武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信157号(2008・4/26)

 “春に3日の晴れなし”とは、よく言ったものですね。今にも泣きべそをかきそうな曇り空。あらら…、とうとう泣き出しちゃった。
 ハナミズキ、そぼ降る雨に濡れそぼつ。

《孫と縁》の巻

 僕の塾仲間のあいだには「孫」という隠語?がある。先日も静岡の塾仲間から「うちにもついに初孫が来たよ」と、心から嬉しそうな声が受話器を通して流れてくる。「うん、それはそれは良かったねぇ」と僕。「孫」とは言っても、孫ができたよ、ではなく、孫が来たよ、である。そう、「孫」というのは卒業生の子どもが入塾したことを意味する隠語?なのだ。何十年も地域で塾を開いていると、こういう楽しさがやってくる。

 武州には、今、二人の孫が通っている。一人は長谷川雄紀君(中2)。雄紀君のお母さんは長谷川(旧姓・吉野)真紀ちゃん、第7期生である。いやはや親子といえども性格は対照的で…。女と男の差もあるのかな? 当時の真紀ちゃんは おっとりしていて真面目を絵に描いたような女生徒だった。いや、雄紀君が不真面目だ、ということではないですよ。雄紀君は元気いっぱいでとても活発な男の子。時には「こらっ!」コツン、もあります。でも、くりくりしていて何とも憎めない。僕としては、“爺(じじ)の言うことを聞いていれば損はないぞ!”っていう気分かな? これが、爺と孫の関係?

 さて、もう一人の孫は、というと…、こちらは “関わりの毛色”がちょっと違っていてこれまた面白い。孫の名前は、篠原宏太君(高1)。とはいえ、宏太君のお父さんは武州の卒業生ではないのです。でも、やっぱり僕にとって宏太君は孫なんですよ。“へぇーどうして?”ですか? それはね…、
 話は30年前にワープします。武州を始める前年です。そのころ僕は小金井ゼミナールという塾(今はもうありませんが)でアルバイトの講師をしていました。その塾で僕が教えた最後の生徒に、篠原健(たけし)君、そうです宏太君のお父さんです、がいたのです。あの当時の生徒もみんな活発で元気がよかったなぁー と、しみじみ思い出します。その元気のいい生徒の一人が篠原健君。その塾では 僕は英語を教えていました。健君は英語のできる生徒。でも、数学は苦手だったのかな? あるとき英語の講師である僕に、数学(因数分解だったような?)を教えてぇー!と…。僕は数学の講師にすまなく思いながら教えたことを覚えています。彼は忘れているかもしれないけれど…。それはともかく、彼は僕が  武州を開いた後もしばしば(武州に)顔を見せてくれました。こうして健君は僕の可愛い教え子(武州0期生?)そして宏太君は僕の孫なのです。面白いことに、中学2年の宏太君が入塾したとき、先ほどの真紀ちゃん雄紀君の場合とは異なって、あれっ お父さんにそっくりじゃん!…と。いや、顔のことではありません。そのー、どう言ったらよいのかな? 何気ない身振り素振りが? うーん、ちょっと違うな。何となく伝わってくる微妙に漂う雰囲気が?でしょうか。 はたまた英語が得意なところまで! ― 何はともあれ、こうして僕は、孫二人、そして生徒みんなに「塾業」を楽しませてもらっているのです。本当にありがたいことです。

 ところで、話は変わって、先の小金井ゼミナールの経営者であった坂口貞義先生とは年賀状を通してお付き合いを続け、また『武州通信』をお送りしているのですが、時々返事を頂くことがあります。先日は、この前の「オアシス武州」へのお心付けまで頂き恐縮しました。ところで、その封書の中に、坂口先生自らの「私の歩いてきた道」という文章が同封されていたのです。小金井ゼミナールを経営されていた頃も塾だけでなく手広く活動されていることは知っていましたが、この文章を読んで、改めてその幅の広さとエネルギーに感服。戦後の混乱期から現在までの御苦労、御尽力、僕のような塾一筋でしかない柔な輩(やから)には計り知れないものがあったのだろう、と想像しきりです。それはともかく、僕にとって、塾を経営するのは楽しそうだな? ひょっとしたら自分に向いているかも? と思わせてくれたのが小金井ゼミナールであったのは間違いありません。

 どうやら、“縁は異なもの味なもの”らしいですね。この諺の「縁」というのは男女の縁のことらしいけれど、ここでは意味を広くとって「人と人との繋がり」ということにしておきましょう。確かに、楽しいこと嫌なこと、それがどこでどう繋がるかは分からない。そうです、“縁は異なもの味なもの”。   
 つまり、こういうことです、《 だから人生は面白い!! 》 

 (斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2008-05-04 19:30
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