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武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信第179号(2010 ・ 4/17)

 前号で、小さな冬が舞い戻ったような寒さです、と書いたのですが、なんのなんの、大きな冬が戻ってきた感じですね。 
 今朝、東京に41年ぶりの遅い雪が…。41年前(1969年)? 僕はまだ大学3年生。人生や社会のことを色々考えて…、あれっ今もあまり変わってないなぁ。 ― 雑然としたあの頃の街並みの幻影が くすんだ薄もやのなかに 浮かんで消える。

《置いてきぼり》の巻

 ぼんやりしていると、ふと耳にした昔の生徒の声が甦る。あの子あんなこと言ってたっけ、と懐かしくなる。確かT君だったな、あれは。ずいぶん時が過ぎたような…、いやそれほどでもなかったような…。 

 T君は、その場で理解することはできるけれど、新しいことを学ぶと、以前学んだことがあやふやになる生徒だった。その日も新しい英語の文法を学びながら以前の内容が…。うーん、どうも困ったなぁ、と思っていると、T君の口から突然、「ボクの脳味噌に もっとうまく “上書き保存” できないかなぁ!」と、こちらの気持ちを見透かしたかのように絶妙な一言。これまでに覚えた知識は残して置いて、新しく学んだ内容を上書きして保存? なるほど、確かにそれができれば最高だよね。「うまいこと言うなぁ。君って中々頭いいねぇ」と思わず吹き出してしまった。それと同時に、僕の胸の内に、なぜか さぁーと一陣の“切ない風”が吹き込んできた。

 人というのは面白いもので、ぼんやり考えているからといって、日常生活とまったく脈絡のないことが頭に浮かぶわけではないらしい。T君の言葉を思い出したのには、おそらく教科書の改訂がちょっと気にかかっていたからに違いない。来年2011年度からは小学校の、再来年2012年度からは中学校の教科書が新しくなる。量も多いが、理科・算数・数学は内容もずいぶん増える。実は昨年から前倒し的に新しい内容が加わっているので既に始まっているとも言えるのだが、新しく加わった内容は無理に増やさなくてもよいものがほとんどである。特に、算数・数学では、小6の「ならべ方と組み合わせ方」の単元や「量と単位」の単元、中1の「図形の移動」「投影図」や「資料の散らばりと代表値」の単元、それに中3の「標本調査」の単元などは何もここで入れなくてもいいのでは?と思ってしまう。お役人ってほんとに何も分かってないなぁ、としみじみ思う。そんな時、僕は 「子どもと身近に接したことのない彼らは、深く考えもせず “学力低下問題=ゆとり教育批判”から身を守るために、辻褄合わせに新しい単元を付け加えただけなんだろうな」 なんて想像してしまう。しかも、国民の多くも教科書改訂の浅い報道を耳にして、その場の気分で 「学力がつくからいいんじゃないですか」 と、これまた諸手を挙げて賛成するから困ってしまう。でもね、間違いなくこれまでより “ゆとり” もなく、さっさと先に進むことになるんだよ。本当にそれでいいのかな? どう考えても、要らない単元を増やしたところで学力が向上するわけもなく、むしろ勉強の分からない子を増やし、かえって学力を低下させるだけに相違ない。

 それはともかく、僕にとっては目の前の生徒のことが気にかかる。僕の可愛い生徒達を、行政の “無思慮な判断” で苦しめるのは、どうにも許せん。…なんて力んでみせてもなんとも無力なのだが。「T君、こうなる前に卒業できて良かったね」 とも思えるけれど、今度はもっと大変な新しいT君が…。

 高校3年生の篠原宏太君がふと漏らした一言がT君の言葉に“上書き”される。文系の宏太君は数学から解放される高3になって 「数学って、こっちが理解する前に勝手にさっさと先に行っちゃうんだよな」 と回顧する。宏太君は決して数学ができない生徒ではありません。いや、彼のように、できる生徒でさえ感じてしまう この “置いてきぼり” の気分。これが僕には気にかかる。これからは、宏太君のあの嘆きは小学生・中学生にまで…。

 ところで、T君はどんな思いであの一言を発したんだろう? 「子どもはコンピュータじゃないんだから “置いていかないでよ”」 なのかな? それとも 「僕には無理だよ!」 なのかな? ― 子どもの口から思わず漏れ出る言葉は、ときとして僕の胸にずっしり重くのし掛かる。しかも、悲しいことに 時を隔てて さざ波のように押し寄せてくるのです。
 
(斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2010-04-20 12:22
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