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武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信第182号(2010 ・ 8/26)

 どうやらこの夏は1995年の記録に迫る気温の高さのようです。1995年といえば円高の最高記録1ドル79.75円を出した年です。そして今年は15年振りの高値で、8月24日には 1ドル83.58円を記録しました。うーん、何でも記録に残ればいいってものじゃないんだけどなぁ!! 

《近現代史は面白い》の巻

 8月は終戦の月。上旬はテレビも戦争物ばかり。太平洋戦争の悲劇を風化させないためにもこれは必ずしも悪いことではない。でも…しかし…。8月16日以降はぴたっと番組表から戦争物が消えるのは一体何故? 単なるお祭り(記念)に過ぎないからなのか?

 今でも世界の各地では戦争が繰り広げられている。夏期講習で「先生、同時多発テロっていつあったの?」「イラク戦争って、イラクとどこの戦争だったっけ?」なんて質問されると、「あれっ!」という気分になる。いや、別に質問した生徒を馬鹿にしているのではない。僕にはつい先日の出来事のような気がしても、中学3年生にしてみれば記憶にないほど遠い昔のお話なのだ。何しろ彼らはあの円高のそして暑いあつい1995年生まれなのだから…。そうか? そうだよね! 同時多発テロは6歳のことでありイラク戦争も8歳のこと。だから彼らがもはや歴史上の事件としてしか感じないとしても、ちっとも不思議はないのだ。若い世代の歴史、僕の世代の歴史、そして戦争経験者の歴史、そこには簡単には埋められない感覚のギャップが横たわっているに違いない。こうして子ども達の素直な発言を前にすると “現代も歴史の中にあるんだなぁ” と、ちょっぴり新たな気分に包まれる。

  『武州大学』では今年の1月から7月まで 『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著・朝日出版社)を学んできた。正直なところこの本が特に面白い本だとは思わないが、この7回シリーズの研究会に向けて色々調べてきたことはとても意味があったように思っている。近現代の戦争史を具体的に調べてみるとハラハラドキドキの連続なのだ。特に太平洋戦争に至る過程は “どうしてこうなるのかなぁ” “なんでここでこんな判断をするのかなぁ” と疑問が膨らむ。まぁそれも今から見れば…、の話だけれど。しかも、あらゆるものが絡み合って、ずるずると蟻地獄に引きずり込まれていく必然性のような不気味さも味わうことになる。歴史を学んでこんなハラハラドキドキしたのは初めてのことだ。

 たとえ、時のベスト・アンド・ブライテスト(世界で最も聡明な人)をもってしても計り知れないもの、それが時々刻々姿を変える現実、つまり歴史なのだ。意図的な判断と偶発的な出来事、為政者の勘違いとボタンの掛け違い、これらがどんどん予期せぬ方向へ仕向けていく。それに “戦争は嫌だ” という国民の移ろいやすい感情だけで何とかなるようなおめでたい話でもないことにも気づく。

 確かに歴史は事後的に(決着のついた後に)姿を現す亡骸なのだが、僕達の現在も、日常の中で当たり前のように感じている姿でさえ、実は歴史の1コマであり、誰も期待しない思わぬ方向へスッと動いてしまうものなのかもしれないのだ。…かくして歴史は現在の政治・経済を考える「練習問題」にもなる。

 僕達の世代は、近現代史、中でも戦争について苦手な人が多いような気がしている。中学・高校の歴史の授業は時間が足りなかったのか、近現代史は中途で終了。大学入試で日本史でも選択しない限り出合う機会は少なかった。いや、もしかしたら、日本が起こした戦争を学校で教えることは長い間 教育界のタブーであったのかもしれない。そして…今でも??

 もともと僕は歴史や政治経済は好きな方なのだが、それにしても六十の手習いで漸く近現代史の奥深さが分かるというのは“何ともはや…” もっと早くに気づいていたら…。だが、こうした面白さは学校の授業や受験勉強で得られるものではなさそうである。僕がこのようにハラハラドキドキして学んだことも恐らく生徒に伝えることはできないだろう。きっと、それは、個々人が関心を持って主体的にそこに飛び込まない限り開花しない “はにかみ屋”の花に違いない。
 
 「こんなに面白いのに」と思いながら、相変わらず「1931年満州事変ね」「日中戦争は1937年だよ」…と事実の羅列の無味乾燥な説明に終始している自分にちょっぴり腹が立ってくる。― そして “君たちがもう少し大きくなったら一緒に考えようね” と見果てぬ夢を追いつつ僕の夏期講習が終わる。

(斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2010-09-02 12:24
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