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武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信第175号(2009・ 12/28)

 小金井市の「開かずの踏切」がようやく解消。12月6日、JR中央線の三鷹-国分寺間の高架化が遂に完成したのです。その中間にある小金井市もこれまでは踏切で分断され「北」と「南」が遠かった。夏の炎天下、冬の寒風、遮断機の前での数十分、イライラが募る、こんな気分が今後はなくなるのです。
 長年の念願成就なのですが、臍曲りな僕ことです、時が経てばあの“もどかしさ”が懐かしく思い出されるのかもしれません。

《オペラ座の怪人》の巻

 いよいよ2009年も残りわずかになりました。今年を振り返って何が困ったか、と言うと、読みたい本がなくなってちょっと閉口していたのです。何を読んでも、ちっともワクワクせず、そこここに既知感が漂い、かといって、どんな本にも納得できず、何だかつまんないなぁ、という気分が襲ってくるのです。こんなことこれまでにはなかったんだけどなぁ。 きっと、一筋縄ではいかない時代に、つまり既成の価値観では捉えきれない時代に突入したからなのでしょう。

 ところで、本題の『オペラ座の怪人』。 僕の気分がこんな状態なので読みたくて読んだというわけでもないのです。こんな時には“小説”でも読むしか気を紛らす術がありません。では、何故「オペラ座の怪人」? それはね、実はひょんなことから読むことに…。と言うのも、高校生の授業でのこと、H君(高1)の学校での英文テキストに「オペラ座の怪人」があり、和訳を少し手伝ったのが事の始まりです。さして難しくない英文なので訳は簡単なのですが、どうやら僕の知っている「オペラ座の怪人」とは内容がずいぶん違っているような気がしてきたのです。とはいえ、僕の知っている「オペラ座の怪人」などと言っても、ずいぶん前にテレビで放映されたものを観ただけだし、うろ覚えで記憶も怪しいものなのですが…。何はともあれ直接「本」で確かめてみることにした。早速購入して読んでみると、先の高校のテキストは(ダイジェスト版だとはいえ)さすがに内容はそうズレてはいないようだった。ミステリーの古典であるこの作品は、ストーリーにちょっと無理もあるけれど、怪人の悲しい恋物語でもあり、きっと怪奇ロマンの名作の一つなんだろうな、と思う。

 さてそうなると、僕の観た映画は一体? 僕の記憶違いだったのかな? と、次から次へと気になってくる。もう一度観てみたい想いが強くなる。とはいえ、近くにあったレンタルショップはずいぶん前に店じまいしてしまったし、ちょっと離れたレンタルショップ“ツタヤ”は何処にあるのかな? 息子に相談すると車で連れて行ってくれると言う。まぁこうなることを心のどこかで期待していたのだけれど…。ずるい親父である。そして優しい息子である(ここでちょっとヨイショしておこう)。それはともかく、ツタヤには、怪しげな仮面を被った「オペラ座の怪人」が棚に2本並んでいた。とりあえず、その2本とも借りてきて観ることにした。ところが観てビックリ。有名なシャンデリアの場面はあるものの、両方とも原作とは全く違うのである。これがあの「オペラ座の怪人」なのか?と目を疑うばかりである。著者のガストン・ルルー(1868-1927)が生きていたら、恐らく腹を立てるに違いない、そんな気がしてくるほど異なった内容なのだ。以前僕の観た映画もきっとこんなものだったんだろうな、と思う。「オペラ座の怪人」と言えば、何度も映画化され、ミュージカルにもなっている。1910年に刊行され一世紀の時を経た作品なのだからこれも仕方ないのかな? でもなぁ、著作権の問題はもうひとかけらも残らないのかな? などと、愚にもつかないことをついつい考えてしまう。

 何はともあれ、こうして「オペラ座の怪人」で僕の2009年は暮れた。それにしても“学校の宿題”を介して“塾の先生”がこんなことをいろいろ考えるのも何だか妙な話である。ところで当の高校生達は一体どうしたのかな?  きっと宿題の英文を和訳するだけで特に何も感じることもなく、遂には机の上にポイかもね? 僕がこの間の顛末をH君に話しても「ふーん、そうなの?」と微塵も関心を引かない様子。あらまぁ、がっくり。もっとも僕が勝手に面白がっただけなのだから、それも当然といえばあまりにも当然なのだが…。

 まぁ「オペラ座の怪人」はどうでもいいと思うけれど、新しい価値観を模索する世の中の目まぐるしい動きには“もっと関心を持ってほしいな”と感じる年の瀬であり、そして僕自身も反省しきりの年の瀬である!!  

(斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2010-01-07 12:15
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