分の足場をもっと見つめなくてはならないはずなのだ。有吉さんは、“塾は成績を上げることだけが求められている”と語る。だが僕は「それは違う」と強く思っていた。少なくとも僕はそんな風には考えていなかったからだ。成績を上げること、それは確かに塾に求められる大きな要因だろう。だが、僕はそれが全てだとは思ってはこなかったのだ。塾にできることはそれだけではない、そう思えるから僕は塾をやり続けてきたのだ。だが、現実の中では「僕自身がただの消費の対象」になってしまっているのを感じてもいる。現代は人そのものが消費の対象にしか見えなくなっているのかもしれない。人の心も金で買える、現代の神・ホリエモンの言葉である。確かに今ではホリエモンは神の座から滑り落ちた。だが、資本の世界は健在?で「人の心は金で買える」の気分は至る所に息づいている。塾に必要なのは成績の向上だけではない関わりの意味なのに…。危機管理もそんな時代の表面的な弥縫策にすぎないに違いない。

 時代遅れの僕は睡魔に襲われながらボンヤリとこんなことを考えている。

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2006-02-20 11:43

武州通信第132号(2005・12/26)

 2005年も大晦日が近づいています。僕は今年ほど月を眺めて家路についた年はないでしょう。と言うのも、小4の持田優子ちゃんの授業で「月の学習」をしたからです。月の動きについて頭では知っていたのですが、こんなに楽しみながら夜毎“お月見”するなんて…。

 12月14日、赤穂浪士の討ち入りの晩、満月に近い 明るく冴え冴えとした月光に「ああ 討ち入りの日も こんな月明かりの夜だったんだろうな!」なんてね。不意に“月の満ち欠け”と“歴史”が重なったりして…。夜空もなかなか風流なもんですよ。 

《塾講師、お前もか?》の巻

 早いものですね、昨年(2004年)6月1日に佐世保市で起こった小6の御手洗怜美さんが同級生の女子児童に殺害された事件から一年半が経ちました。つい最近のことだったように感じるのですが…。

 今年も、たくさんの子どもの(あるいは子どもによる)殺害事件が発生しました。思いつくまま掲げても、「2月4日:母親の目前で乳児が刺され死亡(愛知県安城市)」「2月14日:小学校で卒業生少年が教師刺殺(大阪府寝屋川市)」「6月22日:両親殺害容疑で高1長男逮捕(東京都板橋区)」「11月12日:同級生の女子殺害容疑で高1男子生徒逮捕(東京都町田市)」「11月22日:ペルー国籍の男、小1女児を殺害(広島市)」「12月2日:行方不明の小1女児が遺体で発見(栃木県今市市)」、そして「12月10日:塾講師による小6女児刺殺(京都府宇治市)」…と。うーん、思いつくまま挙げてもこんなにたくさんだったとは? お前は何を好んでこんな痛ましい事件を列挙するんだ! とお叱りを受けそうですが、僕には何が悲しくてこのような事件が多発するのか分からないのです。いえ、全く分からないわけでもないのです。でも、“何でかな?”と思うのです。

 僕は塾屋ですから、今月起こった「塾講師による小6女児刺殺事件」は特に不思議です。不思議でも何でもないけど不思議です。と言うのも、ついに来たか!という思いとともに、他方で塾には起こり難い事件だとも思うからです。  
塾も人の集まりです。トラブルが生じることは完全には避けられません。しかし、「塾には起こり難い事件だ」と書いたのには理由があります。つまり、塾のシステムからすれば「起こり難い」ように思うのです。

 塾は学校とは“あり方”がずいぶん違いますよね。学校を替える(転校する)ことはなかなか難しい。義務教育では、(だいぶ緩くなってきたけれど)通学区が決定しているのですから…。私立だって一度入学すれば転校は心理的に難しい。だから一度学校でトラブルが生ずれば、それが硬直化し、解決するのはとても困難になりやすいと言えるでしょう。しかも先生は絶対的な評価権を持っており、それが問題を複雑化することにもなりかねません。ところが、塾はその点気楽です。嫌ならやめることが簡単です。それに、塾による評価は無視することができます。だからこそ塾は誰からも守られず大変なんだけれど…ね。それはともかく所詮「塾」です。これが、僕の思うシステム的に「起こり難い」理由です。

 さて、今回の京都で起きた事件の特異性はどこにあるのでしょう? 犯行に及んだ塾講師の同志社大学生は一体何故? ここでも被害者の堀木紗也乃さんは事件前にその講師の授業をはずしてもらっていたようですから、それなりに塾のシステムは機能していたはずです。ならば何故そこで終わらなかったのか? わざわざその子だけを教室に残して殺害に及んだのは? ここが不思議なのです。その講師は「(紗也乃さんから)嫌われ、憎かった。この世からいなくなってもらうしかないと思った」と供述していると言います。この報道が正しければ、この事件は僕の思う“システムによるガード”を超えてしまっているとしか言いようがありません。恐らく「心の闇」の問題だからでしょう。

 確かに、たとえ塾でも、個人的に生徒と教師の合う合わないは避けられません。僕にだってないわけではないのです。ただ、“面白いな”って思うのは、性分が合わないと思っていた生徒と すったもんだを繰り返した挙句、いつの間にか仲良くなっているということを幾度か経験したからです。何はともあれ「関わりの醍醐味」というほかありませんね。― “あの青年もこんな関わりを一度でも経験していれば、もっと違った思い方ができたのでは?”と、ふっと悲しくなるのです。  
 
(斉藤悦雄)                   
# by bushu-semi | 2006-02-04 18:58

武州通信第131号(2005・11/3)

 夏の虫が弱々しく飛び交う。この夏、ツマグロヒョウモン(漢字で表すと“端黒豹紋”か?)という美しい蝶の姿が異様に多く目についた。こんな夏は初めてだった。
 ―  もはや蝉の声もなく、秋の虫すら声を失っている。今はすでに晩秋の候。

《電子辞書》の巻

 高校生の授業では「先生、“電子辞書”貸してよ?」ということが結構多い。
つまり、すべての高校生が手にするまでには、“こやつ(電子辞書)”はまだまだ普及しきっていないのである。

 僕が電子辞書を手にしたのは3~4年前のこと。それまでは「電子辞書を使うなんて邪道だよ。普通の辞書の方がその前後の言葉も覚えられるからね」などと語ったものだ。今となれば何ともお恥ずかしい限りだが…、ひとたび手にしてからは こやつの魅力にすっかり取り憑かれてしまったのだ。なにしろ、一つの電子辞書に「広辞苑」「漢字源」「カタカナ語新辞典」「ジーニアス英和辞典」「ジーニアス和英辞典」「英語類語辞典」が収まっている。歩きながらでも気になった言葉を調べることができるのだ。つい先日も道路の段差から足を踏み外し、危うく転けそうになった。おっと危ない危ない。ともかく、こやつは中々スグレモノなのだ。転びそうになるくらいスグレモノなのだ。
 とはいえ、まだ電子辞書に反対の守旧派?の方も多いかも? 「これでは辞書の引き方も知らない子どもが増えるだけだ」云々。そうかもしれない。いや、きっとそうだろう。でも“楽で便利で…”の流れには逆らえないだろう。一度手にしたら、もう元には戻れない。

 最近『<現代家族>の誕生』(岩村暢子著)という本を読んだ。戦後の家族は、僕が電子辞書を手にした時のように、次々と新しい文明の利器を取り入れてきた。電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機(「三種の神器」1954年)や電気炊飯器の購入から始まって、カラーテレビ、カー、クーラーの3C(「新三種の神器」1966年)、そして、その後も電子オーブンに電子レンジ……、と。僕達は「楽・得・便利」を求めて戦後史を駆け抜けてきたのだ。確かにそれは悪いことではなかった。生活は豊かになった。

 ところが著者の分析によれば、だいたい1960年(昭和35年)以降生まれの若いお母さんは、料理を作ることはできるのだが、それを毎日作ることに耐えられない、と言うのである。三度の食事を作るのがカッタルイ。中には“コンビニ弁当だけで子どもと夕御飯”なんて家庭もあるらしい。何とも侘しい夕食ではないか。家庭のことより「(自分が)楽なの」が大事? 個人差もかなりあると僕は思っているので、その意見を鵜呑みにするつもりはない、が…、だからと言ってその傾向を否定することもできない。事実、僕らの世代にもこの感覚は強まっている。豊かになり便利になるとは、こういうことだったのかもしれない。
新しい文明の利器を手にするとき、多くの人はこんな結果を予想して取り入れたのではなかった。きっと古き良き風習はいつまでも残り、新しい利器の良い部分だけが新たに加わる、と何となく信じていたはずだ。

 電子辞書に首っ丈の僕は、新しい文明を取り入れてきた戦後の心性を身近に感じつつ、これからどういう世界がやってくるのだろう? と、ちょっぴり落ち着かない気分になる。一度手にしたらもう元には戻れない。洗濯板での洗濯なんて! 竈(かまど)に薪をくべての炊飯なんて! 冷凍冷蔵庫のない毎日の買い物なんて! テレビのない退屈な日々なんて! 電子レンジのチンの音のない食卓なんて!…こんなの かったるくてやってらんないよ。太宰治じゃないけれど、子どものことより自分が大事? 周りのことより自分が大事? その結果、面倒なことはしたくない、「(自分の)楽しい時間」が一番大事? かくして家族も世間もバラバラになった? まあこれって極論ですがね。しかし、我が身を振り返って「私は絶対に違う」と言い切れる人はどれくらいいるのだろう?

 ところで、最近妻も携帯電話を使うようになった。我が家で携帯のないのは僕だけだ。車の免許がないのも僕一人。“一体どういう生活を送っているんだ、お前は?”。いいもんね、僕には電子辞書があるもんね。

 かくして「愛する電子辞書」と「恐るべき?本」を通して、僕は戦後の流れに とつおいつ想いを馳せるのだ。この先一体どうなることかと…。

《11月3日、今日は奇しくも「文化の日」!!》 

(斉藤悦雄)
 
# by bushu-semi | 2005-11-05 14:50

武州通信第130号(2005・9/25)

 郵政民営化に反対する議員を公認せず、刺客と呼ばれる対立候補を立てて衆議院総選挙(9月11日)を戦った自由民主党。そして大勝したのも自由民主党。なるほど、時代の流れは…。

《魅惑する「きり絵」の世界》の巻

 このところ、僕は「ずいぶん遠くまで来てしまったな」と感じることが多くなった。遠くまで…、そうか、馬齢を重ねるとは、こういうことだったのか?
 「以後」は「以前」と連続しているはずなのに…、黙々と人生を歩んでいるうちに、いつの間にか不馴れな土地に迷い込んでいた、そんな感じだ。僕の原点は一体何処にあるんだろう? 遥か昔どこかに置き忘れてしまったのかな? それとも、そもそも原点なんてあったのかな???
遠くに埋もれて見えない原点、不透明な現在。その間にポツネンと僕はいる。

e0049938_17453299.jpg荒木隆一さんの「雪のきり絵」には、僕の忘れさった原点を偲ばせる不思議さが宿っている。9月17日(土)の『オアシス武州』は、8年振りに、きり絵作家であり俳人でもある荒木隆一さんの「雪のきり絵」のお話でした。8年前の「ゆきぐにの“きり絵”」には、今思い起こしても、まるで絵巻物を見ているような魅力がありました。
 そして今回の作品は、和紙や布を配した荒木さん独自の世界が…。素材を生かした荒木さんならではの、つまり、きり絵の常識を超えた“新しい作風”です。芸術家はこうして進化していくんですね。
 【豪雪山家】の雪の表情は、和紙の特性が生かされ、豪雪地帯の自然の重厚さを醸し出す。それでいて母と子の二つの影から家路につく弾んだ気持ちが伝わってきます。きっと家には楽しい家族と暖かい囲炉裏が待っているのでしょう。何だか家の中の温もりや香りが漂ってくるみたいです。
e0049938_17413643.jpg 静謐な【野辺送り】、幼い妹さんの死という子どもの頃の衝撃の体験が、エメラルドグリーンの雪景の中に映し出され、哀切さを見る人に訴えかけてきます。昔はこうして死者を火葬場までそりで送り、静かにしずかにその死を悼んだのでしょう。そして、まるで、白銀の世界が人々の悲しみを優しく包み、冬枯れの木々が“幼き魂”をひっそりと見送っているかのようです。
e0049938_17493453.jpg 雪に化粧された【冬たなだ棚田】、今でもこんな風景がどこかに残っているのでしょうか? 純白の雪に縁取られた田んぼの漆黒。「初雪が 一夜で描く 水墨画」、春雪子(荒木さんの俳号)の俳句もなかなか見事です。
 その他にも多くの作品を見せて頂きましたが、どの作品もこうした柔らかい冬景色でした。薄墨色の空、どんよりした鈍色の空、今にも雪になりそうな鼠茶色の空、空の色のひとつひとつが多彩な雪の世界を演出します。
 僕はこのような豪雪の冬を経験したことがありません。それなのに、何故か懐かしさがこみ上げてきます。こころの「ふるさと」、もう決して帰ることのない、帰ることのできない こころの「ふるさと」。僕の原点の風景はこんなところにあるのかもしれません。
 参加した皆さんはどう感じたのでしょうか? “雪のきり絵”に何を思ったのでしょう?
  
 荒木さんのきり絵の世界に、遠い昔の自分(原点)を重ねてみる。何故か淡い雪片がキリキリと舞い降りてくる。
 突然、しかめっ面の現在が顔を覗かせる。僕達はどこをどう迷うて、この不透明で不確かな土地(現在)にたどり着いたんだろう。      

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2005-10-04 13:25

武州通信第129号(2005・8/4)

 蒸し暑い日が続いていますね。夏期講習も中盤に差し掛かり、いつものことながら、そろそろ疲れが出始める頃。でも、夏休みは、これまで積み残した課題を整理するには絶好の期間です。
 さてと、夏期講習 もう一踏ん張りしようかね。

《勉強の仕方がわからない?》の巻
 
 いつも当惑させられる言葉、それが、この「勉強の仕方がわからない」という言葉です。更に困惑するのは、親御さんから「うちの子“勉強の仕方がわからない”らしいんですけど、勉強の仕方を教えてやってください」と、何とも心配顔で頼まれる時です。こうした子どもの「呟き」や親御さんの「頼み事」はずっと以前からあったけれど、最近ますます増えているように見えます。ところで、何故僕が当惑したり困惑したりするか?と言うと、勉強の仕方は、授業の中で(その子に合わせて)常々教えているからです。
 子ども達に「勉強できるようになりたい?」と尋ねれば、恐らく大半が「なりたーい!」と答えるでしょう。そうだね、なりたいよね。ところが、いざ勉強を始めると、面倒臭そうに気もそぞろになってしまう生徒がいます。そしてやがて「勉強の仕方がわからない」。これには閉口します。もちろん、意欲的にやっているのに思ったようにいかない場合もあります。その時には、一緒にその子に合った「勉強の仕方」を考えることができます。ところが、そういう子は「勉強の仕方がわからない」とあまり訴えることがありません。恐らく勉強しながら自分で克服して行くのでしょう。
 僕は時々思います。子どもの言う「勉強の仕方を教えて?」は「“簡単に勉強できる仕方”を教えて?」と置き換えたほうが良いのでは? と。うーん、そんな都合のいい方法があるのなら、僕が教えて欲しいよ。確かに楽しく学ぶことは可能ですが、そのためにも一定の「忍耐」は不可欠だと思っています。少なくとも、面倒臭がっていないか? 真面目に問題に取り組んでいるか? 丁寧に考えているか? この三つは最低限の心的アイテムです。これなくして「勉強の仕方」はありません。勉強の仕方以前の心性です。やる姿勢がゼロではどうにもなりません。ゼロには何を掛け算しても結果はゼロですからね。
 「勉強の仕方がわからない」と声を発する時、そこには「勉強したくない」との思いが裏張りされていることが多いように感じるのです。つまり、“面倒臭さ”が“わかりたい”に勝っている状態です。まぁそう言い切ってしまうと ちょっと酷かな? 今まではしなかったけれど、もう限界だ、そろそろ何とかしようかな? と思い始めたのかもしれません。でも、やろうとは思うけれど、どうやったらいいのか“わからない”。そうだね、じゃあともかく勉強を始めてみようか? ただその時にネックになるのは先の三つの心的アイテムです。「何とかしようかな?」が軽い気持ちだとすぐに挫折します。これには、そこそこ覚悟が必要なのです。場合によっては生活全般に大きな変化を要することもあります。まぁそうは言っても、あまりビビルこともないけれど…。
 勉強なんて対人関係と比べれば方法は簡単です。屁の河童です。繰り返しますが、面倒臭がらず、真面目に問題に取り組み、丁寧に考えれば、出発点に立てるのですから。そして、ともかくその姿勢で、先ずは勉強に取り組んでみること。そうすれば自分に適した「仕方」がうっすら見えてくるものです。その時始めて、僕は一緒に考え、教えることができるのです。どうです、簡単でしょう? もちろんこの姿勢を実行し続けることは大変です。でも、方法はこのようにはっきりしているのです。
 何だかお説教臭いですね。ああ嫌だ嫌だ。それはともかく、子ども達を取り巻く環境がのっぺりしていて、けじめが無い。時間だけがダラダラ過ぎてゆき、気だるい気分が蔓延している。そんな時代だから“あの呟き?”が増えているのかもしれません。こんな時代に机に向かうことは確かに苦痛を伴うとは思いますが、勉強とは“強いて勉める”ことです。無理することです。ダラダラ、フラフラしていてはできません。のっぺりした時間の中でのっぺりと何時間も机に向かっていてもできません。「どうでもいい」と諦めているのなら別ですが(武州は塾ですからこれでは困りますが)、少しでも「やってみようかな?」と思うなら、しっかり自分を見つめて 覚悟を決めて 納得できるように頑張って欲しいと、僕は心より願っています。そう、あの三つの心的アイテムを胸に刻んで…。

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2005-08-04 20:00

武州通信第128号(2005・7/23)

 テロ報道に釘付けになった7月。7日と21日にロンドンでイスラーム過激派による同時爆破テロが、そして今日未明、エジプトでも…。痛ましいことです。日本もやがて標的に? でも、イラクでは連日テロが…。なのにイラクについては馴れっこになり、さして気にもならない。これがエゴであるのは言うまでもない。
 しかも“イラク戦争という名のテロ”の親玉はアメリカやイギリスであり、日本がそれを容認し追随していることすら もはや忘れ始めている。これもエゴであるのは言うまでもない。

《人間関係の難しさ》の巻

 今月の『武州大学』(7月16日)は、この問題、「人間関係の難しさ」がテーマだった。副題は「世話になること、世話すること」。何故こんなテーマに?  実は数ヶ月前、この厄介な問題が 突如 浮上したからです。 
 武州大学では、聴覚障害をもつY君のためのノートテーカー(レポーターの話を筆記する人)が必要であり、メンバーが交替で毎回それを引き受けています。ただこれだけのことですが、ここにも関係の難しさ、ややこしさが潜んでいるのです。つまり、最近 ノートテークするメンバーとY君との間で気持ちのズレが生じてしまったのです。要約すれば、ノートテーカー同士の間で「Y君から“ありがとう”という言葉を聞いたことがないよね」ということが話題になり、それがY君に伝わったことから食い違いが始まったようです。Y君はそのようなことを陰でコソコソ囁くのではなく、直接伝えて欲しかった、と…。しかも耳の聞こえない自分には、この問題は一生つきまとう重大事だと深刻に受け止めたのです。その気持ちも分からなくはありません。Y君の過去の生活で幾度となく経験した苦い思いを髣髴とさせたのでしょう。でも他方、かのメンバーは?というと、ごく普通の話題のつもりであってそれほど深い意味はなかった、と…。僕にはそれもよく理解できるのです。ノートテークの大変さは僕も知っていますから、きっと単に“ぼやいた”だけに相違ない。
 ところで、Y君の場合は、聴覚に障害があることで難しさが増幅することが多いのですが、こうした気持ちの行き違いは、“人と人との関わり”にはつきものです。恐らく誰でもいつかどこかで経験していることでしょう。ただ、近頃、こうしたことで立ち直れないほど傷つく人が増えているような気がします。
 もう忘れてしまったのですが、僕にもこのようなことで深く悩んだことがあったのかもしれません。というより、僕は人一倍不器用な人間なので、こんなすれ違いを常に起こしていたように思うのです。今でも不器用さは少しも直っていませんが、「亀の甲より年の功」ですかね、さして悩まなくなりました。
 でも、若い頃、カミュの『シーシュポスの神話』が大好きで、この年になってもしばしば想い起こすのですから、そんな場面で真剣に悩んだことがあったのでしょう、きっと…。
(僕の解釈する)カミュによれば、“世界”も“人の心”も基本的には「非合理」、つまり完全には理解できないのです。だから、すれ違いが無意味な空回りを見せ始めると、僕は「是非も無し(仕方ない)」と、割り切ってしまいます。泣いても喚いても「是非の無い」ものは「是非も無い」のですからね。
 それに、このような人間の限界(非合理)を悟らず、他人の心を詮索し悲嘆に暮れるより、非合理であることを前提にしながら、それでもなお一緒にいたいとする「郷愁(ノスタルジア)」を僕は大切にしたいのです。つまり「非合理」なるが故に「郷愁」に駆られるというカミュの《不条理》ですね。このジレンマは人間に与えられた性(さが)に違いありません。
人は「不条理」なるが故に、今度は孔子の言う「忠恕(誠実さと思いやり)」が僕にできる唯一の行為となります。ところがこれとて、自分にできる「忠恕」とは?と言う難問に出会い、不器用な僕は立ち往生します。それに、たとえそういう思いで行動しても、これまた人との間の「非合理」を避けることはできません。いくら忠恕を尽くしたつもりでも、相手によってはピエロになってしまう。これも「是非も無し」です。それでも、この感覚が僕の“習い性”となり、悩み苦しむことからずいぶん解き放たれているような気がするのです。
 ― 前回の『武州大学』で僕が ひたすら考えていたのはこんなことでした。他人が自分をどう見ているか、どう語っているかに拘泥しすぎると、禍々しいイメージの海に溺れるだけです。反省するのも忠恕のうち、自分にできる限りの忠恕を尽くしていればそれでいい。そんな気がするのですが、いかがなものでしょう? 

(斉藤悦雄) 
# by bushu-semi | 2005-07-23 19:59

武州通信第127号(2005・6/13)

 雨上がりの黒く湿った土。さーっと“お日様”が顔を見せたかと思うと、すーっと翳ってしまう曇り空。
濡れた土のくぐもった匂いが大気を包む。雨上がり、ふかみどり深緑一色の物憂げな風景に 梅雨を見る。

《束の間の学び?》の巻

 今年は、特殊相対性理論の発表から100年、アインシュタインの死から  ちょうど50年目に当たる。100年前と言えば1905年、日露戦争の年である。日露戦争と相対性理論? この取合せを考えると どうも頭がこんがらかってくる。それに、アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのが、なっなんと26歳の時、いやー、やっぱり天才は違うわ。
 先月末、中間試験が終わったばかりの高校生達は何だか気の抜けた炭酸ソーダのように何処となくピリッとしない。もっとシャキッとせんかい! そんな腑抜けた空気の中、何でもありの橋本恭平君(高2)の「ねぇねぇ、相対性理論って何?」という突然の一言がみんなの目を覚ました。「えっ、何でまた恭平が相対性理論?」。思わず恭平君の顔にいくつもの視線が走る。彼によると、通学電車の“吊るし広告”の中にその言葉を見つけたのだと言う。今年はアインシュタインの記念の年、いろいろな特集が組まれているのだろう。それにしても文系の僕に相対性理論を質問するなんて、なんて奴だ! ぷんぷん。

 それでも、「時間の短縮」の公式を説明し、そこそこ理解してもらうことができた?と思う。えっへん。いやいや、何を隠そう、これは最近「武州大学」でやったばかりだからね。本当はヒヤヒヤものだったよ。これ以上質問されたらどうしよう? 幸か不幸かそれを超えて相対性理論について食い下がる現代版アインシュタインはいなかった。
 それに引き続き「絶対性」と「相対性」について話が広がってゆく。これが中々難しい。アインシュタインによれば、すべてが相対的で、絶対的なものは存在しない。強いてあげれば「光速の不変性」くらいなものだろう。池上拓君  (高2)の指摘する『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著)然り。確かにゾウの時間とネズミの時間は相対的なものでしかない。しかし、相対的な時間なのにその生物にとってそれは絶対的な時間として存在している。でもね、生涯の鼓動の総回数は一緒なんだって! ただ、ゾウさんの鼓動はドッッックン、ドッッックンと遅く、ネズミさんのはドクドクドクドクと早い。こうしてそれぞれの時が刻まれる。彼らは天から与えられた自らの時間(鼓動)を絶対的なものと感じて生活し、安定した生を営んでいるのだ。
ところが、こでちょっと待った。上沼悠史君(高2)が「歴史教科書問題もそれと同じなの?」と…。そうだよね、ちょっと違うかも? それぞれの国がそれぞれの都合や価値観で歴史を解釈する。解釈されない生の歴史なんて存在しないのだから、絶対的な歴史など想像しても意味をなさない。うーん、困った。これは「ゾウの時間ネズミの時間」のように簡単には答えが出せないぞ。絶対的な歴史は存在しないのに、それぞれの国が自分の歴史観をあたかも絶対的なものとすることで国の安定を図ろうとする。だが、それだと他の国は自分の国の歴史観を否定されたことになる。人間の営為は主観を抜きには語れないから、悠史君の疑問は大きな壁にぶつかる。― どうやら話は尽きないらしい(と言っても高校1年生と3年生は音無しの構えだったが…)。

 何だかややこしい通信になってしまった。ともかく、こうして定期試験後の授業に面白い話が咲き乱れることもままあるのだ。そんな時、この問題意識をずっと持続して欲しいと思わず期待してしまう。だが、そんなはずもなく、“これこそが本当の学びでは?”なんて心ときめくのは僕一人? 結局ほんの一瞬のあだ花に終わってしまう。残念!! 折角の興味もそれ以上深く追究されることもなく宙に浮き、期待も虚しく、その後はまた次の定期試験や大学受験に向けての果てしない勉強に舞い戻るのだ。《ああ、やんぬるかな、学校!!》
― でもね、素朴ではあるが、こんなに楽しい質問を連発する彼らに、僕はまだまだ希望を失ってはいないんだ、実は!!

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2005-06-13 19:58

武州通信第126号(2005・4/23)

 今年も我が家のアマリリスが咲いた。“ラリラ リラリラ 調べはアマリリス ♪♪”…子どもの頃、幾度となく口ずさんだ「アマリリスの歌」。でも昨年まで、どんな花かはついぞ知らなかった。さぞかし小さな可愛い花だろうと想っていた。いやはや直径20cmもの“豪華”な花だったとは!
 断片的にしか覚えていない「アマリリスの歌」を口ずさむ。すると不思議なことに、我が家の大輪のアマリリスではなく、子どもの頃 密かに心に描いた“ピンクの可愛い花”が甦ってくる。

《愛国無罪?》の巻

 最近メディアを賑わしているのは、中国の反日デモ。大きなものでは、4月9日北京市で約1万人、10日広州市で約2万人、16日には上海や抗州で数万人。インターネットを介して広がり、1000万人以上の反日署名も…。さすがに人口13億人の中国である。それに日本製品の不買運動の拡大や日本企業が出資するスーパーなどが破壊され、邦人留学生二人が暴行を受けた。さらに日本大使館への投石も…。「愛国無罪」、これがこの反日デモのスローガンだと言う。中国の長年にわたる反日教育の成果だとも語られている。それに、日本国内では日本政府の対応の不甲斐なさに不満の声が…。
 デモの原因は、周知の通り歴史教科書問題に端を発して、日本の国連安保理常任理事国入り問題、それに尖閣諸島(中国名・魚釣島)問題、小泉首相の靖国神社参拝問題、と多岐にわたる。もちろんその背景には日本の侵略の歴史が深く関わっているのは言うまでもない。
 あまりにも ありきたりのことを書いてきた。こんなことは、この間の報道で、武州のどの生徒も知っている。しかし、この問題を深く考えようとする生徒はいない、いや橋本恭平君(高2)を除いては…。日本の近現代史に関心を寄せる最近の若者の多くは保守的な思想に陥りやすい。過去の忌まわしい歴史は水に流して…、ん?、ちょっと違うな、あの時代は戦争の時代、勝てば官軍負ければ賊軍、だから日本だけが悪いんじゃない。まあここまでなら僕も同感だ。だが、そこから一気に、あの戦争は大東亜共栄圏を守る戦争であってアジアを救う聖なる戦いだった(つまり侵略戦争ではなかった)へと進むのが保守の思想。だから日本人はもっと自らの歴史に自信を持つべきだ、と(そして近年、これは「愛国心の涵養」と言う名で日本の政治の主流になりつつある)。― かの国の愛国心に対しては自国の愛国心で…、これではちっとも埒が明かない。ちょっと視点を変えてみよう。 
 今回の反日デモの映像を見ていて、あれっ?と思ったことがある。デモ隊の警備に出動している武装警察部隊の装備である。何だかどこかで見たことがあるぞ。透明な覆いのついた投石よけのヘルメット、紺色の出動服、それに大きな防護盾も!! そうだ、あれは1960年代に我が国でお馴染みだった機動隊の姿そのものだ。まるで瓜二つではないか! どうやら、日本の機動隊の装備をその後韓国の警察部隊が模倣し、中国はそれを輸入したものらしい。日本発、韓国経由、中国便? なんとも妙な気がしてくる。
 それに、日本製品の不買運動や日本企業への襲撃事件も考えさせられることが多い。日本製品といってもどこまでが日本製でどこからが中国製なのか分けられない。資本は日本でも、その企業の従業員は中国人だし、そこでの商品も中国産が大半に違いない。グローバリズムの波は日本だけでなく確実に中国も飲み込んでいる。
 …と、なると、「愛国無罪」も行き過ぎると「愛国亡国」になるんじゃないかな?なんてね。でも、これは中国だけのことではないよね。日本にだって言えること。もはや時は過去をはるかに通り過ぎ(もちろん歴史を無視することはできないが)、過去を理由に他国をラディカルに批判することが困難な時代になったのかもしれない。それぞれの国が相手国抜きには自存できなくなったのだ。現在の国民国家は、リゾーム(根茎)のように世界に深く絡み合った資本の網を前提にしなければ語り得なくなったということだ。中国の反日行動を通して世界の姿が見えてくる。もしかしたら、今は、既知の意味での「国民国家」のたそがれどき黄昏時かもしれないな。― 恭平君と話しながら僕はこんなことを考える。
 恭平君は「先生は僕に感謝しないとね! 僕と話すとボケた頭が活性化するでしょう?」と なんとも小癪なことを言う。 

《「歴史の改釈」と「愛国無罪」、どっちにしても悲しいぞ!》

(斉藤悦雄)
# by bushu-semi | 2005-04-23 19:56