武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信第172号(2009・9/28)

 今回の衆議院選挙(8/30)では民主党が115議席から308議席へと大躍進。鳩山由紀夫内閣の誕生となりました。鳩山イニシアティブがどのように発揮されるか、ちょっと注目ですね。

《真正の人“平塚らいてう”》の巻

 「戦後強くなったものは女と靴下」とは、ずいぶん昔の流行語です。今では「草食系男子」「肉食系女子」と、まるで男女の立場が逆転したかのような感じですね。まぁ、これは日常生活でのことで、まだまだ社会的には女性の地位は決して高いとは言えないようですが、それでも女性の社会進出はずいぶん進んでいます。

 ところで、皆さんは、平塚らいてう(1886~1971)と聞いて、どんな女性をイメージしますか? いや、それ以前に「その人、誰?」という人もいるかもしれませんね。明治・大正はおろか昭和も遠くなりにけり、ですからね。平塚らいてう、それは明治時代末期から女性の覚醒を促し、女性解放や母性保護を訴え、更には、世界平和に向けて発信し続けた女性です。

 9月19日の『オアシス武州』は、その平塚らいてうのお孫さんである奥村直史さん(武州第8期生の裕君、第13期生のともさんのお父さんでもあります)に、「祖母『平塚らいてう』の思い出」と題してお話して頂きました。― その時の奥村さんのお話を僕なりに要約すると…:
 明治、大正から戦前の女性は、なんの権利も与えられず、ただ子どもを産む道具として蔑視されていたのですが、それに疑問を抱いていた25歳のらいてうは、1911年(明治44年)に雑誌『青鞜(せいとう)』の発刊の辞として、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。…」というあまりにも有名な衝撃的な文章を載せました。これは覚醒した日本女性の第一声として今でも語り継がれているのです。その後も、彼女は紆余曲折を経ながらも一貫して女性の権利を追求していったのは言うまでもありません。もちろんそれは簡単なことではありませんでした。国家権力からの弾圧、マスコミからの誹謗中傷は日常茶飯事、家には石が投げつけられ、電車の中で唾を吐きかけられたことさえあったようです。それでも34歳の時には市川房枝さんと『新婦人協会』を結成し、女性の集会権の要求(治安警察法5条改正請願)や婦人参政権の要求を掲げ、44歳の時には高群逸枝さん達の『無産婦人芸術連盟』に参加し、相互扶助の生活協同組合の必要性を訴えていくのです。戦後は世界平和(反戦・核廃絶)や世界連邦の考えを推し進め、そして「日本婦人団体連合会会長」「国際民主婦人連盟副会長」「世界平和アピール七人委員会委員」としてずっと第一線で活躍したのです。

 奥村さんのお話は、平塚らいてうの上記の活動だけでなく、らいてうの共同生活者である奥村博史さん(奥村さんの祖父)との生活など多岐にわたり、どれをとっても興味深いお話ばかりでした。なかでも僕が最も強く惹かれたのは、奥村さんの“平塚らいてう像”でした。これまで書いてきたように平塚らいてうは意志堅固な女性です。彼女の八面六臂の活躍からすれば、恐らく誰もが「外向的」で「感情の起伏」が烈しく、「活発」かつ「社交的」、更に「声も大きく」「派手」で、「明るく」「機敏」な、ちょっと近寄りがたい女性を思い描くことでしょう。ところが意外にも、奥村さんは、らいてうは生まれつき声帯が弱く「声は聞き取れないほど小さく」用事のあるときは手をパンパンと叩いて家人を呼ぶほどで、「無口」のうえ「人と会うことは極めて苦手」であり、できるだけ外出を避けていた、と語ります。また、生活はむしろ「地味」で、特に感情に走ることもなく、平生は「思考」の中に心を鎮めており、「孤独」と「静謐」を何より好む、とても小柄な女性であった、とも言うのです。更に意外なのは、あれだけ多くの評論を残しているのに、筆は遅く、いつも「中々原稿が書けない」と苦しんでいたようなのです。このギャップ、面白いでしょう? 何だか不思議ですよね。僕はこんな不器用ともいえる平塚らいてうの生き方に魅力を感じてしまうのです。こうした性格だからこそ、他人が自分をどう見ようとさして意に介さず、自分の想いを一途に貫けたのではないか、と思うのです。人は他人が自分をどう見るかによらず、自らの信念に従って生きればそれで良いのだ、と思わず頷いてしまいます。

 平塚らいてうの双眸には「真正の人」だけがいつも映っていたのかもしれません。― “内なる「真正の人」を見つめて生きる”、それだけで人生を豊かにするには充分なのかな? 何だかそんな気がしてきて、僕はひそかに励まされるのです。
                        
(斉藤 悦雄)
by bushu-semi | 2009-10-01 17:48
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