武州ゼミナールからの通信
by bushu-semi


武州通信はseesaaブログに移転しました。

以下がアドレスです。

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# by bushu-semi | 2011-02-19 17:59

武州通信第184号(2010 ・ 10/22)

 “秋まで生き残されている蚊”を「哀蚊(あわれが)」と呼ぶのだそうだ。耳元で何かをささやくように、消え入りそうなその羽音もどこか哀調をおびている。
 夏から秋へ、あらゆる景色が弱々しい光彩にくまどられる季節、それが、何がなし寂しさを誘う僕達日本の秋?

《永遠の「問い」?!》の巻 

 長夜の夢を覚ますように不意に僕の心を驚かす“何者か”がある。それは誰でも感じたことがあり、何も殊更ここで言挙げするほどのものではないのかもしれない。というのも、みんな気になっているのに多くの人は口に出して語ろうとはしないのだから…。

 永遠の問いはこの“何者か”をどう捉えるかにかかっているように見える。そしてそれはその人の暮らしの中から編み出され、人によって微妙に異なっているに違いない。前号で書いた滝谷さんの長男・賢介さんの 「ひとは何のために生きているのか?」 もそのひとつであろう。「生」への思惑はどのような経験を積んできたかに微妙に影響されているように思う。僕の“何者か”は賢介さんの前に顕れたものほど難しいものではない。

 形に影が添う如く「生」の影には「死」がつき纏っている。逆に「死」という影に「生」が象られているようにも見える。『武州通信』第28号でも触れたが、小学1年生の僕に「死」という想念は突如訪れた。それからの僕は一週間ほど毎晩泣き明かし、“人は必ず死なねばならないのだ” “僕の前に広がるこの世界がいつかは消えて無くなってしまうのだ” という避けられない事実におののいていた。母の編み機のジー・ジーという反復音と障子に映る裸電球の薄暗い明かりが僕に「死」のイメージを掻き立てるのだった。学校にいるときや遊んでいるときは普通に生活しているのに、夜が来るのが怖かった。

 中学生になった頃、あるいはそれより少し前だったのかもしれない。僕はどうせ死んでしまうのなら、そして父も母も僕の死をどうすることもできないのなら、「僕はこれからどう生きたらいいのだろう」 とぼんやり考えるようになった。今となって思えば「死」という不毛な問いから「生」という可能な問いへの道筋がうっすらと見え始めたのがこの頃だったように思う。

 とはいえ、「死」への恐怖は大学生になってからも繰り返し繰り返し僕を襲い、苦しめた。眠っていると真っ暗闇のなか、意識はハッキリしているのに、身動きが全くとれず、何とかして電気をつけようとする。でも、もがいても もがいても どうしても動けない。ところが電気はなぜかついているのだ。その明かりはあの裸電球の寂しい薄明かりで、“あぁこれで死んでしまうのか”、と汗をびっしょりかいて目が覚める。そんな金縛り状態が頻繁に訪れた。そして僕は思った、今でも思う。決してバカだともアホだとも思わないが、自殺の報道を耳にすると「何ともったいないことをするんだろう。二度と帰ってこない“ たった一度”の人生なのに…」と。僕はきっとどんなことになっても自殺はしないだろうと思っている。こう言うと、「君は死ぬほどの苦しみを味わったことがないからだ」と反論されるかもしれない。それも否定はしない。

 結婚し、子どもが産まれ、塾を開き、さまざまな子どもや人々に出会い、いつの間にか「死」への想念は後景に退いていった。あの恐ろしい金縛りもなくなった。それに代わって、「一回だけの生、それをどう生きたらよいのか?」 というあの問いが前面に浮上する。「死」は反転し「生」が僕の内面をおおう。これは中学生前後からの「永遠の“問い”」である。お金でもなく、地位や名誉でもなく、人としてどう生きるのか。そんなことを考えていながら僕は今でも小さな失敗を繰り返している。こんなとき、どこでどう迷ってしまったんだろうと考えるのだが、やっぱりすっきりした答えは出てこない。まぁ簡単に答えが出ないのも当然のこと。他ならぬ異なった世界を生きている他人あっての“僕の人生・僕の世界”なのだから。 ― 基本的には善く、時には好く、その結果 概ね良く、そんな軽い人生でいいと僕は思っている。簡単そうなのに、具体的な場面を前にすると、人それぞれのこだわりや感覚の違いがあって、これが思いのほか難しいのだ。

 昼間の授業のとき、このようなことが突然話題に上ることがしばしばある。つい先日も…。しかし、ふと漏れる僕のつぶやきは、受け手のないまま、さ迷い、やがて消え去ってしまうことが多いのだ。でもそれは仕方ないこと。「死」の個人性と同じく、一回だけの生、その意味で「生」もまた孤独で個人的なものなのだ。そして「永遠の“問い”」もその人独自のものに違いないのだ。その人だけの“何者か”に他ならないのだから…。
          
(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-10-26 16:04

武州通信第183号(2010 ・ 9/29)

 前号で「記録に迫る気温の高さのようです」と書いたのですが、この夏はその記録を塗り替え113年間の観測史上最も暑い夏だったとのことです。それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」の慣用句の予言的中、7月・8月・9月の暑さを忘れてしまいそうな心地良い季節となりました。

《バクの会のこと》の巻

 子ども心に深く刻み込まれた心的世界はその後の人生に強い影響力をもつものなのかもしれない、そんなことを考えてみた。そして、それはそれぞれ異なっており、決してひとつに束ねることのできないものにちがいない。9月25日の『オアシス武州』で、滝谷美佐保さん・紘一さん御夫妻のお話「『バクの会』で考えてきたこと」を聴いてから、ぼんやりとさまざまなことが浮かんでくる。  (ちなみに『バクの会』というのは、『武州通信』第173号でも書いたように、不登校の子、障害を持った人など、多くの人々の居場所です。)  

 『バクの会』は、滝谷さんのそれ以前の活動から誕生したのですが、長男・賢介さんとの心のやりとりが深く関わっていたと言います。小さい頃から多くの友達と外遊びに明け暮れていた賢介さんは、友達が次々に幼稚園や学校に馴染んでいくなか、学校世界の枠に収まりきれず、深い孤独感に苛まれ、言い知れぬ恐怖感を抱いていたようです。滝谷さんは 「当時、賢介の心の中の深い孤独についてはまるで想像力が働かなかった」 と回顧しています。賢介さんの“問い”の核心は 「ひとは何のために生きているのか?」、 この難問に“答え”はあるのでしょうか? それはともかく、このようにバクの会は滝谷さんにとって自らのお子さんとの葛藤・格闘と切り離せないものであったようです。「バクの子を通して自分の子を知り、自分の子を通してバクの子を知る」、つまり人のためにやってきたというより、振り返ってみれば自分の子のためにでもあった、と。こうして学校が居場所にならない子、つまり不登校の子のための居場所としてバクの会は始まったのです。ところが出会いとは不思議なもので、たまたま通りかかった潔(きよ)ちゃんというダウン症の子が、ある日突然、活動している部屋に入ってきたのです。潔ちゃんは “ 何だか面白そうな所だなぁ”と思って勝手に入ってきたのでしょう。それからは障害を持った子をはじめさまざまな子が入会するようになったとのこと。もちろん、それには賛否両論の意見があったようですが…。でも、そうした紆余曲折を経ていくうちに、バクの会は他の会と違う独自の姿を形作っていったのでしょう。規約や総会もなく、“目の前の子をまるごと良く知っていこう” ということを何より大切にする姿勢。何かをしたいと思ったら言い出しっぺが責任を持ってやること。それにスタッフも会費や交通費を払う(つまり会費を払ってでも関わりたいと思う人がスタッフに…)。これらが強制ではなく自然に形を成していったのですから確かに他に類を見ない会だと言えそうです。

  滝谷さんは、バクの会や自分の子どもと関わって得たもの、それは自分が少しずつ自由になっていけたことだ、と言います。自閉症・アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥多動性障害)、そして不登校、これらのレッテルは、あくまでもその人の一部分にすぎず、何かを感じて何かを発したいという気持ちは皆同じように持っていること、同様に学歴・地位もその人の一部分にすぎず、同じ人間として向き合うことの大切さへの思いが強くなっていったようです。確かに人生は複雑なものですが、複雑な飾りを取っ払ってしまえば結構えらくシンプルなものに違いありません。しかし、そのシンプルなものは隠れていて、直に関わり合っていくしかそれを垣間見るすべはなさそうです。笑っていても心の中は全く異なっていたりします。想像の甕には汲みつくすことのできないもの、それが人の心であり、私達の生きている場なのでしょう。人の心を束ねようとしても、そこに見出すのは結局“空集合”でしかないのかもしれません。人の心はこうすればこうなるというものではない、と滝谷さんは語ります。

 滝谷さんのお話は思いがけない浸透力を備えて響いてきます。バクの会が 何故あんなに自由な空間として成立し得たのか、それが如何に関わった人達の心に命の酸素を供給する場に成り得たのか、が…。

 バクの会を静かに支え・素晴らしい『バク通信』を編集された紘一さんとの婦唱夫随?の『バクの会』は 22年間の幕を閉じましたが、あの自主的で自由な活動は、“ひこばえ”のようにあちこちで引き継がれ芽吹いているようです。素敵なバクの会は衣装を替えてまだまだ続きそうです。そんな気がしてきます。

 ≪「もうすんだとすれば これからなのだ」(まど みちお の詩)≫

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-10-06 21:16

武州通信第182号(2010 ・ 8/26)

 どうやらこの夏は1995年の記録に迫る気温の高さのようです。1995年といえば円高の最高記録1ドル79.75円を出した年です。そして今年は15年振りの高値で、8月24日には 1ドル83.58円を記録しました。うーん、何でも記録に残ればいいってものじゃないんだけどなぁ!! 

《近現代史は面白い》の巻

 8月は終戦の月。上旬はテレビも戦争物ばかり。太平洋戦争の悲劇を風化させないためにもこれは必ずしも悪いことではない。でも…しかし…。8月16日以降はぴたっと番組表から戦争物が消えるのは一体何故? 単なるお祭り(記念)に過ぎないからなのか?

 今でも世界の各地では戦争が繰り広げられている。夏期講習で「先生、同時多発テロっていつあったの?」「イラク戦争って、イラクとどこの戦争だったっけ?」なんて質問されると、「あれっ!」という気分になる。いや、別に質問した生徒を馬鹿にしているのではない。僕にはつい先日の出来事のような気がしても、中学3年生にしてみれば記憶にないほど遠い昔のお話なのだ。何しろ彼らはあの円高のそして暑いあつい1995年生まれなのだから…。そうか? そうだよね! 同時多発テロは6歳のことでありイラク戦争も8歳のこと。だから彼らがもはや歴史上の事件としてしか感じないとしても、ちっとも不思議はないのだ。若い世代の歴史、僕の世代の歴史、そして戦争経験者の歴史、そこには簡単には埋められない感覚のギャップが横たわっているに違いない。こうして子ども達の素直な発言を前にすると “現代も歴史の中にあるんだなぁ” と、ちょっぴり新たな気分に包まれる。

  『武州大学』では今年の1月から7月まで 『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著・朝日出版社)を学んできた。正直なところこの本が特に面白い本だとは思わないが、この7回シリーズの研究会に向けて色々調べてきたことはとても意味があったように思っている。近現代の戦争史を具体的に調べてみるとハラハラドキドキの連続なのだ。特に太平洋戦争に至る過程は “どうしてこうなるのかなぁ” “なんでここでこんな判断をするのかなぁ” と疑問が膨らむ。まぁそれも今から見れば…、の話だけれど。しかも、あらゆるものが絡み合って、ずるずると蟻地獄に引きずり込まれていく必然性のような不気味さも味わうことになる。歴史を学んでこんなハラハラドキドキしたのは初めてのことだ。

 たとえ、時のベスト・アンド・ブライテスト(世界で最も聡明な人)をもってしても計り知れないもの、それが時々刻々姿を変える現実、つまり歴史なのだ。意図的な判断と偶発的な出来事、為政者の勘違いとボタンの掛け違い、これらがどんどん予期せぬ方向へ仕向けていく。それに “戦争は嫌だ” という国民の移ろいやすい感情だけで何とかなるようなおめでたい話でもないことにも気づく。

 確かに歴史は事後的に(決着のついた後に)姿を現す亡骸なのだが、僕達の現在も、日常の中で当たり前のように感じている姿でさえ、実は歴史の1コマであり、誰も期待しない思わぬ方向へスッと動いてしまうものなのかもしれないのだ。…かくして歴史は現在の政治・経済を考える「練習問題」にもなる。

 僕達の世代は、近現代史、中でも戦争について苦手な人が多いような気がしている。中学・高校の歴史の授業は時間が足りなかったのか、近現代史は中途で終了。大学入試で日本史でも選択しない限り出合う機会は少なかった。いや、もしかしたら、日本が起こした戦争を学校で教えることは長い間 教育界のタブーであったのかもしれない。そして…今でも??

 もともと僕は歴史や政治経済は好きな方なのだが、それにしても六十の手習いで漸く近現代史の奥深さが分かるというのは“何ともはや…” もっと早くに気づいていたら…。だが、こうした面白さは学校の授業や受験勉強で得られるものではなさそうである。僕がこのようにハラハラドキドキして学んだことも恐らく生徒に伝えることはできないだろう。きっと、それは、個々人が関心を持って主体的にそこに飛び込まない限り開花しない “はにかみ屋”の花に違いない。
 
 「こんなに面白いのに」と思いながら、相変わらず「1931年満州事変ね」「日中戦争は1937年だよ」…と事実の羅列の無味乾燥な説明に終始している自分にちょっぴり腹が立ってくる。― そして “君たちがもう少し大きくなったら一緒に考えようね” と見果てぬ夢を追いつつ僕の夏期講習が終わる。

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-09-02 12:24

武州通信第181号(2010 ・ 7/23)

 野球賭博問題で大相撲の世界が揺れています。先の参議院選挙(7/11)民主党の敗北でねじれ国会へ。政治の世界も揺れています。楽しいニュースはサッカー・ワールドカップで日本ベスト16くらいかな? 楽しいニュース、なかなか無いなぁ!! 

《ロマン再び?》の巻

 今日は大暑。新聞を読んでいたら、「霍乱」とは「暑気あたり」のことだ、とのこと。そうか、「鬼の霍乱」は“鬼も暑気あたりする”からきていたんだね。本当に鬼も霍乱しそうな連日の猛暑・酷暑です。

 ムンとくぐもった空気が立ち込める。まだ7月だというのに全身に絡みつくような蒸し暑い陽射し。大人の背丈ほどの蒲の繁みからボーボーとウシガエルの鳴き声が響く。さらに空気が熱くなる。汗を拭きふき野川の水辺を歩く。僕達3人を除いては 人影はほとんど見えない。捕虫網を振り回す小3の成見太朗君。その後ろ姿を見守る太朗君のお母さんと僕。シオカラトンボがホバリングの体勢からスーと蒲の葉へ渡る。

 太朗君は、武州の生徒・成見果歩ちゃん(小6)の弟である。この夏休みの自由研究に「昆虫採集」を選んだのだ。

 晴天の草むらには薄黄色の地に黒い点を配したモンキチョウがゆったりと舞う。何故かメスしか見当たらない。捕虫網が上から被さる。太朗君の小さな手が蝶と三角紙のどちらを優先させようか、と迷っている。見ている僕達は思わず微笑んでしまう。僕も初めて蝶を捕ったとき あんな戸惑いの中にいたんだろうか? 覚えていない感覚なのに何故か懐かしくなる。明るい黄色に彩られたキチョウがせわしなく羽ばたいて通り過ぎる。どこにでもいる蝶なのだが何となく可憐で可愛い蝶である。樹間に入ると汗をかいた身体が少し和らぐのを感じる。そこには太陽の直射する中には現れない昆虫が姿を見せる。真っ黒い羽に緑の金属色の尾をしたハグロトンボがふらふらと飛んでは止まり、またゆったり進んでは止まる。あちらにもこちらにも…。あちらからもこちらからも…。どこからかツマグロヒョウモンのオスが流れるようにやってくる。豹紋(ヒョウモン)というように黄土色の地に豹のような紋様を描いた一見地味なこの蝶は、今から6~7年前にはこの近辺では見られない蝶だった。ところが今では茶色系の蝶を目にしたらほぼこの蝶だといってよいほど繁殖している。ついでに褄黒(ツマグロ)というのはメスの前翅の先端が黒紫色であることからきており、メスはとても綺麗である。残念ながらこの日は、草の陰にひっそり隠れていたのか、太朗君の前にその美を見せることはなかった。

 昆虫採集というのは虫を捕って標本にすることである。確かにそれに偽りはない。しかしそれが高じると標本だけに収まらなくなってくる。つまり、飼育をし始めるのだ。四度の禅定(脱皮)を終えた柚子坊(アゲハの幼虫)が、やがてひし形の動かぬ禅僧(蛹)になり、次に姿を現すときは全く異形の阿羅漢(アゲハチョウ)になる。この誰でも知っている完全変態の姿は、見れば見るほど、経験すればするほど、不思議さが募ってくる。それに飼育の最終段階近くになってその幼虫あるいは蛹が寄生蜂に寄生されているのが分かると、悲しく思うのと同時に、寄生蜂の生態の不思議さにも出合う。ここではその不思議さについて具体的に書けないが、実に神秘的だとしか言いようがないのである。これらを「本能」と言い最近では「遺伝的プログラム」と言うのだが、そこにはこうした言葉に収まりきれない自然の奇知の閃きが漂っている。誰に教わるでもなく元々具わっている遺伝的プログラムの精巧さはあまりにも深遠なのだ。いや、僕はここで殊更“神秘主義”に走ろうというのではない。目の前で繰り広げられるあまりにも不可思議な世界。昆虫のように人間とは掛け離れた生物と少しでも深く付き合うと、生物という存在の不思議さに驚くことがたくさん出てくる。 ふと思う、人間の叡智の及ばない世界、そしてその世界に我々人類も属しているのだ、と。 

 蝶を追う太朗君の姿を見ていると、懐かしさとともに、何故か断ち切ったはずのロマンが伏流水のように噴き出してくる。その晩、成見さんからメールが届く。そこには一枚の写真が添付されていた。太朗君の枕元に並べられた展翅板が太朗君のワクワクしている気持ちを写し出しているような気がしてくる。そうだ、このワクワク感からすべてが始まるのだ。そして、今でも昆虫採集をする子がいることにちょっとした幸せを覚えるのである。教科書やテレビの映像からでは決して得られない自然の神秘を “身”をもって体験する子がまだいることに、小さな喜びを感じるのである。   

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-08-04 11:40

武州通信第180号(2010 ・ 6/24)

 武州の植木鉢にいつの間にか“ねじ花”が咲いている。くるくるまわる小さな花の螺旋階段、いったいどこからきたんだろう。
 その昔、今は亡き母がこの花を欲しがっていたのを思い出す。 

《憧れ!》の巻

 山々はもう春の色を失い、初夏の緑に彩られていた。義兄の法事(七回忌・6/12)のため郷里の松本に行ってきた。義兄が鬼籍に入ってからもう6年の歳月が流れたのだ。山々はこの間 幾度 色を変えたことだろう。

 法事の翌日、『武州通信』第112号で触れたあの「おれの山」(藤井谷)へ行ってみた。あれから7年、息子は29歳になり、娘は33歳になった。その2人に加え、娘婿の慶司郎さんを含む4人で「悦雄さんの山」へ。誰が見ても何の変哲もない蝶の舞い降るただの山である。そう、蝶の舞い降るただの山…、そこに僕の原点があった。

 その日も、春に恋するウスバシロチョウ、浅黄色の晴れ着をまとったアサギマダラ、縞々模様のコミスジ、それに、数々のヒカゲチョウやジャノメチョウが僕達を出迎えてくれた。暖かい日差しを通して涼風が心地良く肌に触れる。50年前の僕はこの優しい風に育てられ、無心に捕虫網を振るっていたのだった。今、僕は当時と同じ風を浴びている。不思議な感覚が呼び覚まされる。突如現われた蝶影に身体がぎこちなく反応する。手に捕虫網がないのに気づき、思わず苦笑してしまう。漆黒の地肌に黄の紋様を忍ばせたクロアゲハが悠々と樹林に消える。こんな情景もあの頃のままだ。

 最初の一粒が零れ落ちると、思い出は次から次へときりもなく溢れ出る。昭和30年代のうらぶれた、それでいて何となくのんびりした街並み。わが家の斜め前に、ユウジさん (漢字は忘れたが僕達はユージーちゃんと呼んでいた) という物静かな高校生のいる一家が住んでいた。ユージーちゃんは成績優秀だということで近所で評判の高校生だった。でも、当時の僕には、ほとんど話したこともない年の離れた縁遠いお兄ちゃんにすぎなかった。ところがある日、母から 「ユウジさんの部屋には蝶の標本がたくさんあってとても綺麗だから見せてもらったら?」 と唐突に勧められたのである。小学5年生の僕は小さな期待を胸にユージーちゃんの部屋を恐る恐る訪ねた。ところがそこには僕が予想していた何十倍もの驚きがあった。小さな部屋の壁面いっぱいに標本箱が並んでおり、中には見たこともない蝶が無数収められていた。ようやく白黒テレビが普及し始めた頃である。想像すらしたこともない夢幻の世界がそこに広がっていた。その後、僕は一人の虫好きの友人を誘ってしばしばユージーちゃんの部屋に顔を出すようになった。ユージーちゃんは、嫌な顔もせず、穏やかに、しかも殊更自慢するでもなく、様々なことを淡々と話してくれるのだった。国内だけでなく海外にも蝶関係の文通仲間がいるらしく 「これはトリバネアゲハで東南アジア産、こっちは中南米産のモルフォだよ」 というような当時の僕達にはチンプンカンプンの説明が、ユージーちゃんを一層素敵なお兄さんに仕立て上げた。僕達二人は胸を高鳴らせて聞き入ったものである。僕が勝手に「おれの山」と名付けているあの藤井谷の存在も、「採集道具」や「標本の仕方」も、何もかもすべてがユージーちゃん伝授の賜物である。

 それからの僕と友人は蝶の虜になった。「おれの山」は「友人の山」でもあった。偶にすれ違う大人の採集家とのちょっとした語らいも楽しかった。僕達の成果に大人の彼らが興味を示すと、くすぐったくも自慢にも思った。照れた友人のはにかんだ顔が昨日のことのように目に浮かぶ。

 今思うとユージーちゃんの家にはせいぜい5~6回行っただけなのかもしれない。その後、ユージーちゃんは県外の大学生となり松本を離れ、それから何年かして彼のご家族も突然引っ越してしまった。もうユージーちゃんに会うことはないだろう。それで良いのだと思う。ヘッセの『青春は美し』のように、“思い出” という仮想の世界にこそ味わいがあるに違いないのだ。

 なにはともあれ、たった数日の関わりが僕を大きく変えた。ユージーちゃんは僕の蝶の師匠であるだけではなかった。小中学生の頃の僕は、ユージーちゃんその人に一種の “憧れ” を抱いていたように思う。あの大らかで落ち着いた物腰、その柔らかく優しい人柄。… そこにひとひらの憧れ!

 憧れのお兄ちゃんお姉ちゃんは誰の心にも息を潜めて存在することだろう。それにしても半世紀も経ってあの頃のままのユージーちゃんが甘やかに僕の心に去来するとは?

 帰郷したあの日から、僕は年を重ねる侘しさの中に一雫の面白さを感じ始めている。 
               
(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-06-26 18:13

武州通信第179号(2010 ・ 4/17)

 前号で、小さな冬が舞い戻ったような寒さです、と書いたのですが、なんのなんの、大きな冬が戻ってきた感じですね。 
 今朝、東京に41年ぶりの遅い雪が…。41年前(1969年)? 僕はまだ大学3年生。人生や社会のことを色々考えて…、あれっ今もあまり変わってないなぁ。 ― 雑然としたあの頃の街並みの幻影が くすんだ薄もやのなかに 浮かんで消える。

《置いてきぼり》の巻

 ぼんやりしていると、ふと耳にした昔の生徒の声が甦る。あの子あんなこと言ってたっけ、と懐かしくなる。確かT君だったな、あれは。ずいぶん時が過ぎたような…、いやそれほどでもなかったような…。 

 T君は、その場で理解することはできるけれど、新しいことを学ぶと、以前学んだことがあやふやになる生徒だった。その日も新しい英語の文法を学びながら以前の内容が…。うーん、どうも困ったなぁ、と思っていると、T君の口から突然、「ボクの脳味噌に もっとうまく “上書き保存” できないかなぁ!」と、こちらの気持ちを見透かしたかのように絶妙な一言。これまでに覚えた知識は残して置いて、新しく学んだ内容を上書きして保存? なるほど、確かにそれができれば最高だよね。「うまいこと言うなぁ。君って中々頭いいねぇ」と思わず吹き出してしまった。それと同時に、僕の胸の内に、なぜか さぁーと一陣の“切ない風”が吹き込んできた。

 人というのは面白いもので、ぼんやり考えているからといって、日常生活とまったく脈絡のないことが頭に浮かぶわけではないらしい。T君の言葉を思い出したのには、おそらく教科書の改訂がちょっと気にかかっていたからに違いない。来年2011年度からは小学校の、再来年2012年度からは中学校の教科書が新しくなる。量も多いが、理科・算数・数学は内容もずいぶん増える。実は昨年から前倒し的に新しい内容が加わっているので既に始まっているとも言えるのだが、新しく加わった内容は無理に増やさなくてもよいものがほとんどである。特に、算数・数学では、小6の「ならべ方と組み合わせ方」の単元や「量と単位」の単元、中1の「図形の移動」「投影図」や「資料の散らばりと代表値」の単元、それに中3の「標本調査」の単元などは何もここで入れなくてもいいのでは?と思ってしまう。お役人ってほんとに何も分かってないなぁ、としみじみ思う。そんな時、僕は 「子どもと身近に接したことのない彼らは、深く考えもせず “学力低下問題=ゆとり教育批判”から身を守るために、辻褄合わせに新しい単元を付け加えただけなんだろうな」 なんて想像してしまう。しかも、国民の多くも教科書改訂の浅い報道を耳にして、その場の気分で 「学力がつくからいいんじゃないですか」 と、これまた諸手を挙げて賛成するから困ってしまう。でもね、間違いなくこれまでより “ゆとり” もなく、さっさと先に進むことになるんだよ。本当にそれでいいのかな? どう考えても、要らない単元を増やしたところで学力が向上するわけもなく、むしろ勉強の分からない子を増やし、かえって学力を低下させるだけに相違ない。

 それはともかく、僕にとっては目の前の生徒のことが気にかかる。僕の可愛い生徒達を、行政の “無思慮な判断” で苦しめるのは、どうにも許せん。…なんて力んでみせてもなんとも無力なのだが。「T君、こうなる前に卒業できて良かったね」 とも思えるけれど、今度はもっと大変な新しいT君が…。

 高校3年生の篠原宏太君がふと漏らした一言がT君の言葉に“上書き”される。文系の宏太君は数学から解放される高3になって 「数学って、こっちが理解する前に勝手にさっさと先に行っちゃうんだよな」 と回顧する。宏太君は決して数学ができない生徒ではありません。いや、彼のように、できる生徒でさえ感じてしまう この “置いてきぼり” の気分。これが僕には気にかかる。これからは、宏太君のあの嘆きは小学生・中学生にまで…。

 ところで、T君はどんな思いであの一言を発したんだろう? 「子どもはコンピュータじゃないんだから “置いていかないでよ”」 なのかな? それとも 「僕には無理だよ!」 なのかな? ― 子どもの口から思わず漏れ出る言葉は、ときとして僕の胸にずっしり重くのし掛かる。しかも、悲しいことに 時を隔てて さざ波のように押し寄せてくるのです。
 
(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-04-20 12:22

武州通信第178号(2010 ・ 3/25)

 昨日、今日と、小さな冬が舞い戻ったような寒さです。三寒四温? 咲きはじめた桜も身をふるわせ、“明日はどうかな?” と様子を窺っている、そんな気がする寒さです。

《『ベーシック・インカム』って何?》の巻

 失業か、低賃金か、はたまた過酷な労働か、これが現代の労働事情です。これはリーマンショックの結果ではありません。労働生産性の向上で、基本的には多数の労働者を必要としなくなった時代の結果です。それがリーマンショックで目に見えるようになっただけだと言えるでしょう。つまり、これからは景気の軽い波はありえても、労働市場の好転はあまり期待できそうにないのです。…となると若者の未来は? 社会構造の大転換がなければ、お先真っ暗ですね。  

 では、どうしたらいいのでしょう? 3月13日(土)の『オアシス武州』は、発想の大転換を模索する「ベーシック・インカム・実現を探る会」の代表であり、僕の若き友人である白崎一裕さんにお話していただきました。ベーシック・インカム? それって何? 最近では多少耳にするようになりましたが、まだまだあまり聞きなれない言葉です。
 
 『ベーシック・インカム(基礎所得保証)』とは、簡単に言うと「国家が国民一人ひとりに最低限度の生活費を支給する」というシステムです。もちろんこれに関しての詳細は議論の真っ最中であり、まだ統一見解に至っていないらしいのですが、ここでは白崎さんの考えの一端を纏めてみることにします。

 ベーシック・インカムの一般的定義は、①無条件(労働と所得を切り離し、労働者の意欲や能力とは無関係に支給される) ②個人単位(世帯単位ではなく、赤ちゃんからお年寄りまで国民一人ひとりに支給される) ③資力調査なし(お金持ちであっても貧乏人であっても全員に等しく支給される)、ということです。おおよそ一人当り月8~15万円程度が妥当では?と、白崎さん。こう聞くと、みなさんの頭に様々な疑問が浮かんできますよね。基本的な所得が保証されれば、みんな働かなくなるんじゃないかな?とか、どうしてお金持ちにまで配るの?…とかね。それらの疑問に対しては14項目にわたって解答が準備されていますが、ここでは紙幅の関係上割愛します。

 とはいえ、財源問題にだけは触れないわけにはいきませんよね。国民全員に月8~15万円を支給すると聞くと、「えっ、財政破綻寸前の日本でそんなことできるの?」と思うのが多くの人の反応でしょう。確かに現在のままの日本では僕だってそう思います。白崎さんの発想の大転換はベーシック・インカムだけではなく、財源問題にまで及んでいるのです。いや、こちらの方が重要なのかもしれません。というのも、現在の財源は、周知のように、税金と膨大な借金(国債)によって賄われているわけですが、高度経済成長を期待できない今、税収は、大々増税でもしない限り、減ることはあっても増えることは考えられません。だから不足分は国債を発行することでこれまでも凌いできたのです。でも、2009年度末で国債発行残高581兆円、地方の借金も含めると804兆円(国民一人当り630万円)になっており、たとえ資産大国日本だとはいえ、後数年ほどで国債依存財政は破綻するとも言われています。低賃金の上、お粗末な社会保障、それも数年後には…? 白崎さんはこのような「税金+国債」財源論という発想自体を変えないとダメだと言います。

 では、どのように? … 彼は、税金・国債をやめて、国家が「公共通貨(政府紙幣)」を発行するシステムを作ることで財源確保はできると言うのです。「必要な量の紙幣」を日銀ではなく国家が発行する、確かに実現の可能性はありそうです(もっとも国家が無駄にじゃんじゃん発行すれば、ハイパーインフレの可能性も否定できませんが…)。もし「ベーシック・インカム」と「公共通貨」 この両輪がうまく噛み合えば、若者の未来はきっと明るくなることでしょう。
 
 さて、ここまで読んでこられた方は、それでも「本当かなぁ!」「うまく行くのかなぁ!」と首を傾げるかもしれませんね。実は僕もまだすっきりと納得できているわけではありません。ただ、考え方の根本を大転換しないと生活できない時代がこれからの時代であるのも事実なのです。白崎さんのユーモア溢れる、それでいて分かり易いお話は参加者のみなさんの心をつかんで離さなかったようです。遠い那須の地から足と希望を運んでくれた白崎さんに感謝しつつ、彼が帰られた後も、延々と議論が続いた『オアシス武州』でした。

 何はともあれ、「ベーシック・インカム」と「公共通貨」、この考えを肯定するにせよ否定するにせよ、誰もが一度はしっかり考えたほうが良い政策論だ、と僕は思っているのです。                 

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-03-25 11:35

武州通信第177号(2010 ・ 2/24)

 昨日は都立高校入試の日。“普段の力を出してくれたら大丈夫”なんて言っても、もう終わっちゃいましたね。後は発表を待つばかり。きっと金メダルを取ってくれるでしょう。おいおいオリンピックじゃないんだから…。それはそうと、バンクーバー冬季オリンピックも終盤ですね。

《群生秩序と評価語》の巻

 前号の≪デジタル感覚とアナログ感覚≫を書いてから、妙に何かが胸につかえて仕方がない。一体何だろう この気分。書いた内容自体は間違っていないと思うのだが…。恐らく読んだ人の中にも “でもなぁ?” と一瞬立ち止まった人もいるに違いない。書いた本人が “踏み込み不足” を感じ、立ち往生しているのだから。

 確かに、どんな人間関係にも不可避なグレーゾーンを軽やかに飛び越え、自分勝手な基準で白黒つけてデジタル的に行動されてはたまらない。そのことに間違いはないだろうし、そういう人間が増えているのも恐らく事実に違いない。じゃぁ何がこんなに気にかかるんだろう? それはどうやら現実感覚をかたどる人間関係の質(在り方)に関わっているように思う。

 以前、『武州大学』で「群生秩序」(内藤朝雄『いじめの構造』)をテーマに話し合ったことがある。群生秩序というのは、何人かの人が集まると必ずそこに自生的な「秩序」が生まれ、内部の人々は好むと好まないとに関わらずそれに拘束されざるを得ないもの、と要約できるだろう。小さいものは、友達関係、家族…、大きなものは企業、学校…、いやいや国家や世界の中にも? 選べるものから選びにくいもの、それに選べないものまで、様々な秩序を同時並行的に生きているのが生身の人間の姿なのだ。それらの秩序が、我々を心地良くしたり、息苦しくしたりする、これはとても煩雑で扱いにくいものに違いない。

 そこにもう一つ厄介なことが加わる。これも『武州大学』で取り上げた「評価語」(大庭健『善と悪』)の問題である。僕達は幼い頃から、「誠実」であること「正直」であること、そして他人には「思いやり」を持って接することを両親からそして教師から教わってきた。だから、多くの人はそうありたいと願って生活しているに違いない。そして僕もかくありたいと思う。ところが、ここには避けがたい困難が介在しているのだ。「誠実/不実」「正直/嘘つき」「思いやり/無情」etc.という評価語は無味無臭の抽象語に過ぎないのだから…。

 僕らはしばしば不思議な世界に遭遇する。不祥事を犯した政治家や経営者が深々と頭を下げ国民に陳謝する映像が流れる。確かに彼らは神妙な顔をしているが少しも悪いことをしたと思っていないように映る。むしろ誇らしげにさえ見えるのだ。そこには自らの群生秩序の中で「誠実」に「正直」に「思いやり」を持って生きてきた自負のようなものが垣間見えるのである。これは本人の意識とは別にいつの間にか “暗黒の世界” へ転落してしまった例に違いない。また、いじめている当人達が悪いことをしているとは感じない気分、非行グループが仲間を裏切れない気分、これらも群生秩序の迷路から中々抜けだせない一例であろう。彼らは仲間内では「思いやり」があり「誠実」な、いい奴なのだ。

 それに、“光明な世界” に生きたいと “もがき” ながら、自らの悲劇に至る例も最近では多く耳にするようになった。効率を数値化し利益を最優先する企業秩序の中で「誠実」に「正直」に無理を押して働く社員の姿が眼に浮かぶ。そこには、会社の利益のためばかりでなく、「家族」のためにとか「仲間」への思いやりとかが、自らの命を削る原因にもなりかねない状況がある。家族を思えばこそ辞められない、自分が休めば仲間に迷惑がかかる、それは「誠実」であればあるほど窮地に陥る落し穴に相違ないのだ。ひと昔前のように、「真面目に働けば必ずいいことがある」とは俄かには信じ難い時代なのだ。

 いや、ここで、「不実」たれ、「嘘つき」たれ、「無情」でいい、などと言いたいのではない。ただ、本来なら美徳とされる抽象的評価語が具体的な群生秩序の中で見せる生き場のなさに、悲しみと憤りを感じるだけなのだ。

 妻には「最近の『武州通信』ずいぶん理屈っぽくなっていない?」と笑われるが、前号で「アナログ=寛容(調和的)」、「今でもアナログは幸せへの近道」と書いたことが、ますます僕を理屈の世界に誘導するのである。どうやらデジタル感覚ばかりでなく、アナログ感覚にも“大きな空洞”がぽっかり口を開いているように見える。

 こんなことを考えるとき、明かりの消えた部屋に “たった独り” 取り残されたような、何とも言えない寂しい気分に襲われるのだ。   

 (斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-02-24 10:50

武州通信第176号(2010・ 1/26 )

 今年は2010年、区切りのいい数字に何となく期待したい気分です。2000年代も10年経ち、平成も22年になりました。ついこの間まで平成生まれの生徒なんだ?と感慨深く思っていたのですが、平成のトップバッターは今年22歳になるんですね。うーん、時間の経つのは恐ろしい。

《デジタル感覚とアナログ感覚》の巻

 ピコピコ、ピコピコ、よく動くねぇー、君達の親指。授業前、事務室で中学2年生3人が「モンスターハンター」とかいうゲームをやっている。画面はリアルで、ゲームもずいぶん進化したもんだなぁ、と思わず見入ってしまう。それにしても眼が画像を追っているというより親指が勝手に行動を起こしているように見える。絶え間なくめまぐるしく動き回る彼らの親指を見ていたら、突然“You are all thumbs.”という言葉が浮かんできた。ストレートに訳せば「あなたはすべて親指だ」なのだが、その意味するところは「あなた不器用ね」とか「おまえ要領が悪いよ」になるのだろう。でも、この時はもともとの意味とは逆に、“親指の器用さ”に恐れ入ったのである。戸惑ういとまもなく、ON・OFF・ON・OFFとデジタルに動く親指、これは正に驚嘆に値する。

 デジタルとアナログ、これについてはしばしば考えることがある。確かに今ではデジタルばやりである。デジタル放送、デジタル時計、デジタルカメラ、etc。ともかく、デジタルは最先端の技術であり美しく優秀なのだ。そしてアナログは旧式であり不細工でダサいのだ。どうやらこの感覚は、僕達の日常生活にも反映しているように見える。

 戦後、僕達は消費社会に向けて走り続けてきた。その結果、高度消費社会が実現した、これが現代なのだろう。かくして、人々が求めてきたもの、つまり豊かさが完成したのである。しかし、一抹の不安もあった。「衣食足りて礼節を知る」と “無理やり”思おうとしてきたのかもしれないのだ。物質的に豊かな社会は精神的にも豊かになるはずだ、と。

 消費社会の実現は思わぬ感覚のズレを表面化したのかもしれない。消費者はお客様として扱われ、優遇され、快感を覚える。そこに、 “欲しいか(ON)/要らないか(OFF)” という自分本位のデジタル的反応を拡散させる磁場があるのだろう。何しろ、お客様は神様なのだから…。今の子ども達は、生まれた時からこのように消費者として振る舞い、大切にされ、また、多くの家庭では家事からも解放されている。子ども時代はデジタル的感覚でもそこそこやっていけるのである。

 じゃぁ、アナログ感覚は必要ないのかな? 確かに、恋愛までの期間は、嫌になったら相手を取り替えれば(OFF/ONすれば)問題消失。でも家庭を築くにはそうは問屋が卸さない。ひとたび結婚してしまえば簡単に相手を捨てる(OFFする)わけにはいきません。それに、子育てはデジタルとは最も無縁な世界です。夜泣きする子、むずがる子…、だからといって、子どもをちゃっちゃと取り替えることはできません。それに夫婦の関わりの面倒臭さにも耐えねばなりません。夫婦の片方でもデジタル的感覚が強すぎれば結婚生活を長く継続するのは難しい。きっとどんな家族もアナログ的な修理・修復作業は欠かせないでしょう。仕事もそうですね。上司や同僚との摩擦・不満はその内部で修理・修復しなくては長くは続きません。それはとてもしんどい作業です。

 ここで僕は、「デジタル=我が儘(自己中心的)」、「アナログ=寛容(調和的)」、とあまりに単純化しすぎているのかもしれません。でも、子ども達だけでなく、僕を含め大人達も感覚がデジタル的なものにますます親和的になっているように見えます。デジタル的な気分に慣れてしまった現在、アナログ的な生き方は、放棄(OFF)したくなるほどに本当に大変で面倒臭くストレスを感じるもののようです。もしかしたら非婚・離婚・離職が増えている一因もこんなところにあるのかもしれませんね(もちろん社会的・経済的な要因は軽視できませんが…)。

 とはいえ、やっぱりすべての指が親指(父さん指)だけならきっと不器用で要領を得ないことでしょう。お茶はこぼすし、字も書けないし、身体を洗うことすら大変です。仕事や家庭生活では、母さん(人差し指)、兄さん(中指)、姉さん(薬指)、赤ちゃん(小指)と仲良く楽しく協働することでスムーズに営まれるに違いありません。だから “今でもアナログは幸せへの近道”?

 中学生の目くるめく動き回る親指に “スゴイなぁ”と感嘆しながら、もう一方で、旧式でポンコツでダサい僕は、それとは別のことを考えてしまうのです。これからの世界は、美しくもなく見事でもないアナログ的な生き方にもっと眼を向けたほうが良いのでは? と…。          

 (斉藤 悦雄)

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# by bushu-semi | 2010-02-01 11:53

武州通信第175号(2009・ 12/28)

 小金井市の「開かずの踏切」がようやく解消。12月6日、JR中央線の三鷹-国分寺間の高架化が遂に完成したのです。その中間にある小金井市もこれまでは踏切で分断され「北」と「南」が遠かった。夏の炎天下、冬の寒風、遮断機の前での数十分、イライラが募る、こんな気分が今後はなくなるのです。
 長年の念願成就なのですが、臍曲りな僕ことです、時が経てばあの“もどかしさ”が懐かしく思い出されるのかもしれません。

《オペラ座の怪人》の巻

 いよいよ2009年も残りわずかになりました。今年を振り返って何が困ったか、と言うと、読みたい本がなくなってちょっと閉口していたのです。何を読んでも、ちっともワクワクせず、そこここに既知感が漂い、かといって、どんな本にも納得できず、何だかつまんないなぁ、という気分が襲ってくるのです。こんなことこれまでにはなかったんだけどなぁ。 きっと、一筋縄ではいかない時代に、つまり既成の価値観では捉えきれない時代に突入したからなのでしょう。

 ところで、本題の『オペラ座の怪人』。 僕の気分がこんな状態なので読みたくて読んだというわけでもないのです。こんな時には“小説”でも読むしか気を紛らす術がありません。では、何故「オペラ座の怪人」? それはね、実はひょんなことから読むことに…。と言うのも、高校生の授業でのこと、H君(高1)の学校での英文テキストに「オペラ座の怪人」があり、和訳を少し手伝ったのが事の始まりです。さして難しくない英文なので訳は簡単なのですが、どうやら僕の知っている「オペラ座の怪人」とは内容がずいぶん違っているような気がしてきたのです。とはいえ、僕の知っている「オペラ座の怪人」などと言っても、ずいぶん前にテレビで放映されたものを観ただけだし、うろ覚えで記憶も怪しいものなのですが…。何はともあれ直接「本」で確かめてみることにした。早速購入して読んでみると、先の高校のテキストは(ダイジェスト版だとはいえ)さすがに内容はそうズレてはいないようだった。ミステリーの古典であるこの作品は、ストーリーにちょっと無理もあるけれど、怪人の悲しい恋物語でもあり、きっと怪奇ロマンの名作の一つなんだろうな、と思う。

 さてそうなると、僕の観た映画は一体? 僕の記憶違いだったのかな? と、次から次へと気になってくる。もう一度観てみたい想いが強くなる。とはいえ、近くにあったレンタルショップはずいぶん前に店じまいしてしまったし、ちょっと離れたレンタルショップ“ツタヤ”は何処にあるのかな? 息子に相談すると車で連れて行ってくれると言う。まぁこうなることを心のどこかで期待していたのだけれど…。ずるい親父である。そして優しい息子である(ここでちょっとヨイショしておこう)。それはともかく、ツタヤには、怪しげな仮面を被った「オペラ座の怪人」が棚に2本並んでいた。とりあえず、その2本とも借りてきて観ることにした。ところが観てビックリ。有名なシャンデリアの場面はあるものの、両方とも原作とは全く違うのである。これがあの「オペラ座の怪人」なのか?と目を疑うばかりである。著者のガストン・ルルー(1868-1927)が生きていたら、恐らく腹を立てるに違いない、そんな気がしてくるほど異なった内容なのだ。以前僕の観た映画もきっとこんなものだったんだろうな、と思う。「オペラ座の怪人」と言えば、何度も映画化され、ミュージカルにもなっている。1910年に刊行され一世紀の時を経た作品なのだからこれも仕方ないのかな? でもなぁ、著作権の問題はもうひとかけらも残らないのかな? などと、愚にもつかないことをついつい考えてしまう。

 何はともあれ、こうして「オペラ座の怪人」で僕の2009年は暮れた。それにしても“学校の宿題”を介して“塾の先生”がこんなことをいろいろ考えるのも何だか妙な話である。ところで当の高校生達は一体どうしたのかな?  きっと宿題の英文を和訳するだけで特に何も感じることもなく、遂には机の上にポイかもね? 僕がこの間の顛末をH君に話しても「ふーん、そうなの?」と微塵も関心を引かない様子。あらまぁ、がっくり。もっとも僕が勝手に面白がっただけなのだから、それも当然といえばあまりにも当然なのだが…。

 まぁ「オペラ座の怪人」はどうでもいいと思うけれど、新しい価値観を模索する世の中の目まぐるしい動きには“もっと関心を持ってほしいな”と感じる年の瀬であり、そして僕自身も反省しきりの年の瀬である!!  

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2010-01-07 12:15

武州通信第174号(2009・ 11/13)

e0049938_222123.jpg わが家の“月下美人”が7月・9月・11月と今年は三度も咲きました。 美人薄命? たった一夜の “儚い美” をうっとり眺めて “儚い恋” に酔いました。僕の心の隙間に ひっそりと 幸せのそよ風が吹きました。  
                             
《就職?大学? えっ、うーん!》の巻

 ほんわりと暖房が必要な季節です。そういえば立冬も過ぎたんですね。受験勉強もいよいよ終盤に入る頃。とはいえ、もう3人の大学受験生は指定校推薦やAO入試で合格を決め、今では糸の切れた風船模様…? かと思えば、残りの3人は一般入試に向けてラストスパート。高校受験生も来週の期末試験で内申点が決まり、本格的に受験勉強に入ります。受験生にとっては不安に駆られ精神的にも辛い季節。まぁ、こんなときは焦っても仕方ない。息をぐっと吸い込んで 心を落ち着かせて、目標に向かって頑張って欲しいですね。

 一方、高校一・二年生は、というと、これまた進路選択であたふたする季節です。「選択教科、どれとったらいいと思う?」 と訊かれても、「何言ってんの? 授業を受けるのは君なんだぜ!」。でもね、自分が何に興味があるか?などとは、深く考えたこともない生徒が多いのも事実です。結局、ほとんどは大学のコース、つまり「理系」か「文系」か、という抽象的で空虚な区分に従うだけなのですが…。君という存在は一体何を目指し何を学びたいんだ。普通の高校生にそんな難題を投げかけてもそれは無理というもの。入ってみなけりゃ分からないのが大学でもありますから…。そうなると、悲しいかな判断の基準は高校での成績以外には見つからない。ところが、これとて難しい。「数学」はできるが「化学」や「物理」は苦手、「国語」や「英語」はできるが理数はもちろん「地歴や政経」も嫌い。一体自分は何に向いているんだろう? こんなことが漸く頭をもたげるのもこの季節です。確かにレベルの高い大学に入るには今も昔も大変ですよね。結局 僕は、何はともあれ、何だか変だと思いながらも、とりあえず様々な教科を勘案しながら生徒の相談にのることになるのです。

 さて、つい最近まで「就職」を考えていた高二のY君が、突然 「大学へ行こうかな?」 と…。Y君は “勉強についてはちょっとなぁ?” でも、性格は明るいし、如才ないし、なにしろ可愛いし、 “社会に出たらもっと彼自身を生かせるかも?” と僕は思っていたのです。ところが予期せぬこの進学宣言。「えっ、どうして急に大学へ進学しようと思ったの?」 と僕。すると、「だって、今では会社に就職するより大学入試で合格するほうが簡単なんでしょう?」 とこれまた予期せぬ返答が…。「そんなこと、ない…。えっ、Y君、今、なんて言ったの?」突然僕の思考回路がパチパチウイーンとショートする。パチパチウイーン!パチパチウイーン!…「ふーん、なるほどそうかもしれないね?」 ようやく僕の思考回路が修復できたようです。これまでも大学に入って本当に大丈夫なのかな?と思う生徒はいたし、そんな彼らもとりあえず大学に進学している。しかし、彼らの大学選択の理由は、まさに “とりあえず” であったり “何となく” であったり “みんな行くから” であったり “もっと遊びたいしまだ就職したくないから” であったりと、あまりスッキリしない場合が多かった。でも、Y君の理由はこの点では明瞭である。「高卒の求人がないから大学へ」 この一点である。今では、“どんな大学でもいいや” と思えれば、受かる大学は何とか見つかるだろう。そして確かに就職のほうがままならないのかもしれない。

 それにしても、これはやっぱり奇妙に響く。昔は 「大学へ進学できないから就職を!」 だったのだから…。何だか僕の理解を超える時代が始まっている、そんな気分が僕をちょっぴり憂鬱に誘う。

 向いていない大学での4年間?「勉強なんて大嫌い」 と思いながらそれでも大学を選ぶの? それってちょっと悲しくないか? これまでも僕はそんな想いを抱いていた。そして今では 「就職が困難だから大学へ」。どうやら多くの大学は(本格的に)潜在的若年失業者の受け皿になってしまったようです。うーん、ついにそんな時代が到来したんですね!!

 ―  何はともあれ、考え込んでばかりはいられない。僕は何とか気持ちを持ち直し、今回も 「本人がそれで良いのなら、それも良しとしよう」 と思うことにした。

  ≪若者は明日葉 = 彼らの将来? 率直に言って分からぬ。≫

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-11-16 22:19

武州通信第173号(2009・10/26)

 新型(豚)インフルエンザの大流行で、学校は学級閉鎖や学年閉鎖が相次いでいます。武州の生徒も何人かが…。幸いにも数日の高熱の後、今では元気に通っています。
  つい最近まで半袖姿も目についたのに、このところ一気に秋の深まりを感じます。これからは新型のほかに旧型のインフルエンザの心配も…。そろそろ不安いっぱいの冬がやってきます。 

《自由空間 『バクの会』》の巻

 世に素敵な出会いというものは多々あるものですが、「バクの会」と「武州」との出会いもそのひとつかもしれません。

 「バクの会」(埼玉県所沢市)というのは様々な人、つまり不登校の人、障害を持った人、いやそれに納まらない正に様々な人、の居場所です。僕が「バクの会」の主宰者である滝谷美佐保さん紘一さん御夫妻にお会いしたのは、かれこれ11年前(1998年)のこと。ところが、この間一度もバクの会を訪れたことはありませんでしたし、その後滝谷さんにお会いしたこともありませんでした。では、どうしてこんなに長く関わり続けられたのでしょう? それは、滝谷さんからは「バク通信」と(滝谷さん個人の小冊子)「野の花 空の鳥」が、僕からは「武州通信」が、相互に送られ続けたことによるのです。しかも滝谷さんは、僕の拙い「武州通信」に対して丁寧で心温まる感想をいつも送ってくださるのです。「バク通信」に広がる、“悩み苦しみながら生活している若者”の(ちょっと矛盾するように聞こえるかもしれないけれど)“生き生き”とした世界…、「野の花 空の鳥」に込められた滝谷さんの深い思索の中で発せられる言葉…。その内容をここで具体的に書けないのが残念ですが、僕はいつもその深さに、ある意味で動揺し、自らを省みては自分の足りなさを想い、それにもかかわらずそこに一種の清涼感さえ覚えるのです。信頼できるとはこういうことなのかな?という気分になるのです。そして「バクの会」からは、(武州通信にもしばしば登場した)小野寺汀ちゃん、そして塩田昌世ちゃんが武州生となり巣立ってゆき、今では中原悠介君と頓所岳史君が通っているのです。全く予想もしないことでした。 

 さて、11年ぶりの再会、(ずっとバクの会には参加したいと思ってはいたのですが)それが思わぬ形で実現したのです。こともあろうに、バクの会のイベントの一つである「イブニング・トーク」で、「武州ゼミナールを続けてきて思うこと」というテーマで僕が話すことになったのです。去る10月17日のことでした。その内容は(紙幅の関係上)ここでは書けませんが、聴いてくださった皆さんの温かさが今でも優しく僕を包んでいます。

 初めて訪れ玄関の戸を開けた瞬間、内に広がる自由な空気が僕の前に押し寄せてきて、「やっぱりバクの会はすごいなぁ!」と圧倒されました。そぼ降る雨の街路から隔絶された“自由な空間”、それが僕の第一印象です。話をしている幾組かのグループ、トランプ?をしている若者達、卓球をしている数人の大人、近くの公園でサッカーをしてきて汗を拭いている人、悩み事を話し合っているお母さん、何かを作っている子ども達、etc.…。スタッフの皆さんもとても素敵で、魅力的です。「バク通信」で想像していたとはいえ、実際に来てみると…。街行く人々はその存在にすら気づかず素通りしてしまうのかな? 内の明るさ、外の暗がり。確かにバクの会に集う人々は様々な辛さを抱えているのかもしれません。でもこの対比は一体何だろう。僕には街行く人々のほうが寂しそうで何だか心細そうに見えたのです。外は小雨が降っていたせいもあるのかもしれません。

 そして、僕の目には、「バクの会」は傷ついた小鳥が休息をとり元気を取り戻すための“止まり木”のように見えるのです。止まり木がなければ失速し羽ばたけなくなるでしょう。そこにバクの木が…、傷ついた小鳥達はバクの木で憩い、傷が癒えると、また羽ばたく、そんな姿が思い浮かびます。
 
 ここで自由空間 『バクの会』の魅力について書いてきました。でも、こんな素敵な会にも終わりはあるのです。まことに残念なことに来年の三月でバクの会を閉じることになったのです。本当に多くの人が「終わって欲しくないなぁ!」と思っています。もちろん僕だって…。

 こんなに惜しまれて消えていく会はおそらく少ないでしょう。だから、寂しさは募るけれど、ある意味でとても羨ましくもなるのです。
   
(斉藤 悦雄)

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# by bushu-semi | 2009-10-28 16:34

武州通信第172号(2009・9/28)

 今回の衆議院選挙(8/30)では民主党が115議席から308議席へと大躍進。鳩山由紀夫内閣の誕生となりました。鳩山イニシアティブがどのように発揮されるか、ちょっと注目ですね。

《真正の人“平塚らいてう”》の巻

 「戦後強くなったものは女と靴下」とは、ずいぶん昔の流行語です。今では「草食系男子」「肉食系女子」と、まるで男女の立場が逆転したかのような感じですね。まぁ、これは日常生活でのことで、まだまだ社会的には女性の地位は決して高いとは言えないようですが、それでも女性の社会進出はずいぶん進んでいます。

 ところで、皆さんは、平塚らいてう(1886~1971)と聞いて、どんな女性をイメージしますか? いや、それ以前に「その人、誰?」という人もいるかもしれませんね。明治・大正はおろか昭和も遠くなりにけり、ですからね。平塚らいてう、それは明治時代末期から女性の覚醒を促し、女性解放や母性保護を訴え、更には、世界平和に向けて発信し続けた女性です。

 9月19日の『オアシス武州』は、その平塚らいてうのお孫さんである奥村直史さん(武州第8期生の裕君、第13期生のともさんのお父さんでもあります)に、「祖母『平塚らいてう』の思い出」と題してお話して頂きました。― その時の奥村さんのお話を僕なりに要約すると…:
 明治、大正から戦前の女性は、なんの権利も与えられず、ただ子どもを産む道具として蔑視されていたのですが、それに疑問を抱いていた25歳のらいてうは、1911年(明治44年)に雑誌『青鞜(せいとう)』の発刊の辞として、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。…」というあまりにも有名な衝撃的な文章を載せました。これは覚醒した日本女性の第一声として今でも語り継がれているのです。その後も、彼女は紆余曲折を経ながらも一貫して女性の権利を追求していったのは言うまでもありません。もちろんそれは簡単なことではありませんでした。国家権力からの弾圧、マスコミからの誹謗中傷は日常茶飯事、家には石が投げつけられ、電車の中で唾を吐きかけられたことさえあったようです。それでも34歳の時には市川房枝さんと『新婦人協会』を結成し、女性の集会権の要求(治安警察法5条改正請願)や婦人参政権の要求を掲げ、44歳の時には高群逸枝さん達の『無産婦人芸術連盟』に参加し、相互扶助の生活協同組合の必要性を訴えていくのです。戦後は世界平和(反戦・核廃絶)や世界連邦の考えを推し進め、そして「日本婦人団体連合会会長」「国際民主婦人連盟副会長」「世界平和アピール七人委員会委員」としてずっと第一線で活躍したのです。

 奥村さんのお話は、平塚らいてうの上記の活動だけでなく、らいてうの共同生活者である奥村博史さん(奥村さんの祖父)との生活など多岐にわたり、どれをとっても興味深いお話ばかりでした。なかでも僕が最も強く惹かれたのは、奥村さんの“平塚らいてう像”でした。これまで書いてきたように平塚らいてうは意志堅固な女性です。彼女の八面六臂の活躍からすれば、恐らく誰もが「外向的」で「感情の起伏」が烈しく、「活発」かつ「社交的」、更に「声も大きく」「派手」で、「明るく」「機敏」な、ちょっと近寄りがたい女性を思い描くことでしょう。ところが意外にも、奥村さんは、らいてうは生まれつき声帯が弱く「声は聞き取れないほど小さく」用事のあるときは手をパンパンと叩いて家人を呼ぶほどで、「無口」のうえ「人と会うことは極めて苦手」であり、できるだけ外出を避けていた、と語ります。また、生活はむしろ「地味」で、特に感情に走ることもなく、平生は「思考」の中に心を鎮めており、「孤独」と「静謐」を何より好む、とても小柄な女性であった、とも言うのです。更に意外なのは、あれだけ多くの評論を残しているのに、筆は遅く、いつも「中々原稿が書けない」と苦しんでいたようなのです。このギャップ、面白いでしょう? 何だか不思議ですよね。僕はこんな不器用ともいえる平塚らいてうの生き方に魅力を感じてしまうのです。こうした性格だからこそ、他人が自分をどう見ようとさして意に介さず、自分の想いを一途に貫けたのではないか、と思うのです。人は他人が自分をどう見るかによらず、自らの信念に従って生きればそれで良いのだ、と思わず頷いてしまいます。

 平塚らいてうの双眸には「真正の人」だけがいつも映っていたのかもしれません。― “内なる「真正の人」を見つめて生きる”、それだけで人生を豊かにするには充分なのかな? 何だかそんな気がしてきて、僕はひそかに励まされるのです。
                        
(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-10-01 17:48

武州通信第171号(2009・8/24)

e0049938_1275538.jpg 夜、野川の川縁に腰を下ろす。煙草をくゆらし、水のせせらぎを聞く。心がぐっと落ち着く。
 暗がりの“月見草”が 月に向かって“金の光を分けてくれよ”と背伸びする。昼 金色に輝けるのは、夜 月から光をもらうから? だから“宵待草”って言うのかな? 

《学力低下って本当かなぁ?》の巻

 「生物五輪 日本初の金」という文字が新聞紙上(7月19日「朝日新聞」)に躍る。「世界の高校生らが生物学の知識やセンスを競う第20回国際生物学オリンピック」でのことである。過去最多の56カ国・地域から221人の高校生などが競った中で、日本選手は金メダル1名、銀メダル3名と 参加した全員がメダルを獲得。日本の高校生も中々やるじゃないか? まぁ、こう思うのが普通であろう。

 ところが、である。それにもかかわらず、どうやら日本の子ども達の学力はかなり低下しているらしいのだ。ずいぶん前からマスコミはそう報道し、多くの人がそう語っているのだから…。「でもなぁ、それって本当なのかな?」と僕は疑問に思う。一体、いつのどんな子どもと比較してなのだろう? 僕の実感からするとそんなに低下しているとは、どうしても思えないのである。確かに実感なんて持ち出しても、(僕とは逆に学力低下と感じる人も大勢いるわけで)確たる証拠にはならないのだが…。

 1999年に『分数ができない大学生』(岡部恒治・西村和雄・戸瀬信之・編、東洋経済新報社)が出版され、それ以降“子どもの学力低下問題”が広まった。また、2003年の『PISA(OECD「国際学習到達度調査」)』で国際順位が多少落ちたことがそれに拍車をかけ、2005年には遂に、中山成彬文部科学大臣(当時)の「世界トップクラスの学力の復活を目指す」という発言にまで発展した。 ― こうして、いつの間にやら日本の子どもの学力は低下したことに決定したのである。

 確かに分数もできない大学生の出現は衝撃的なことであろう。しかし、それとて小・中・高校生の学力低下を端的に示しているか、といえば首をひねらざるをえない。だって、そうでしょう? 今では大学(短大も含む)への進学率が56.2%にまで達しており、相当学力の低い高校生も大学へ進学しているのだから…。しかも私大の4割が定員割れし、その大学ではAO入試や自己推薦入試で、かなり低学力の生徒をいとも簡単に合格させているのである。つまり、「分数ができない大学生」の出現は、子ども達の学力低下の問題なのではなく、少子化と大学進学率の上昇、それに大学の経営難に根本原因があるに相違ないのだ。

 また、国際比較を見ても、2003年のPISA(思考力・読解力重視・15歳対象)では多少下がっていても(とは言え、さして有意な低下ではないのだが)、もう一つの国際比較調査であるTIMSS(「国際数学・理科教育動向調査」、基礎力重視・応用力含む、小4・中2対象)の2007年テストではむしろ上がっているものもあるのである。まぁ、こんな曖昧な比較調査に一喜一憂するのは何とも愚かだとは思うが、この調査ひとつを見ても「子ども達の学力低下」という言説が、いかに怪しいものか、が分かるだろう。

 夏休みの授業でのこと。酒井萌衣(もえ)ちゃん(小6)が「学校の分数の宿題まだ半分残っているから今やってもいい?」と言う。塾の予定はあらかた終わっているので、僕も快く「いいよ」と…。半分やってあるとはいえ、残りもずいぶん多い。分数の宿題全部を合わせれば優にノート一冊分にはなるだろう。小学生はまだ純である。宿題はごまかすことなく自力で終わらせなくてはならないのだ。脇目も振らずシャクシャクと計算や文章題に取り組む彼女に、「萌衣ちゃん偉いねぇ!」と思わず声をかけてしまう。そして、最近の子どもの達の心性や行動には大きな変化があるとはいえ、「これが何十年も続いている子ども達の学びの姿なのだ」と思う。恐らく分数のできない小学生は(中・高生も)少ないのではないかと…。

 今後、塾にも通えないという家庭の経済格差による学力低下問題はどうなるかは分からない。しかし、これまで語られてきた学力低下問題には、どうしても疑問を抱かずにはいられないのである。           

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-08-31 11:47

武州通信第170号(2009・7/27)

e0049938_17384584.jpg 46年ぶりの皆既日食、曇天の東京では残念ながら部分日食の影すら…。 
 太陽は輝いているのに夜が走ってくる幻想的な光景、一度この目で見てみたかったなぁ! 次は26年後の2035年の9月だとのこと。その時は(僕は)きっと映像ですら見ることはないだろう!

《親日的?反日的?》の巻

 日本の台湾統治を取り上げたNHKスペシャル『JAPANデビュー』第一回「アジアの一等国」(4月5日放映)がどうやら政界に波紋を投げかけているようです。ところで、僕はというと、この番組を特に深い思いもなくただ何となく「なるほどなぁ」と見ていただけでした。ところが、自民党は「反日的な番組だ」と批判し、共産党は「良い番組だ」と高い評価を与えているのです。また、この番組に関してNHKを相手に原告8000人を超える大規模訴訟にまで発展しているようなのです。

 とはいえ、ここで政治の話をしたいわけではありません。とてもとても僕の手に負える内容ではありませんからね。じゃぁ“どうして武州通信の話題にするの?”って思いますよね。 実はね、先日、南米パラグアイで日本語を教えている寺鍛冶和子さん(元武州の先生)から次のようなメールが入り、こちらのほうに心が動いたからに他なりません。

(前略)…先程ニュースを見ていましたら何やらNHKで揉めているようですね。実際、台湾の人は世代を問わず、多くは日本人に友好的です。ただ、台湾人にも「本省人」と「外省人」と呼ばれる区別があって、後者の第二次世界大戦後に中国大陸から入ってきた人々(おそらく心情は中国人)は、日本人に対して強度の憎しみを持っているように思われます。…(中略)…
 数年前、こんなことがありました。私がかつて日本語を教えていた男子生徒の台湾人ファミリー(大の親日家で彼の祖母の名前は「はな」さん)を知人の和食店へ招待した時のことです。その生徒のガールフレンドが勝手について来たので慌てて追加を注文したにもかかわらず、彼女は一口も箸をつけないのです。知人も相手が若い女の子なのでアイスクリームなども勧めてくれました が、全く反応なし。ちょうど排日運動がエスカレートしていた頃でした。ちなみに、彼は台湾の大学を出たのですが、彼女は上海の大学出身者でした。
 もうひとつは、先の男子生徒の姉が近所に嫁いでおり、彼のお母さんがその娘(彼の姉)のところのパーティーへ一緒に行きましょうと私を誘ってくれた時のことです。お姉さんもその夫も普通に愛想がよかったのですが、舅(その家の主人)は日本人である私に対して挨拶どころか全く無視、つまり、使用人(こちらでは日本人家庭では少ないのですが、台湾出身者の多くは家に使用人を置いています)と同等の扱い、その人にとって私はまるで「透明人間」なのです。…(中略)…
 パラグアイは台湾と国交があり、中国とはありませんが、隣国ブラジルは中国と国交があるので、中国系はブラジル経由でこちらへ簡単に入ってくることができます。とくに、天下の華僑ともなれば、何でもお金で入手可能ですから。私も実際体験するまでは知らなかったのですが、一口に台湾人といっても、各々のルーツまではなかなか把握できず、いろいろ失敗してから気が付くということの繰り返しです。        (k.terakaji)                                                                           

 長い引用になってしまいましたが、なんだか不思議に思いませんか? 台湾統治の当事国日本にいては中々実感できない国際問題が、地球の反対側の南米でリアルに体験できるというこの不思議さです。当事国に生活する僕達の多くは報道番組を見たり本を読んだりして「頭」で考えるしか方法がありません。だから、どんな資料を持ち出されても、たとえそれが第一次資料だと言われても、どうしても何処か判然としない心地の悪さが残ります。

 確かに、事に当たる判断の基準がもし実感だけなら“危うい”とは思いますが、実感から離れた架空の(政界や国民の?)判断も何やらかなり“怪しい”もののような気がしてなりません。        

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-07-27 12:58

武州通信第169号(2009・6/23)

 何だかムンムンと蒸し暑い。ひとりで冷房を使うには、まだちょっぴり早かろう。だからタオルを首に巻いて「期末試験」対策を…。一学期も余すところあとわずか。 

《SPI試験》の巻

 「こんな勉強何の役に立つの?」「僕には関係ないや!」と、相も変わらず生徒の口から漏れてくる。古文や漢文なんになる? 方程式に三角関数、どんな仕事に役立つの? 古い歴史を知って何か得になるのかな? スイヘイ リーべ ボクノ フネ…、ボクは一体何してるんだろう? どうやら、中学生、更には高校生にもなると、どんな生徒も“自己省察”し始めるようである。自己省察といっても、自分の得意な教科、不得意な教科、それらを前にして将来の自分に役立つか否か「値踏み」しているだけに相違ないのだが…。こんな生徒の“ぼやき”については、ずいぶん前にも何度か書いたことがある。つまりこの手の疑問は、現代の子ども達にとって、どうやら普遍的なテーマになっているようである。

 そして先日も、数人の高校生が森本拓也先生(現・農工大大学院生)との雑談の中で「こんな勉強一生使うことないと思うんだけどなぁ」と…。確かに彼らの気持ちは良く分かる。理系の生徒にとっては文系の勉強は魅力がないし、文系の生徒にとっては理系の勉強はお荷物に違いない。ところが、森本先生の答えは、「いや、“やっておいて良かった”という時がそのうち来るよ」であった。生徒達は「ホントかな?」の気分。「(森本先生は)国立大学だからなのかな?」、まあ、それはそうかもしれないが、どうやらそれだけではないらしい。
 
 ところで、一週間ほど前に、卒業生で現在大学4年生のK君が顔を見せる。「就職ちっとも決まらないよう。どうしよう?」と。そして、「この問題教えてよ」と取り出したのが、『SPI2試験』の問題集であった。SPI試験というのは多くの企業が利用している入社試験である。今では上場企業の多数が使っているという。そのほか中小企業でもずいぶん採用しているらしい。しかも、多くの応募者に対する篩い分け、つまり足切りとして利用しているという(試験そのものは外注企業が行なうことが多いらしいが…)。ということは、これを クリアしなくては就職の糸口すらつかむことができないことになる。このところSPI試験という言葉をずいぶん耳にするようになったのだが、どうやらそれにはこうした事情があったようである。

 K君から見せてもらった問題集には、「言語能力問題(語彙力など)」「非言語能力問題(算数・数学)」「性格適性検査」やその他「クイズ的問題」などがたくさん載っていた。さて、文系大学に通うK君の困惑は? 案の定「非言語能力問題(算数・数学)」であった。ところが内容を見れば、中学の「食塩水問題」や「距離・速度・時間の問題」であったり、高校の「確率」「命題」であったり、さして難しくはないが、それでも中学・高校で一応きちんと学んでいなければ苦戦するだろうものである。
 K君「先生に教われば分かるけれど、自分ひとりでやるとなると無理だよ。もうこれ捨てちゃおっかなぁー?」
 僕  「おいおい、捨てたら就職の出発点にも立てないよ。もっと真剣に取り組んだほうがいいよ。」
 まぁ、こんなやり取りになるのである。今ではどこの大学出身者かは問わない企業が増えているとも聞く。しかし、こんな形で中学・高校での学業の達成度が問われているのかもしれない。食塩水問題なんて“何の役に立つの?” 確かにその通りであろう。でも、企業は「食塩水問題」そのものを問うているのではなく、その人材が中学・高校時代にどんな姿勢で生活してきたのか、つまり、複雑な問題を適切に処理する能力が身についているか、を問うているのではないかと思う。なるほどうまくできている。SPI試験、恐るべし。大学での成果や個性は、SPIで足切りした後、「成績表」や「小論文」「面接」など二次試験で調べれば良いのだから…。  

 最近の就職事情を知っている森本先生の「“やっておいて良かった”という時がそのうち来るよ」という言葉には“こんなことまで含まれていたのかな?”と、思わず頷いてしまう。 
  とはいえ、僕もこうした厳しい現実を生徒にしばしば語ることはあるけれど、現実を知ったら知ったで、子ども達の“やりきれなさ”は更に膨らむばかりかも…!!            

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-06-26 10:26

武州通信第168号(2009・5/24)

 豚インフルエンザが大流行の兆しです。このインフルエンザ、毒性は弱いらしいのですが感染力が抜群とか? 花粉症の季節が過ぎたと思ったら、またまたマスクの出番ですね。

《公太君、その後》の巻

 この3月に一通のメールが届いたのです。懐かしい斎藤公太君(22歳)からです。公太君については『武州通信』第104号に書いたことがありますが、あれからもう6年半も経つんですね。大検(現在の「高卒程度認定試験」)を一回で合格した15歳の少年は、いつの間にやら大学院に通う希望に満ちた22歳の青年になっていたのです。

 (前略)…年賀状で大学院受験のことについてお知らせしましたが、このたび東京大学大学院・人文社会系研究科の基礎文化研究専攻(宗教学・宗教史学専門分野)に合格いたしました。
 小学校の時の不登校から始まり、大検の合格を経て、このような地点に立てたことをうれしく思います。
 もう覚えていらっしゃらないと思いますが、武州ゼミナールに通っていた時に、「公太君は大学院に入るべきだ」と言っていただけたことは、その後もはげみになりました。あの頃に教えていただいた様々なことには、今でも感謝しています。…(後略)

 「大学院に入るべきだ」と語ったということまでは定かには覚えていない。しかし、当時すでに僕はそう思っていたのでしょう。多くの人は、まだ稚(いとけな)い15歳の少年に「大学院へ…」とは “それにしても早過ぎないか?” と思うかもしれません。しかし、当時の彼は自分の関心事には飽くなき探究心があり、そうですね、学者の片鱗とでもいうようなものを持っていたような気がするのです。心理学や思想への関心、若干15歳にして…(いや、僕が出会った12歳の頃にはもう…)。それに大検に合格してから初めて英語を学んだのですが、本当に楽しそうで、多くの中高生を見てきた僕の目には不思議にさえ映ったものです。学校で嫌々ながら学ぶ英語とは全く違う。ふと“学校って何だろう?”と考え込んだものです。
 
 どうやら公太君は武州を去ってからもその姿勢を貫いていたようです。全くの独学でICU(国際基督教大学)に現役合格。その知らせを受けた4年前、驚いたというより思わず納得したものです。「学び」とは「自ら学ぶことである」という当たり前の事実に。もっとも大学ではずいぶん苦労もあったようですが…。彼はその後のメールで次のように語ります。

 (前略)…本当に大変だったのはICUに入ってからでした。ある程度予想していたとはいえ、やはり十数年間学校に行っていなかった人間が、いきなり学生生活を始めるというのは困難なことでした。
 周りは小さい頃から受験競争を経てきた人間ばかりで、自分とは考え方から話し方、日常の一つ一つの所作まで異なるように感じられました。まるで自分が「普通の人間」の輪から外れているかのようで、大学で過ごす時間はひどく苦しいものでした。…しかし、大学で学問を学ぶこと自体は非常に楽しく、それが唯一の救いであったと言えるかもしれません。…(後略)

 なるほど、何となく大変さと葛藤が想像できますね。確かに人との関わりが希薄だった彼には大きな試練だったに相違ありません。試練、それはどんな人生を歩んでも必ずぶつかる巨大な壁です。でも、それとの格闘の中で、人として一回りも二回りも大きくなれるものなのかもしれません。かくして、公太君も大きな試練を経て、素晴らしい大学の先生方や友達にも出会え、家族の応援もあり、念願の大学院への道が切り開かれたようです。おそらくこれからが公太君の本領発揮となることでしょう。もちろん、まだ大変なことはあるとは思いますが、頑張って学問を究めて欲しいと願っています。
 
 『武州通信』第104号にも書きましたが、《人のゆく裏に道あり》ですね。公太君にとって最良の道を通って、やがて人生の追分で人に出会い同じ道を歩む。公太君の22年間の道筋を頭に描くと、人には“人それぞれの道”そして“自分に添った歩き方”があって良いのだと、感慨深い気持ちになるのです。

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-05-24 16:16

武州通信第167号(2009・4/4)

 この春はマスクをした人が多かったですね。ピークは過ぎたとはいえまだまだ花粉症の季節が続いています。道端で挨拶されても帽子にマスクでは “???”。しばらく目を凝らしてから「あっ、どうもどうも…」と何とも歯切れが悪い。
 それにしても花粉症って本当に嫌ですね。かく言う僕も花粉症です。「クッ、クシュン」 

《サプライズ》の巻 

 “美味しいシュークリームはいかが?” 差し出されたのはたくさんのミニシュー。僕を含めた11人が順番に頬張る。「ホントだ。美味しいよ」「えー、これ自分でつくったの?」「すごーい!」。みんなの歓声の中、「げっ、何だよこれ!」と羽生柾敬(まさたか)君。次には「何だかヘ~ン!」とは、内藤ももちゃん。いやはや、60個ほどのミニシューの中に4つだけ“芥子(からし)入り”が混じっていたのです。お茶目なパティシエールは高野菜月ちゃん。美味しかった? 辛かった? 菜月ちゃん発のサプライズ!?

 こんな賑やかなシュークリーム・ロシアン・ルーレットから今年の「中三・卒業の会」(3月18日)は始まったのです。もっとも男の子達は一時間ほど早く来て「人生ゲーム」でひとしきり盛り上がった後ですが…。その後、菅原風香ちゃんに「何かクイズ出してよ」とせがまれて、知っている限りのクイズを…。そうこうしているうちにも、さまざまな思い出が頭をよぎる。

 小学生の頃から5年間通い続けた駿(はや)君(酒井駿匡(はやまさ)君)。あの頃は何かと言っては、まるで子犬のようにじゃれついてきたよね。そして黒板いっぱいに船や魚の絵を描いていたっけ…。その駿君ももう高校生なんだ。うーん、感慨無量! 府中市から西東京市へと引っ越した後も、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、自転車でほとんど遅刻することもなく通ってくれた諏訪園豊君。いつも笑顔を絶やさない豊君。自分を見失わない姿が何とも魅力です。サッカーで都大会出場の高杉朋道(とものり)君。勉強も手を抜かず見事に両立。本当に立派です。きっと大変な日もあったのでは? この経験はおそらくこれからも生きることでしょう。羽生柾敬君は、人一倍の向上心で「他の日も来てもいい?」と。僕のあいている時間に来ていろいろな問題にアタック。そうです、この姿勢がどんなときにも大切なんだよね。ちょっと控えめな高野菜月ちゃん。でも時々お茶目な菜月ちゃん。自分の将来を見つめての高校選びだったよね。今から目標があるなんて素敵です。是非自分の願いを叶えて欲しいな。斎藤剛志君と松田拓真君のお笑いコンビは中三武州のムードメーカー。だからといって授業妨害にならない程度でしたし…。この加減がまた絶妙です。やる時はやる、そんな二人が授業を明るく楽しくさせてくれました。中三の中頃に入塾した神田怜(さとし)君。とても綺麗な字で読みやすく、計算も丁寧なのが特に印象的です。高校でも丁寧にしっかり学んでください。そうすればきっといいことがあるよ。さて最後になりましたが、内藤ももちゃんと菅原風香ちゃんはとても仲良し。入塾当初、剛志君は「あれっ、双子?」とビックリ。顔や背丈は違うけれど確かに雰囲気がそっくりです。そればかりか最後まで力を抜かず息切れもせず努力したところも似ています。本当によく頑張ったね。そして高校は違うけれどこれからも仲良しでいて欲しいな。
 三年生の定員いっぱい“二十の瞳”が高校生活に向けて輝いています。みんな明るい笑顔が素敵です。

 思わず卒業生の紹介をしてしまいましたが、話を「卒業の会」に戻しましょう。会も終盤になった頃、ちょっぴり照れたような、そして何かを含んだような顔つきで、剛志君と朋道君が「これ、みんなからプレゼントね」と。これまでも卒業生からプレゼントを頂いたことはあるけれど、こっ、これは…。なんと黒のブリーフ、それに映画のチケット2枚。「ブリーフは先生が穿くんだよ、いいね!」(えー、僕が穿くの?)「映画は絶対に奥さんと行ってね」とダメ押しする二人。 ともかくビックリ、ハトに豆鉄砲。ポカンとしていると、「サプライズ失敗かぁ?」と…。いやいやしっかりサプライズでしたよ。どうやらお茶目なのは菜月ちゃんだけではありませんね、この学年は…。それにしても卒業プレゼントに“ブリーフ”とはねえ!!

 翌週、妻と二人で彼らから頂いた「イエスマン」を観てきました。みんなの気持ちを胸にちょっとしたデートの気分。映画のようにすべてにイエスとはいかないけれど、“ノーマン”よりは、やはり“イエスマン”のほうがいいですね。人生にイエスを…。卒業生みんなの人生にイエスを…。そして、可愛いみんなの気持ちに“ありがとう”。                

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-04-08 15:36

武州通信第166号(2009・3/12)

 陽だまりのウッドデッキ。何処から来たのか一匹の猫が気持ち良さげに丸くなる。猫はどんな夢を見るんだろう? 麗らかな 弥生の一日です。

《『三億円事件』の真相?!》の巻

 世紀の完全犯罪といえば、やはり府中『三億円事件』ですよね。昭和43年(1968年) 12月10日午前9時21分~24分のたった3分間に忽然と三億円(現在の約20億円)が消えたのですから…。あれから40年、あの白バイ警官に扮した犯人は今何処で何をしているのでしょう?

 3月7日の『オアシス武州』は、その犯人と関わったことがあると語る冬木健幹さん(86歳)のお話でした。そして、司会は、(かつて僕がアルバイトの講師をしていた塾の経営者であり)冬木さんの友人である坂口貞義先生にお願いしました。お二人の微妙なやり取りが面白く、幾度も笑いが あちこちに…。

 冬木さんのお話をかいつまんで要約すると…、  
 当時冬木さんが小金井で経営していた「多摩電子」という会社に、正木(仮名)と徳山(仮名)という二人の若い男性従業員がいたのですが、どうやら彼らが三億円を強奪した犯人らしいのです。というのも、事件前に二人は、残業と称してバイクを改造し塗装機で白色に塗り、人影のない近くの変電所の辺りに隠していたようなのです。会社にはさまざまな工作機械があり、バイクの改造なんて朝飯前…。そして、事件当日の朝、正木は遅刻し、何食わぬ顔で12時頃に出勤。そんなことから、冬木さんも他の従業員も「どうやらこの二人が怪しい」と、うすうす勘付いていたようです。しかも、その後の二人は(それまでは欠勤や残業が多かったのに)突然きちんと出勤し残業もせず普通に仕事をし始めたのですから、冬木さんの疑いはますます深まります。確かに怪しい。その間にも、警察の捜査員はたびたび訪れ調査したのですが、当日のタイムカードを見ることもなく帰ってしまったと言います。何とも杜撰(ずさん)な捜査ですよね。

 「それにしても、なぜ冬木さん達は警察に二人のことを話さなかったの?」と参加者から質問が…。その問いには、「そんなことをすれば大騒ぎになるし、会社はやっていけなくなるからね、それは言えないよ。それに、従業員だって仲間を売ることになるし、何しろ関わりたくないからね」と…。「そうこうするうちに、正木も徳山も翌年の3月~5月に退社してしまい、正木にはそれ以降会っていないし、徳山とは数回会っただけだよ」とも。とはいえ、冬木さんは、時効後ずいぶん経って、坂口先生の勧めもあり、『府中 三億円事件 俺が真犯人だ』という本を猫屋犬平というペンネームで出版しました。その本を冬木さんの知人が新潟県にいる主犯の正木に手渡したのですが、それでも正木は決して連絡もよこさず、今でも小金井には近寄らないようにしていると言います。かくして冬木さんの確信はいっそう強まったようです。どうやら主犯は今でも新潟県にいるらしい。その後の冬木さんは、真実を暴かれた犯人からの報復を恐れ、外出するときには大きなコリー犬を連れて歩いているのです。

 坂口先生は「犯人を脅迫して3000万円を手にしたと聞いたけれど、その辺りはどう?」と執拗に迫るのですが、冬木さんは「いや私はビタ1円も貰ってなんかいませんよ」と防戦一方。速射砲のように質問する坂口先生、あたかも話の皺(しわ)を伸ばすかのようにのんびり返答する冬木さん。この辺のやり取りが、何やらとぼけていて、まるで掛け合い万歳を聴いているようでした。とにもかくにも40年も前のことですし、話が行ったり来たりで、また曖昧になっている部分もあり、参加した3人の中学三年生などは「???」の連続だったのかも? 何しろ彼らが生まれる25年も前の事件ですしね。まぁ、ちょっと迫り切れなかった感は否めませんが、皆さんも改めてこの事件の不思議さと面白さを満喫できたのではないかと想像します。それに地元の府中・国分寺・小金井が“事件”のそして“お話”の舞台なのですから関心・興味も幾百倍…。

 事の真相は本当のところは分かりません。でも、三億円の3倍の九億円をつぎ込み17万人以上の捜査員を投入しても犯人を特定できなかった事件です。その間に捜査線上に浮かび上がった11万7950人の容疑者は結局全員 「シロ」だったわけで…。となれば、冬木さんのお話の可能性もまんざら否定できそうにもありません。疑問が更なる疑問を生み、不思議な時空を彷徨(さまよ)った数時間でした。

 うーん、やっぱり三億円事件は一筋縄ではいかぬ「昭和史最大のミステリー」ですね。それに何といっても、希代のこの事件は、謎に包まれたままの方が、余韻が残って楽しいのかもしれません。

 (斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-03-13 18:52

武州通信第165号(2009・2/23)

 今日は都立高校一般入試の日。この日と合格発表の日は、僕にとって一年中で一番緊張する日です。焦らずこれまでの成果を存分に出して欲しいと願っています。この日ばかりは生徒を信じるしかありません。先生なんてなんとも無力な存在ですね。 

《ローリスク・ハイリターン》の巻 

 経済の世界には「ハイリスク・ハイリターン」という用語があります。「危険(リスク)は高いけれど、うまくいけば高い利益(リターン)が得られる」とでも訳せば良いのでしょうか? 多くの利益を得るには危険が伴うというのは、まあ当然ですよね。ところが、今号の話は「ローリスク・ハイリターン」です。えっ「危険が少なくていっぱい利益があるんだって?」「 そんな美味しい話はどこ?」、なんてキョロキョロしてもダメ。これは経済の話ではありません。残念でした!!

 前号の《学校生活、起・承・転・結》について 第8期生である大塚玲二君(37歳)から珍しくメールが届いたのです。彼は、学生時代にアメフトに燃え、その後銀行に勤め、今では二人の男児のパパになりました。以下、玲二君のメールの一部を転載します。ローリスク・ハイリターンのお話です。

 (前略)… 日本的作文手法の『転』の意味合いとはちょっとズレますが、ただ単に日々を流れるままに過ごす(orこなす)のではなく、≪能動的≫に自ら『挑戦』『冒険』すべきではないかと…。これが学生生活における『転』になるのでは、と思います。学生時代に臨む『挑戦』『冒険』の最大のメリットは、「ローリスク・ハイリターン」ということです。
 『挑戦』『冒険』が成功・目標達成すれば当然満足できます。当たり前ですね。そして『挑戦』『冒険』が自分の目指すところまで到達できなかったとすれば失敗と判断し、不満足な思いをするでしょう。ただし、じゃあ失敗して何か失うものはあるでしょうか。時間と労力と金銭を物理的には失った、と思うかもしれません。でも、なんにも『挑戦』『冒険』しないで友達とダラダラ楽しく過ごしていても、少なくとも時間と金銭の浪費は伴うでしょう。それよりも『挑戦』『冒険』に挑んだチャレンジ精神、トライしている途中での様々な経験、失敗した時の悔しさ、成功した時の達成感、なぜ失敗/成功したかをその原因追究まですればその探求心はその後の人生に意味を持ちます。そしてなにより『挑戦』『冒険』を経験したことによる自信・誇り!…等々。
  (こんな表現は学生さんに怒られるかもしれませんが)所詮「学生」のすること。責任は感じて欲しいですが、責任を取るのは周りの大人がすれば良いのです(『挑戦』『冒険』する前にちゃんと周りの大人達にオーソライズしておけば更にリスクヘッジになりますね)。失敗しても周りの大人達が尻拭いしてくれますよ! 仮に責任を取ってくれる大人達が周りにいなくても、学生本人は「やばい、大変な失敗をしてしまった~」と思っても、人生経験豊富な大人達から見れば大した失敗ではないのです。学生が自分で自分の尻を拭ってみると、経験が無いからビビっているだけで、意外と自分で簡単に拭えるものだったりするのです。ですから、家や通学途中にPSPに夢中になったり、ファミレスや繁華街でダラダラと過ごすより「他にやるべきことは幾らでもあるだろ!」と言いたくなります。かくして大塚玲二も中々頑固なのです。…(後略)

 面白いですね。どうやら「転」にもいろいろあるらしい。それに、金融業界にいると使う用語まで違ってくるんだなぁ、と。学生生活は能動的に活動すれば「ローリスク・ハイリターン」なんだね。それに周りの大人は学生にとって「リスクヘッジ(危険の防波堤?)」になるんだね。そう考えてみると玲二君の言うように、学生は能動的に「挑戦」「冒険」しないと損だよね。うん、なるほどなるほど…。まあ、「挑戦」「冒険」が大麻だったりするとヤバイけれどね。  
 それはともかく、以上、玲二君の「ローリスク・ハイリターン論」でした。

 さて、このように大人になり社会人となりそれぞれの人生観を語るようになる卒業生が多くなると、現在の生徒に対する僕の見方も以前とはずいぶん変わってくるのです。それぞれがいろいろな経験を踏みしめて、そのうち僕を乗り越えていく。そんな将来の彼らを想像すると、現在の生徒達の如何なる姿も決して否定ばかりはできなくなるのです。そして、卒業生はみんなそのことを意識させる大きな存在になっているのです。そうです、今の生徒達だってやがて僕をうならせる存在に…。                 

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-02-27 17:30

武州通信第164号(2009・1/1)

 なにやら2年越しの通信になってしまいました。今日は元旦。というわけで月並みに「明けましておめでとうございます。今年もよろしく。」
 パソコンに向かっても、去年の“昨日”と今年の“今日”、何だか気分がちょっぴり違う。不思議なものですね。

《学校生活、起・承・転・結》の巻 

 今年は時代の転換点。いい転換点になって欲しいですね。
 ところで、日本では、ものを書くときには「起・承・転・結」を意識して書け、と言います。僕も、生徒(や大学生)の小論文を手伝う際には、とりあえずこのことを語り、無理なら「起・承・承・結」で良いと伝えます。というのも、この「転」の部分はとても難しいのです。とにもかくにも「転換点」の「転」は難しいのです。 
 
 江戸時代中期の博物学者、平賀源内の戯れ唄?に、
(起)京の三条の糸屋の娘
(承)姉は十七、妹は十五
(転)諸国諸大名は弓矢で殺す
(結)糸屋の娘は目で殺す
というのがあります。本当によくできていると思う。突然の「転」の意外性がこの唄の味わいを深めています。「結」の糸屋の娘の色っぽさが引き立ちます。平和な庶民のほんわりとした色香がそこに漂ってきます。

 ところで話は「転」じて、小学生から大学生まで関わって30年、最近ちょっと学校生活にも「起・承・転・結」があるのかなぁ?と。
 
 学校生活の「起」それは小学校、そこで人生に必要な最も基本的な一切を学ぶ。おそらく人生で必要とするすべての学びはここに集約されているに違いない。四則計算ができ、調べれば新聞が読める程度の国語力もつき、社会や自然のあり方もそこそこ学び、人間関係の大変さもちょっぴり経験…。

 次に、学校生活の「承」は中学校・高校での学びかな? 「起」の命を承って、それを発展させる時期である。したがって無くても生きられるから、どうしてこんな勉強に意味があるの?と疑問を膨らませる、そんな時期でもある。とはいえ、現代では、これをこなさなくてはなかなか先へ進めないんだよね、これが…。初恋も経験し、悶々としながらの「承」である。

 で、いよいよ問題の「転」。これが大学、いや「大学生活」である。えーと、別に大学へ行かなくてもいいんだけれど…、ともかくこの頃が「転」。ところが、最近の学生に知の「転」が生じているようには古い頭の僕には見えないのだ。もしかしたら個々人の中にはあるのかもしれない。でもね、ここでも「転」はやっぱり難しい。最近の学生は、何だか大学の勉強をこなすのに汲々としていて、そしてあとは個人的な楽しみにしか関心がなく、まるで高校生活の延長で次なる「承」でしかない、そんな気がしてくるのである。味わいの「転」が見えない。学び・考えなくてはならない年代なのに、「学び」への方向性がない。社会を対象化し、自分自身をその中で対象化する、それが「大学生活」だ「青春」だ、と僕は勝手に考えているので、何だか物足りないのである。いや、彼らはとてもいい若者だし、ある意味で魅力的ですらあるのだけれど…。だから僕が勝手に自分の尺度を押し付けているだけかもしれない、とも思う。知の意味づけが僕の思っているものとは違うのかもしれないし…。だが、せめて、ただの「承」ではなく「転」(社会の対象化・自己の対象化)は面白いよ、味わい深いよ、とだけは言わせて欲しい。恋愛も素敵、知の「転」はそれに負けず劣らず素敵。若者よ 頑張れ! かくして悦雄さんは中々頑固なのである。

 そして「結」、それはその後の長い人生であろう。ここにこれまでのすべてが収斂(しゅうれん)している。「結」に向けての「起・承・転」なのだから…。結局は、終わり良ければすべて良し、かな? ― なんだ、これが結論か? やっぱりね。

 こんな『武州通信』を書きつつ、僕の人生を思う。そこそこ良い人生だった(いや、過去形ではダメだな、進行形でいこう)とは思うが、だからといってみんな僕と同じように生きて欲しいとも思わない。こんな理屈っぽい大人ばかりじゃ世の中つまらないし…ね。みんなが幸せに生きてくれればそれでいいんだ、と改めて。そして、時代の転換点の「転」がみんなの幸せに繋がることを祈る。それに向けて「若者よ頑張ろう!」 なっなんだよ、しつこいなぁ。

 それはともかく、今日から2009年。明るい良い年にしましょう! そし て、楽しく味わいのある人生を…! 
        
 (斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2009-01-09 16:20

武州通信第163号(2008・11/23)

 このところ「中々『武州通信』出ないねぇ!」「もしかしてスランプ?」とか生徒に“からかわれる”ことがしばしば。確かに9月中旬に書いてからずいぶん間があいてしまったようです。生徒の言葉は絶妙なタイミングで発せられることが多いですね。本当にスランプなのかも?なんて思いながら、もたもたしながらようやくパソコンに向かったところです。

《時代の転換点?!》の巻

 4月の『武州通信』第156号に「もしかしてグローバル経済って意外に脆(もろ)いのかも? やがて世界大恐慌なんてことも!?」なんて、何とも不謹慎なことを書いたのだが、それがまんざら出鱈目とは言えないような危うい経済情勢が続いています。ほんの半年ほど前には「まさか、そんなことは起こらないだろう」という気分が漂っていたのだが…。でも、今では…。 生徒の中には「世界恐慌になったら面白いと思わない? そうなったら僕達は歴史の真っ只中にいるんだぜ!」と興味津々の子も出現。子どもの発想の面白さを見つめつつ、「でもなぁ…!」と僕。

 アメリカのサブプライム問題に端を発したこの「世界経済の危機」について(そして「グローバル資本の問題点」について)考える時間がこのところずいぶん多くなった。1929年の大恐慌以来の世界経済の破綻は、やはり気になりますよね。“時代の転換点に立っている”という感覚は当の生徒ばかりではなさそうです。どうやら日本では小林多喜二の『蟹工船』が読まれ、ドイツではマルクスの『資本論』がずいぶん売れているらしい。数年前には考えられなかったことです。まぁ、だからといって、よもや社会主義への方向転換はないでしょうが、世界中が“新しい時代”を熱望している空気は、ひしひしと伝わってきます。

 ところで時代の転換点といえば、歴史に残るアメリカ大統領選(11/5・日本時間)から半月以上が経ちました。米国のあの熱狂がずいぶん前のことのように感じられます。それと共に、初の黒人大統領(バラク・フセイン・オバマJr.)の誕生、確かに魅力的な次期大統領ですが、待ち受けている課題があまりにも大きすぎるのでは?と不安を覚えます。選挙に際しては追い風となった金融危機も、これからは逆風となって彼の肩に重くのし掛かってくるのは間違いありません。米国民の(そして世界の)期待が大きいだけに…。しかも、期待は裏切られたときほど反動が大きいもの。― まぁ、あまり悲観的なことはこれ以上書かないでおきましょう。何と言ってもお気楽なはずの『武州通信』だからね。

 ところで、中3の英語の教科書(New Crown)に「I Have a Dream(私には夢がある)」という課(レッスン)があります。これは、アメリカ公民権運動、特にマーティン・ルーサー・キングJr.牧師の人種差別撤廃を訴えた講演を対象にしたものですが、これまでは他の課と同様に、英語の授業の一環として淡々と終えたものです。ところが今年は、 斎藤剛志君(中3)から「“I Have a Dream”、聴いてみたいなぁ」というリクエストが…。もしかしてアメリカ大統領選の影響が強かったのかな? これもオバマ効果ですかね? ともかくパソコンで“YouTube”を開き、何人かの生徒と、キング牧師の講演「I Have a Dream」を聴く(見る?)ことにしました。

 45年前、25万人が参加したと言われるワシントン大行進、その最後を飾ったリンカーン記念公園での“I Have a Dream”、何度聞いても迫力がありますね。「カッコいいなぁ!」「すごいね!」という生徒の囁きの中に小さな“時代の転換点”を見たような気がします。たったこれだけのことですが、普段は何気なく過ごしている生徒の心にも“時代の風が吹いているんだなぁ”と、ちょっぴり感じた一瞬でした。
         
 (斉藤 悦雄)

【追記】
 武州のホームページを全面改訂しました。北原勇志君の尽力の成果です。うん、なかなか良くできているぞ!と僕は内心御満悦。北原君の力作、見ていただけると嬉しいですね。そして直した方がいいところや付け加えた方がいいところがありましたら、是非是非 御一報のほどを!
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# by bushu-semi | 2008-11-26 16:38

武州通信第162号(2008・9/15)

 陽の力も弱まり、蝉の声も何となく心細げに聞こえます。
 帰宅の道すがら、思わず広がる虫の集(すだ)きに 白秋の声を聞く。夜の帳(とばり)が降りると、選手交代とばかりに“リーリー”“ジジジー”とちょっぴり切ない歌声が…。なにやら寂しい秋の入り口です。

《裁判員制度って何?》の巻

 来年の5月21日、いよいよ『裁判員制度』が始まるんですよね。もし裁判員に選ばれたらどうしよう? そうなったら困るなぁ! そんな不安を少しでも和らげようと、今回(9月13日)の『オアシス武州』は、知人の弁護士・石井小夜子さんにお願いしたのです。

 最高裁判所の小冊子には、「裁判員制度は、国民の中から選ばれた6人の裁判員が刑事裁判に参加し、3人の裁判官とともに、被告人が有罪か無罪かどうか、有罪の場合、どのような刑にするのかを決める制度です」と。また、どうやら「裁判員6人と補充裁判員2人」は、有権者の中から1年間で約4160人に1人の確率で“くじ”で選ばれるらしいのです。しかも、もし質問票に嘘を記載したり、呼び出しに応じなければ、なんと過料か罰金刑が科せられます。それに、地方裁判所の第一審だけだとはいうものの、対象事件は殺人や強盗致死罪などの重大事件のみであり、死刑や無期懲役などの量刑を3人の裁判官と6人の裁判員の“多数決”で決める、とも言います。うーん、裁判官が一緒だとはいえ、何と恐ろしいことを…。そうそう、その上、永遠の守秘義務も課されているのです。ところで、この制度一体何のためにできたのかな? その小冊子によると「(刑事司法の運営に)国民の関心が一層高まる」ことや「国民の良識を裁判の内容や手続きに反映させる」ことが趣旨だ、と。こんな安易な目的で、嫌がる国民を巻き込み、1年間に32億円もかけて始める意味があるのかな? 石井さんは「弁護士会でも裁判員制度に反対の人が多い」と語ります。

 とはいうものの、現にもう来年には待ったなしで始まるのですから、いつまでも不安がってばかりはいられません。ならば、できる限り納得のいく、真っ当な制度にしていくしかなさそうですね。そうなると、次に“僕達はどのような姿勢でこの制度に向き合ったら良いのか?”に焦点が移ります。

 一般人の多くは、刑事司法は「(社会の安全が守れるように)犯罪者に刑罰を加えるためにある」と考えがちです。正直なところ、僕も何となくそんな気分でいました。でも、ここでちょっと待った! 石井さんは、刑事司法の目的は、『憲法』第31条~第40条の精神を受けて、「無罪の推定(判決が出るまでは無罪とみなす)」ということ、「疑わしきは被告人の利益に」ということ、であると強調します。つまり、どんなに疑わしくても絶対的な確信が持てなければ無罪にするのが刑事司法の原則なのだ、と…。この原則については何となく知ってはいても、普通の人は、マスコミの過剰な“容疑者=犯人扱い”の報道に惑わされ、無責任にも一緒になって犯人探しに夢中になっているような気がします。でも、裁判員に選ばれたらこの姿勢のままでは危険です。司法の原則に立ち戻り「疑わしきは被告人の利益に」に立脚すること、このことが絶対に必要であるに違いありません。自分の軽々しい判断で冤罪(えんざい)事件(ぬれぎぬ事件)が生じる可能性が充分あるのですから。

 ところが、現在の刑事裁判では重大事件の有罪率は99%以上だとのこと。とんでもない判決がたくさんあり、絶望的なまでに病的なのだ、と。つまり現行の裁判でも冤罪はかなりあるらしいのです。また、裁判員制度では、法律に疎い僕達国民がそんな裁判官の誘導に押し切られる危険性はかなり強いでしょう。きっと、専門家である裁判官と対等に議論することなど、とてもとても困難であるに相違ありません。更に、裁判には被害者も出廷し意見を述べることができるらしく、裁判員が被害者の感情に流されてしまうこともあるかもしれません。

 それでも、石井さんは、素人である裁判員のほうが裁判官より慎重に対応するだろうし、もし裁判員が「疑わしきは被告人の利益に」に立脚し、普通に持っている常識的な市民感覚で対応できれば、司法のあり方を変えることができるかもしれない、と言います。その意味では、一般人が入ることで、これまでの司法のあり方に風穴を開ける可能性が残されているのかもしれません。

 この日は、裁判員制度の概要、裁判の現実、それに裁判員の心構え、がずいぶん分かったような気がします。石井さんのお話を通して、漸く僕はこの問題の出発点に立つことができたようです。もし裁判員に選ばれたとしても“何とかなるかも!”と。そして、『オアシス武州』に参加してくださった多くの皆さんも、おそらく…。 
             
 (斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-09-18 16:32

武州通信第161号(2008・9/3)

 夏休みも終わり、いよいよ2学期が始まりました。この8月は天候不順で、打ち続く猛暑を恨めしく思っていたら、突然10月の気温が数日、慌てて薄手のジャケットを…。8月後半には猛烈な雷雨。ゲリラ雷雨とはよく言ったもの。稲妻と雷鳴をともない突如集中的に日本中に被害をもたらし、去ったと思えばまたやってくる。生徒も足止めを食う大変な豪雨でした。

《子育てに不可欠な見識》の巻

 僕の夏休みは夏期講習や8月の授業で頭がいっぱい。家に帰っては、ぼんやりと北京オリンピックを見るのが関の山。

 授業をしていると、どんな問題でも簡単にクリアしてしまう子、中々覚えられない子、作業が遅い子、理解力はあるのにすぐ忘れてしまう子…、いろいろいるなぁ? としみじみ思う。そんな多様な子ども達のそれぞれの姿を心に描き叱咤激励しつつ進めるのが授業なのだが…。それでも必ずやってくる定期試験。9月下旬か10月上旬にはどの子にも同じ問題の中間テストがやってくる。
 学校勉強には、(足にあわせて靴を作るのではなく)靴にあわせて足を作り替えるような無理がある。でもなぁ、ひとり僕が嘆いてみても、それは仕方ないこと、詮無いこと。

 そんなことを考えていたところへ『バクの会』という居場所を主宰されている滝谷美佐保さんから「野の花・空の鳥」という小冊子が届く。この小冊子はいつも良い意味で僕を困惑させる。ようやく呪縛された脳が動き出す。

 その中で、滝谷さんは“子育てに不可欠な見識とは一体何か?”と問います。苦しい状況の中で悩む数多くの子ども達や若者達との触れ合いの中で紡ぎ出された滝谷さんの結論、それは、「幼かろうと、生まれながらの障碍を持っていようと、決して誰も犯してはいけない、踏みにじってはいけないものを、人は初めから、人間ではないものより与えられている、ということです。それを『尊厳』と呼ぶのではないかと思うのです」と。別言すれば、現代の社会は、“人間の尊厳=不可欠な見識”を見失った悲しい社会である、と。

 「尊厳」については僕もしばしば考えるのですが、これが思いのほか難しいのです。宗教を持たない僕には当然かもしれません。尊厳がどこから来(きた)しているかは僕には分かりませんが、それでも滝谷さんの言われる通りだと納得します。人がこの世に“生を受け”“生を駆け抜け”“生を終える”、このことだけからでも充分理解できます。産まれなければ開かれない「世界」、産まれたからこそ開かれる一回だけの「固有な世界」、それが尊厳性を持っていないはずはない、そんな気がするのです。

 僕達はそんな生の尊厳性をついつい忘れてしまいます。子どもを育てる上で持ち続けなくてはならないはずの見識が、日常性に埋没する中でいつの間にか薄まり風化してしまう。何ができ、何ができないか、で人間の価値が決まり、他人より上を目指すことが人生の目的になる。自分の子どもと他人の子どもを比較して、自分の子どもをより優位な立場に置きたい、子育てにはそんな願望がつきまといます。親の性(さが)だと言ってしまえばそれまでのこと。でも、それはやはり恐ろしいことに違いありません。子どもの世界を自分の良かれと思う気持ちだけで“操作できる”と考えることの危うさがそこにはあります。とはいえ、子どもの言いなりになれ、と言いたいのではありません。僕が言いたいのは、子ども一人ひとりの世界の尊厳性とそれへの畏敬の念を忘れてしまった子育てには落とし穴があるということです。こんな偉そうなことを書いていても、僕もしょっちゅう忘れてしまいますから どうしようもないですね。もちろん、いつの世も、個人には、できる、できない、の差があり、それに沿っての行動や選択の違いはあるでしょう。ただ、怖いのはそれがすべての基準になって社会が動いていくことかもしれません。現代の社会は、そして現代の子育ては、その方向に沿って動いているように見えます。僕が困惑するのは、こういう社会であっても、人はその中で生きねばならず、その中で生活を維持しなければならない、という現実です。

 それでも、「人は何ができるかできないか、何を持っているか持っていないか、にまったく依らず、一人ひとりは同じ大きさで大切な存在である」という滝谷さんの視点、それが多くの大人の“見識”として根付けば、子ども達はもっともっと生きやすくなるに相違ありません。いや、それだけではありません。そうなれば、もしかしたら、社会も大きく変化するかもしれませんね。

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-09-04 16:00

武州通信第160号(2008・7/26)

 秋葉原で起きた通り魔殺人事件(6月8日)から1ヵ月半。この間にも若者の “社会的孤立” “心の孤独” を背景にした事件が多発しているのだが、僕には分からないことばかり。  

《母親と父親》の巻

 このところ卒業生の“出産”や“おめでた”の話が次々と舞い込む。 
 5月には 稲森(旧姓増山)靖子ちゃん(第9期生)が、昨年10月に産まれたばかりの赤ちゃん(美彩ちゃん)を連れて何年振りかで来塾。いやはや靖子ちゃんはすっかり優しいママの顔。こちらの方がドギマギしてしまう。中学生の靖子ちゃん、高校生の靖子ちゃん、大学生の…、就職しての…、結婚しての…、ここにはイメージの一繋がりが描けるのだが、何と言ったらよいのか、ママになった靖子ちゃんだけは何だかどこか違うんだよなぁ? それが僕をドギマギさせる原因みたい。

 今月は、白倉(旧姓小林)亜希ちゃん(第14期生)の出産予定の月である。予定日は思い出せないけれど、もうそろそろ産まれたのかな? あの亜希ちゃんも もうママなんだよね。何だか不思議(失礼!)。

 母親というのは 実に不思議な存在ですね。まぁ少なくとも男の僕からすればの話だけれど…。先日、上遠野(かどの)(旧姓河原崎)宏美ちゃん(第11期生)が親友の田代登志子ちゃん(同期生)と遊びに。 宏美ちゃんは妊娠5ヶ月だと言う。3人で四方山話に花を咲かせている間も、ぷっくり膨れたお腹をずっとさすっている。何だかお腹の赤ちゃんと交信しているみたい。もうすでにお母さんなんだよね。傍らの登志子ちゃんいわく 「男って可哀想だと思わない? 女は絶対に自分の子だと分かるけど、男は自分の子だという保証はないものね。どこのどいつの子だか分かったもんじゃない。疑いだしたらきりがないよね」 と笑う。まぁそれは冗談だとしても、男と女には大きなギャップがあるようには思う。
2人の女性の話を聞きながら、遠い昔の失敗談を思い出す。

 もうかれこれ32年前の娘の誕生物語である。妻は出産のために函館の実家に里帰り。僕は東京に残り、独り暮らしをのんびり楽しんでいた。で、出産の晩は妻の破水の知らせを受け、家で電話を待っていた。ところが、である。待てども待てども電話は沈黙、うっかり僕は居眠りをしてしまったんだな、これが。妻がうんうん苦しんでいるのに、である。何という奴だ。知らせがあったのが夜中の2時頃。僕は寝ぼけた頭で遠くに義父の声を聞く。「産まれたよ」 までは良かったが、電話を切った後 「子どもが男なのか女なのか」 どうしても思い出せないのだ。「まずいぞ これは」と思いつつ、函館に急ぐ。そこで初めて女の子だと知ったのである。本当にお前はドジだよ! まぁ男なんてそんなものさ、と開き直ってみたものの、やっぱりこれはいかんよね。娘よ すまん。

 ところで、病院を訪れて初めて見た光景、それは僕を仰天させた。妻はもうすっかり母の顔で娘を抱いているのである。まるで、ずっとずっと母親であったかのように…。その姿は何だか神々しくさえあった。これがあの妻なのか?と思った。“慈愛とはこういう姿を言うのか?”決してオーバーでなくそう思った。うつけ者の僕だから尚更そう感じたのかもしれない。

 さて、うつけた男はどうやって父親になったのか? よく言われるように、子育てのなかからに相違ない。子どもが僕を見て初めてニコッと笑い、やがては「パパー」とか何とか言って抱きついてくる。こんな些細なことの繰り返しが父親としての自覚を促したのである。なんのことはない、娘や息子が僕を父親に “仕立て上げた” だけなのだ。きっと男の多くはこんなものだろう。だから親としての自覚が足りないと女性から非難される男(僕も?)が出てくるのも無理はない。いやいや、かような男を弁護してはいけない。とはいえ、男と女にはこれほどのギャップがあるらしいのだ。

 母親になった女性は、男性の目には、見え隠れする計り知れない領域を抱え込んでしまった不可解な存在に見える。その後の子育てにおける男親と女親の行き違いのもとは、もうこんなところに芽生えているのかもしれない。

 それはともかく、可愛い美彩ちゃんを優しく胸に抱く靖子ちゃん、もう誕生したのかな?の亜希ちゃん、お腹の子どもに静かに語りかける宏美ちゃん、僕は卒業生の “おめでた” “出産” の報を受けるたびに、何もなかったところに突如出現する「新しい世界」の誕生を想う。そう、産まれるとは「世界」の誕生なのだ。だからこそ、その「新しい世界」を大切にしてやって欲しいと思う。そして、その「世界」を ともに歩み手伝うのが、お母さんでありお父さんに違いない。
                         
(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-07-25 18:01

武州通信159号(2008・6/10)

 走り梅雨の5月のまま、もう本格的な梅雨に入ったのかな? 境目がはっきりしないこのもどかしさ。こんな日は、憂鬱を置き去りにして、何かに没頭するにかぎる。 

《ドアチェック》の巻

 「他人に迷惑をかけない」は民主主義のルール。
 武州がマンションに移ってから、ずっとずっと気になっていたことがあった。塾といえば子ども達の出入りが頻繁なのは当たり前(それが無くなったらやっていけませんよね)。だから結構気を使っているつもりでも「迷惑をかけない」のは中々難しい。一方で「子どもは元気が一番!」だし…。引っ越してから1年ほど経ったある日、一通の苦情の手紙が舞い込んだ。“あちゃー”。ちっとも言うことを聞いてくれない生徒に手を焼き、内心ではヒヤヒヤしていた時だったので、“やっやばい”“どうしよう”が駆け巡る。このマンションは普段は本当に静かである。気味悪いくらい生活音が聞こえないのだ。そんな環境では、“室内”での授業の声や談笑が外に漏れるのは仕方ないとしても、“中庭”で生徒達が楽しそうに普通の声で話しているのも、人によっては気になるんだろうな、と不安になる。だから僕は(子ども達の楽しい気分は分かるけれど)早く帰るようにと促す。その功あってか、あれから抗議は届いていない。でも、とりあえずホッとしつつも、日々、結構気遣っているのである。

 さて、先ほどの“ずっと気になっていたこと”というのは、そのこととは別に、ドアの閉まる際の「ガシャーン」という音のことである。日に何人も出入りするのだから、あの音はかなりの騒音に違いない。静かに閉めたつもりでも結構大きな音がする。これは生徒のせいではない。ドアチェックが悪いのだ。ひいては僕が悪いのだ。だから、騒音止めのテープをドアに貼ったり工夫するのだが、それでも一向におさまらない。ドアチェックを仔細に眺めてみても、素人目にはどうにも調節できそうには見えない。パソコンで調節の仕方があるのかどうか調べたが、武州のものはかなり古い型のようで検索に引っかからない。さて困ったぞ。ならばいっそのことドアチェックそのものを新しいのに取り替えようか? こんなことをずいぶん前から考えていた。

 武州の近所にいつもお世話になっている金物屋さんがあった。“あった”と書いたのにはわけがある。この金物屋のおじさん、年齢のためか認知症を患い、昨年ついに“店仕舞い”をしてしまったのだ。先日、そのおじさんにばったり出会い、呼び止めて、“分かるかなぁ”と思いつつ相談してみた。予想通り、僕が誰なのかもすっかり忘れていた。「見てみないと分からないな。行って見てやろうか?」とのことで、ともかく来て頂くことにした。道すがら「私の父は宮大工でね。それで私も大工になったんだ。それから金物屋を始めたってわけ…」などと問わず語りに話し続けるおじさん。武州のドアチェックを下から覗き込みながら「いくら古くても速度調節できないはずはない。きっとあの小さな穴がそれだろうよ。六角ドライバーで少し右に回してみるといい」と…。元気な頃から“出張料も取らずこんな感じで商売になっているのかな?”なんて余計な心配をしたものである。こんな良心的な店がどんどんなくなっていく。

 翌日、半信半疑のなか、ほんの数秒の作業で 見事に“ガシャーン”がなくなった。内心疑っていた僕はそんな自分を恥ずかしく思った。それにしても、認知症になっても昔のことや仕事のことは忘れないものなのか?という驚嘆の念さえ湧いてくる。仮に僕が認知症になったとして「そのwhoはね、関係代名詞なんだよ」なんて説明できるのだろうか? あまり自信はないが、あの金物屋さんの姿を見て、仕事というものの凄さを思った。それとともに、相手の顔は忘れても、他人を思う変わらぬ心に爽やかさすら感じる。

 3年間の胸のつかえが数秒で…。これまでの重苦しい気分は一体何だったんだろう?と思う。あのおじさんのお蔭で「迷惑をかけない」という重荷が僕の肩から“ひとつ”降りた。何度も何度も開けたり閉めたりしながらいろいろなことを考える。生徒は誰一人としてドアの変化に気がついてはいない。 親切な金物屋さんの心に応えるかのようにゆっくり閉まる“素直”なドアを見つめつつ、“へそ曲がり”な僕は、「まったく迷惑をかけない完全な人間なんているわけがない」「できることをするしかないのさ」と独り嘯(うそぶ)いてみる。

 あれから苦情はないけれど、「それでもお宅は迷惑なんだよ」とは百も二百も承知の上で、もうこれ以上は無理です。ご近所様、どうかお目こぼしを!!

 (斉藤 悦雄)                
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# by bushu-semi | 2008-06-12 14:50

武州通信158号(2008・5/6)

 ガソリン暫定税率(1ℓ当たり25.1円)が撤廃されて安くなったと思ったら、たったの一ヶ月で復活し、再度値上げ(5/1)。政治は何をするものぞ?!  
 チベット問題で国際的に批判を浴びている中国。北京オリンピックの聖火ランナーへの妨害多発、漸く中国国内へ。五輪は何をするものぞ?!

《村祭り、そして地域》の巻

 武州の郵便ポストに一枚のチラシが入っていた。手に取り、ふと目を注ぐと「4月29日(昭和の日)、大澤神社のお祭り」だと言う。大澤神社というのは、武州の卒業生、大澤治隆君(第8期生)が“神主”をしている神社である。おそらく治隆君自らが入れていったのだろう。

 4月29日、その日は思わず外へ出たくなる快晴だった。貫井囃子(ぬくいばやし)の笛や太鼓に誘われて、ついふらふらと。たった一日、その日限りのお祭りだし、治隆君からのお誘いもあったことだし…。大澤神社の境内は小さな子ども達と多くのお年寄りで予想を超えてごった返していた。次々に繰り広げられる出し物を横目に、まるで昔ながらの村祭りだなぁ!などとぼんやり考えていた。小さな神社だけれど奈良時代の藤原百川(ももかわ)に由来する、と、ずいぶん昔、治隆君から聞いたことがある。どうやら由緒ある神社らしいのだ。烏帽子を被った治隆君が神主の装束をまとい こちらへ近づいてくる。普段はバイクを乗り回す若者なのだが、この日ばかりはしっかり神主さんをしているところはさすが!! 今年は第14回目の「例大祭」だと言う。

 治隆君と話し込んでいると、前号の『武州通信』に書かせて頂いた坂口貞義先生が目に留まり、軽く挨拶するつもりが、「まぁまぁ、いける口でしょ。少しどうですか?」と地域のお歴々の席へ。不思議なものでこの席に座ると景色が一変する。まるで白うさぎを追って不思議の国に迷い込んだアリスになった気分?! 地域の顔役である坂口先生に次々とお酌に回る地元の方々。そのお相伴に預かりながら、軽い世間話をする。面白かったのは、僕の隣で話をしていた今年78歳になられるという かくしゃくとした方との“有縁”。 時間もずいぶん経ち、しこたま飲んで、そろそろ辺りの風景がくらくら揺れ始めた僕の耳に、「あなたの塾 はあちらのほうの? あの橋の近くの?」との言葉が隣から…。「えっ、確かにその方角ですが、なっ、なんでご存知で…?」「そこなら、うちの孫の達矢と萌がお世話になっている…」 達矢君は、ほんの半月ばかりだが大学受験の小論文を手伝ったことがあったし、萌ちゃん(中3)は、現在 武州に通っている。坂口先生が「福ちゃん、福ちゃん」と呼んでいたその方が、達ちゃん萌ちゃんのお爺さんだったとは? 「もしかして“鈴木さん”ですか?」などと今更ながら訳の分からない質問をしどろもどろで発している自分が、何ともマヌケでおかしかった。さぁーと周りの空気が僕の肌に優しく触れた。不思議の国が不思議でない国に変わったような気がした。別れ際に「うちの萌をよろしく」と会釈するお爺さんのかなたに、僕は可愛い笑顔の萌ちゃんを想い描いた。その時の萌ちゃんはぐるぐる回っていた。

 ちょっぴり千鳥足の帰り道、地域で生きるというのはこういうことなのだ、と考えていた。普段は気がつかないだけで、きっと見えない繋がりが蜘蛛の巣のように張りめぐらされていて、そこで僕は生かされているのだ、と。― ほろ酔い頭は活性化する。生徒みなの顔がぐるぐるぐるぐる。あれれっ!何だか楽しくなってきたぞ。生徒一人ひとりを大切に!だ。余りにも当たり前の言葉が色鮮やかに浮かんでくる。これが酒の効用なのだ。

 ところで僕は地域の何を知っているんだろう? 村祭りの「傍観者」である僕と「地域のお歴々の席」に紛れ込んだ僕。分裂した二人の自分がそこにいた。パラレル・ワールド、それがこの同じ小さな神社の境内にそれぞれ無関心に共存している、そんな気がした。これが「新住民の世界」と「旧住民の世界」なのか?とも思った。第14回目の「例大祭」、細りゆく地域だとは言うものの、決して混ざりきらない二つの世界を一瞬だけ近づけ、こうして連綿と引き継がれていくものなのかもしれない。

 ドンドンヒャララ、ドンヒャララ♪の“村祭り”。 ― 過ぎ去ったあとの大木ばかりが涼しげになびいている。今では、まるで祭りがあったことすら忘れたかのように、静かなしずかな鎮守の杜が ひっそりかんと佇んでいる。

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-05-14 10:32

武州通信157号(2008・4/26)

 “春に3日の晴れなし”とは、よく言ったものですね。今にも泣きべそをかきそうな曇り空。あらら…、とうとう泣き出しちゃった。
 ハナミズキ、そぼ降る雨に濡れそぼつ。

《孫と縁》の巻

 僕の塾仲間のあいだには「孫」という隠語?がある。先日も静岡の塾仲間から「うちにもついに初孫が来たよ」と、心から嬉しそうな声が受話器を通して流れてくる。「うん、それはそれは良かったねぇ」と僕。「孫」とは言っても、孫ができたよ、ではなく、孫が来たよ、である。そう、「孫」というのは卒業生の子どもが入塾したことを意味する隠語?なのだ。何十年も地域で塾を開いていると、こういう楽しさがやってくる。

 武州には、今、二人の孫が通っている。一人は長谷川雄紀君(中2)。雄紀君のお母さんは長谷川(旧姓・吉野)真紀ちゃん、第7期生である。いやはや親子といえども性格は対照的で…。女と男の差もあるのかな? 当時の真紀ちゃんは おっとりしていて真面目を絵に描いたような女生徒だった。いや、雄紀君が不真面目だ、ということではないですよ。雄紀君は元気いっぱいでとても活発な男の子。時には「こらっ!」コツン、もあります。でも、くりくりしていて何とも憎めない。僕としては、“爺(じじ)の言うことを聞いていれば損はないぞ!”っていう気分かな? これが、爺と孫の関係?

 さて、もう一人の孫は、というと…、こちらは “関わりの毛色”がちょっと違っていてこれまた面白い。孫の名前は、篠原宏太君(高1)。とはいえ、宏太君のお父さんは武州の卒業生ではないのです。でも、やっぱり僕にとって宏太君は孫なんですよ。“へぇーどうして?”ですか? それはね…、
 話は30年前にワープします。武州を始める前年です。そのころ僕は小金井ゼミナールという塾(今はもうありませんが)でアルバイトの講師をしていました。その塾で僕が教えた最後の生徒に、篠原健(たけし)君、そうです宏太君のお父さんです、がいたのです。あの当時の生徒もみんな活発で元気がよかったなぁー と、しみじみ思い出します。その元気のいい生徒の一人が篠原健君。その塾では 僕は英語を教えていました。健君は英語のできる生徒。でも、数学は苦手だったのかな? あるとき英語の講師である僕に、数学(因数分解だったような?)を教えてぇー!と…。僕は数学の講師にすまなく思いながら教えたことを覚えています。彼は忘れているかもしれないけれど…。それはともかく、彼は僕が  武州を開いた後もしばしば(武州に)顔を見せてくれました。こうして健君は僕の可愛い教え子(武州0期生?)そして宏太君は僕の孫なのです。面白いことに、中学2年の宏太君が入塾したとき、先ほどの真紀ちゃん雄紀君の場合とは異なって、あれっ お父さんにそっくりじゃん!…と。いや、顔のことではありません。そのー、どう言ったらよいのかな? 何気ない身振り素振りが? うーん、ちょっと違うな。何となく伝わってくる微妙に漂う雰囲気が?でしょうか。 はたまた英語が得意なところまで! ― 何はともあれ、こうして僕は、孫二人、そして生徒みんなに「塾業」を楽しませてもらっているのです。本当にありがたいことです。

 ところで、話は変わって、先の小金井ゼミナールの経営者であった坂口貞義先生とは年賀状を通してお付き合いを続け、また『武州通信』をお送りしているのですが、時々返事を頂くことがあります。先日は、この前の「オアシス武州」へのお心付けまで頂き恐縮しました。ところで、その封書の中に、坂口先生自らの「私の歩いてきた道」という文章が同封されていたのです。小金井ゼミナールを経営されていた頃も塾だけでなく手広く活動されていることは知っていましたが、この文章を読んで、改めてその幅の広さとエネルギーに感服。戦後の混乱期から現在までの御苦労、御尽力、僕のような塾一筋でしかない柔な輩(やから)には計り知れないものがあったのだろう、と想像しきりです。それはともかく、僕にとって、塾を経営するのは楽しそうだな? ひょっとしたら自分に向いているかも? と思わせてくれたのが小金井ゼミナールであったのは間違いありません。

 どうやら、“縁は異なもの味なもの”らしいですね。この諺の「縁」というのは男女の縁のことらしいけれど、ここでは意味を広くとって「人と人との繋がり」ということにしておきましょう。確かに、楽しいこと嫌なこと、それがどこでどう繋がるかは分からない。そうです、“縁は異なもの味なもの”。   
 つまり、こういうことです、《 だから人生は面白い!! 》 

 (斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-05-04 19:30

武州通信156号(2008・4/4)

 カタクリの花。うつむいて恥らう姿が初々しくて可愛い。3月末日、今年こそは!と、念願の群生地を訪ねる。 
 薄紫のカタクリが 陽の光を浴びるにつれ 徐々に目覚めて花開く。眠たげに伸びをするティンカーベル(妖精)を想う。繁みのそこここで 夢のかけらを楽しむ “春の妖精”、カタクリの花。

《金融業界の今》の巻 

 3月15日(土)の『オアシス武州』から半月以上が経ってしまいました。『通信』に早く書かねばと思いつつ、忙しさにかまけて…、いや、ちょっと言い訳っぽいな。実は、内容が難しく、うまく書ける自信がなかっただけで。それもそのはず、テーマが「金融業界の今」だからね。講師の富田能成(現役の銀行員)さんは要点をうまく纏めて話してくれたのだが、どうも僕の頭脳の方がお粗末なようで…。話の中身は、「金融とは何か?」から始まって「“新銀行東京”の問題点」それに「サブプライムローンの意味すること」に至るまで。だから、うまく纏められないのも無理ないよ!って思いつつ、まぁ、なんとか頑張って、サブプライムローンだけでも纏めてみましょう。

 周知のように、サブプライムローンは、不景気を背景にしたアメリカの「低所得者向けの住宅ローン」。こんな何の変哲もないローンが世界経済を震撼(しん かん)させた、これがこの問題の“新奇性”です。2000年前後のアメリカ経済は、景気を回復するためにも住宅を買う人をどんどん増やす必要に迫られていました。そして低所得者にも売り出すことに…。もちろんリスクが高いから利息も高い。でも、住宅の価格はどんどん上がり、住宅ローン・ブローカーの口車に乗って「もし払えなくなったら家を売れば借金は返せるし、おつりがきて儲かるぞ」という思惑が原動力になって拡大していきます。とは言ってもやっぱり物には限度があるよね。やがて金利の急上昇で2006年には支払い不能者が続出。更に値段が高くなりすぎて買える人も激減。さぁ大変、状況は一転、バブルの崩壊です。住宅の値段は下がり、儲かるどころか低所得者は借金も返せなくて破産の憂き目に。昨年の夏には、貸し金の焦げ付きが金融市場全体を駆け巡る大変な事態が発生!! あれっ、これってどこかの国でも似たようなことが…。

 まぁ、ここまでならさして新奇性はなさそうです。さて、ここからが富さんのお話の中心です。サブプライムローンを利用した人は600万人を超え、総額は160兆円に達したと言います。ところで、銀行は住宅ローンをまとめて証券会社などに売却しその資金で新たなサブプライムローンを組み、次に証券会社などは(リスクを分散するために?)債権を証券化し小口化して売り出し、それを、世界中の金融機関やファンドなどが利益を当て込んでどんどん買いあさったという次第。こうなると、もう歯止めが利きません。壮大な絡み合いがグローバルに展開してゆき、そしてバブルの崩壊による被害もグローバルに…。何とも、いやはや…です。

 ところが被害は彼等だけに留まりません。ファンドは金融機関から融資を受けて自己資金の数十倍もの投資をしています。バブル崩壊の兆しは、融資した金融機関や投資家を不安にさせ、返済を迫ることになります。その返済のためにも当のファンドは自己保有の(日本の株を含む)株を大量に売却したのです。その結果は世界的な株の大暴落。更に、損失を補填するためや行き場を失った資金は新たな市場、つまり石油などの有望な投資先に走ることになります。で、石油価格の異様な高騰、それを受けての物価高、こうして「我が家の家計も苦しくなる」、これが、サブプライムローンのもう一方の顛末(てんまつ)。株に縁のない我が家がどうして? というのが落ちです。本当に腹立たしくも理不尽な話です。

 誰が仕掛けているのでもなく、違法な行為がそうさせるのでもなく、ただただ人々の欲望が世界を揺るがしている、これが富さんのお話の要点に違いない!(と、僕は勝手に納得)。もしかしてグローバル経済って意外に脆(もろ)いのかも? やがて世界大恐慌なんてことも!? それはともかく、利益を求めて走り続けなくてはならない世界って何だろうね。それに使い切れないほどのお金を稼いでもまだ欲しいもんですかね。マイクロソフトのビルゲイツの個人資産は580億ドル(約6兆円)だそうです。それは世界の貧しい人々10億人の年収を優に超えるとも聞きます。2008年度の世界長者番付でビルゲイツは第3位。まだ上には2人いるんだよね。何だかなぁー!って気分。

 ちなみに1兆円というのは、1日に1000万円使っても273年かかる金額なわけで…。こんなの金じゃねぇー。金で幸せが買えるか! まぁこう強がって、僕のような貧乏人は自らを慰めるしか方法がない?…らしい。

(斉藤 悦雄)
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# by bushu-semi | 2008-04-09 22:13