武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信第165号(2009・2/23)

 今日は都立高校一般入試の日。この日と合格発表の日は、僕にとって一年中で一番緊張する日です。焦らずこれまでの成果を存分に出して欲しいと願っています。この日ばかりは生徒を信じるしかありません。先生なんてなんとも無力な存在ですね。 

《ローリスク・ハイリターン》の巻 

 経済の世界には「ハイリスク・ハイリターン」という用語があります。「危険(リスク)は高いけれど、うまくいけば高い利益(リターン)が得られる」とでも訳せば良いのでしょうか? 多くの利益を得るには危険が伴うというのは、まあ当然ですよね。ところが、今号の話は「ローリスク・ハイリターン」です。えっ「危険が少なくていっぱい利益があるんだって?」「 そんな美味しい話はどこ?」、なんてキョロキョロしてもダメ。これは経済の話ではありません。残念でした!!

 前号の《学校生活、起・承・転・結》について 第8期生である大塚玲二君(37歳)から珍しくメールが届いたのです。彼は、学生時代にアメフトに燃え、その後銀行に勤め、今では二人の男児のパパになりました。以下、玲二君のメールの一部を転載します。ローリスク・ハイリターンのお話です。

 (前略)… 日本的作文手法の『転』の意味合いとはちょっとズレますが、ただ単に日々を流れるままに過ごす(orこなす)のではなく、≪能動的≫に自ら『挑戦』『冒険』すべきではないかと…。これが学生生活における『転』になるのでは、と思います。学生時代に臨む『挑戦』『冒険』の最大のメリットは、「ローリスク・ハイリターン」ということです。
 『挑戦』『冒険』が成功・目標達成すれば当然満足できます。当たり前ですね。そして『挑戦』『冒険』が自分の目指すところまで到達できなかったとすれば失敗と判断し、不満足な思いをするでしょう。ただし、じゃあ失敗して何か失うものはあるでしょうか。時間と労力と金銭を物理的には失った、と思うかもしれません。でも、なんにも『挑戦』『冒険』しないで友達とダラダラ楽しく過ごしていても、少なくとも時間と金銭の浪費は伴うでしょう。それよりも『挑戦』『冒険』に挑んだチャレンジ精神、トライしている途中での様々な経験、失敗した時の悔しさ、成功した時の達成感、なぜ失敗/成功したかをその原因追究まですればその探求心はその後の人生に意味を持ちます。そしてなにより『挑戦』『冒険』を経験したことによる自信・誇り!…等々。
  (こんな表現は学生さんに怒られるかもしれませんが)所詮「学生」のすること。責任は感じて欲しいですが、責任を取るのは周りの大人がすれば良いのです(『挑戦』『冒険』する前にちゃんと周りの大人達にオーソライズしておけば更にリスクヘッジになりますね)。失敗しても周りの大人達が尻拭いしてくれますよ! 仮に責任を取ってくれる大人達が周りにいなくても、学生本人は「やばい、大変な失敗をしてしまった~」と思っても、人生経験豊富な大人達から見れば大した失敗ではないのです。学生が自分で自分の尻を拭ってみると、経験が無いからビビっているだけで、意外と自分で簡単に拭えるものだったりするのです。ですから、家や通学途中にPSPに夢中になったり、ファミレスや繁華街でダラダラと過ごすより「他にやるべきことは幾らでもあるだろ!」と言いたくなります。かくして大塚玲二も中々頑固なのです。…(後略)

 面白いですね。どうやら「転」にもいろいろあるらしい。それに、金融業界にいると使う用語まで違ってくるんだなぁ、と。学生生活は能動的に活動すれば「ローリスク・ハイリターン」なんだね。それに周りの大人は学生にとって「リスクヘッジ(危険の防波堤?)」になるんだね。そう考えてみると玲二君の言うように、学生は能動的に「挑戦」「冒険」しないと損だよね。うん、なるほどなるほど…。まあ、「挑戦」「冒険」が大麻だったりするとヤバイけれどね。  
 それはともかく、以上、玲二君の「ローリスク・ハイリターン論」でした。

 さて、このように大人になり社会人となりそれぞれの人生観を語るようになる卒業生が多くなると、現在の生徒に対する僕の見方も以前とはずいぶん変わってくるのです。それぞれがいろいろな経験を踏みしめて、そのうち僕を乗り越えていく。そんな将来の彼らを想像すると、現在の生徒達の如何なる姿も決して否定ばかりはできなくなるのです。そして、卒業生はみんなそのことを意識させる大きな存在になっているのです。そうです、今の生徒達だってやがて僕をうならせる存在に…。                 

(斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2009-02-27 17:30
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